10月16日に出発する「ルーマニア・ブルガリ大周遊17日間の旅」の3日目に訪問する所を記事にしたいと思い、日程表を覗きましたら、3日目は「なんと!」あの「リラの僧院」を見学することになっています。
リラの僧院は、1983年に世界文化遺産に登録されていますが、小生の知識は「名前を知っている。」くらいでどのようなところなのかまったく知りませんでした。
そこで、またまた「地球の歩き方」さんにお世話になって俄勉強をしてみました。
リラの僧院は、ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院で、ソフィアの南約65㎞、リラ山脈の奧にひっそりとある。
僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキーという僧が隠遁の地としてこの場所を選んで、小さな僧院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。
「などと断定的なことがお前によく分かるな?」という声を皆さんから頂きそうですが、これらの文章は、もちろん「地球の歩き方」の受け売りです。
でも、イヴァンさんが隠遁の地としてリラの地と小さな僧院を建立したというですから驚きですね。
なにが驚きかといえば、「隠遁の地」ですね。隠遁といえば、「俗世間を逃れて隠れ住むこと。」という意味ですから、悪く言えば、世間のしがらみなどが「イヤ」で逃げてきたようにも聞こえるからです。
そんな小生の感想はともかくとして、「地球の歩き方」の続きは、次のようです。
現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この間、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。往時には約360の房に、全国からの僧が集い、寝起きしていたという。
「ブルガイアが500年もの長い間、オスマン朝に支配されていたが、キリスト教のリラの僧院だけは例外」だったようですが、なぜ、キリスト教が禁止されていたのに黙認さていたのでしょうか?」
というのは小生の疑問です。
そして、「往時には約360の房に・・・」とありますが、「房」とは何でしょうか?
さて、続いて「地球の歩き方」の文章ですが、
「僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1963年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。」と結んでいます。
ここまでが「リラの僧院の歴史など」の概要を書いたものだと思います。続けて次のページには僧院の主な見所が書いてあります。
大きく分類すると、緑色で「聖母誕生教会」「フレリョの塔」「歴史博物館」の3つに区分しています。
一番の見所は、聖母誕生教会で、その見所を赤字で4つに分けて説明しています。
その区分は「民族復興様式の教会」「アーケードいっぱいに描かれたフレスコ画」「黄金に輝くイコノスタス」「イヴァン・ソルスキの聖遺物」となっています。
その中身を申し上げたいところですが、文章の中に「イコン」とか「イコノスタス」などという言葉が出てきますので、これらを調べてから記事にしたいと思います。
ではまた!
写真?チューリップなど色とりどりの美しい草花が咲き乱れるオランダのキューケンホフ公園にします。