ロック探偵のMY GENERATION

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『ゴジラ対メカゴジラ』

2019-10-20 16:05:12 | 映画

今回は、映画記事です。

 

このカテゴリーではちょっと道草をしていましたが……ここでもとの流れに戻って、ゴジラシリーズ第14作目『ゴジラ対メカゴジラ』について書きましょう。


 

 


公開は、1974年。

 

これは、第一作『ゴジラ』が公開されてからちょうど20年目にあたります。ゴジラ誕生20周年という記念碑的作品なのです。

 

前作『ゴジラ対メガロ』の興行的な失敗は、ゴジラシリーズ打ち切り論を呼び起こすに十分なものでしたが、このアニバーサリーのこともあって、新たなゴジラ作品が制作されることになったといいます。

 

その記念にふさわしい怪獣を登場させたい……

 

そんな考えのもとに生まれたのが、メカゴジラでした。

これは、まことに生誕20周年にふさわしい、これしかないとさえいえる着想でしょう。

例によって、その予告編の動画を公式チャンネルから貼り付けておきます。

 

【公式】「ゴジラ対メカゴジラ」予告 メカゴジラが初登場するゴジラシリーズの第14作目。

 

以前書いたとおり、メカゴジラは『キングコングの逆襲』に登場するメカニコングという前例をモチーフにしたものです。そして、さらにそのルーツをたどると、アメリカのアニメ版キングコングに登場したロボットコングに行きつきます。

 

前に『南海の大決闘』の記事で、ゴジラはアメリカの象徴なんじゃないかということを書きましたが……その論でいくと、メカゴジラはソ連というアナロジーがしっくりくるように思えます。

 

残念ながら、私はロボットコングが出てくるアニメを実際に視聴する機会を持てずにいますが……やはりそこにはソ連のイメージがあるんじゃないかと想像しています。

冷戦時代のスポーツ漫画なんかでは、共産圏の選手はよく精密機械のような存在として出てきますが、そういう感覚です。

そんなふうに考えると、ゴジラが沖縄怪獣キングシーサーとともにメカゴジラと戦うというストーリーは、非常に意味深です。

 

 

メガホンをとるのは、前作に引き続き、福田純監督。これで、3作連続となります。

 

福田監督については、コミカルな感じ、ほのぼの感があると以前書きましたが……この3作を続けてみると、次第にそのコミカル調が薄れていっているように思われます。

原点回帰を目指そうとするなら、そうならざるをえなかったということでしょうか。この『ゴジラ対メカゴジラ』にいたると、コミカルなところはほとんどなくなっています。

 

いっぽうで、本作では『ゴジラ対ヘドラ』に出てきたマルチスクリーンが使われたりもしています。

『ゴジラ対ヘドラ』の圧倒的なインパクトは、実はその後のゴジラにも少なからぬ影響を及ぼしているんじゃないかと私は思ってるんですが、これもその一環でしょうか。

 

 

物語の舞台は、沖縄。

 

いうまでもなく、1972年に沖縄が返還されたことを受けてのもの。やはりゴジラは、時代を映す鏡なのです。

 

その沖縄で行われる海洋博(これは実際に行われたイベント)にむけた工事現場で、謎の古代遺跡が発見されます。

そして、その古代遺跡には予言が。

その予言によれば、大空に黒い山が現れるとき、大いなる怪獣が現れ、この世を滅ぼさんとする……というのです。

 

そして、その予言どおり、ゴジラがあらわれます。

しかも、2匹。

ゴジラとゴジラが戦闘――かと思いきや、一方は、戦闘中に表皮がはがれ、その奥から金属が。実は、体表を偽装したメカゴジラだったのです。

メカゴジラは、ブラックホール第3惑星人が、ゴジラを研究して作り上げたロボット。

このメカゴジラに対抗するために、安豆味(あずみ)王族の守護神キングシーサーを甦らせ、地球人はゴジラとともに闘うのです。

 

もちろん最後はゴジラが勝つわけですが……メカゴジラには、かなり苦戦。

はじめの戦いが痛み分けに終わった後、ゴジラが島で修行して特殊能力を身につけるといった描写もみられます。そういったシーンを見ていると、擬人化がさらに進んで、怪獣映画からまた一歩遠ざかった感も。この段階にいたるとゴジラはもう完全に特撮ヒーローになっていて、20年という歳月の重み、そして、その間における日本社会の大きな変化を感じずにはいられません。

 

同時代性という部分に注目すると、この映画では、“沖縄”の持つ陰影も映し出されています。

 

印象に残るのは、予言どおりにゴジラが出現したという知らせが沖縄にもたらされた場面。

 

「ゴジラよ、安豆味王族を滅ぼそうとしたヤマトンチュをわしにかわってやっつけろ」

 

と、王族の長老(?)である国頭天願の口から、ゴジラが本土を破壊することを歓迎するような発言が出てきます。

 

沖縄の歴史、そして沖縄の今を考えるとき、この言葉は鋭い響きを持って聴こえてきます。

 

ゴジラの時代性、批評性の真髄は、何十年も前の作品を観ていてもこうして今日的なテーマを突きつけられるというところにあります。

 

この作品で紹介されている海洋博の開会式出席のために皇太子(当時)の沖縄訪問がありましたが、その際に過激派が皇太子を襲撃するという事件(いわゆる“ひめゆりの塔事件”)がありましたが、その事件を思い起こさせます。ひめゆりの塔事件は、この映画が公開されたのより後のことですが、そこにいたる空気が映画に反映されていたのでしょう。

沖縄と本土のあいだに横たわる、幾重にも屈折した断層――それは、今にいたるまで解消されないままに残り続けている問題でしょう。

“捨て石”とした沖縄が本土に対してどのような気持ちを抱えているのかという、ヤマトンチュ側のある種の後ろめたさみたいなものが、『ゴジラ対メカゴジラ』に表出しているようです。

 

特撮怪獣映画において、沖縄を単に観光趣味で描くだけでなく、こういう重いテーマにも踏み込んだということは、高く評価したいです。

 

 

結果から見ると、この作品は、興行的にはそれなりの成績をおさめました。

 

観客動員数は、かなり向上。

もっともこれは、前作が散々だったということもあっての回復で……前々作『ゴジラ対ガイガン』からみると、だいぶ少ない数字にとどまっています。しかし、それでも東宝側には成功と映ったようです。

 

なぜこの映画は好成績を収めたのかと考えると……それはやはり、メカゴジラという新たなキャラクターを登場させたことに尽きるでしょう。

とにかく、メカゴジラの造形は素晴らしい。

この作品において、キングギドラ以来のスターが誕生したといっていいでしょう。メカゴジラは、文字どおり十年に一度の逸材だったのです。

 

そして、そこに出てくる音楽もかっこいい。

 

この作品では、佐藤勝さんが音楽を担当。

 

この方は、『ゴジラの逆襲』、『南海の大決闘』、『ゴジラの息子』で音楽を担当しています。福田純監督と一緒に仕事をすることが多いようで、本作もその一環でしょう。

佐藤さんはモダンジャズ編成の音楽を使うことがよくあり、そのあたりで伊福部音楽とはまた違った特色を出してきますが、この映画に出てくるメカゴジラのテーマは、それがフルに発揮されたゴジラ史上屈指の名曲といえるでしょう。いささか怪獣映画らしからぬ音楽ではありますが……

 

そして、音楽のことでいうと、この作品でもまた歌が出てきます。

 

「ミヤラビの祈り」という歌です。

これは、眠りについているキングシーサーを目覚めさせるための歌で、いうなれば「モスラの歌」のようなものなんでしょうが……しかしこの歌は、なかなか微妙なところです。モスラの歌には、エキゾチックな感じがありますが、「ミヤラビの歌」には沖縄っぽさがあまり感じられません。せめて、沖縄風音階を使うぐらいのことをしてもよかったんじゃないかと思うんですが……

 

ともあれ、メカゴジラに関しては、東宝側もかなりの手ごたえを感じたものと思われます。

こいつはいける、と。

そしてその感触が、次作、ふたたびメカゴジラを登場させた『メカゴジラの逆襲』につながっていくのです。

 


台風19号被害について

2019-10-18 22:42:58 | 時事
台風19号の被害で、民主党政権時代のことがやり玉に挙がっています。

八ッ場ダムの建設を中断するといったことや、いわゆるスーパー堤防を「事業仕分け」したことなど……

今回は、こうした点について、それはちょっと違うんじゃないかということを書いてみようと思います。

もちろん旧民主党の関係者が反論してはいますが……いかんせん、当事者がいうと、どうしても言い訳みたいに聞こえてしまいます。
それでますます「旧民主党関係者が苦しい言い訳」「やっぱり民主党の政策は何もかも間違っていたんだ」みたいになるのはミスリーディングだと思うので……この点について、当事者でない立場(私は立憲民主党支持ではありませんし、旧民主党政権が行った事業仕分けにも懐疑的でした)から反論を提示したいと思います。
内容の多くは、牧田寛さんという方がハーパービジネスオンラインに寄せた記事を参考にしていますが、八ッ場ダムの有無によってどの程度利根川の水位が変化するかは私も一度大雑把に計算してみました。八ッ場ダムの貯水量や、利根川の長さ、川幅などから単純に計算しても、そう違わない結果が得られます。


まず、八ッ場ダムについて。
・八ッ場ダムの貯水量がいくら大きいといっても、利根川水系全体で考えてみれば、それほど大きくはない。八ッ場ダムがなかったとしても、それで上がる水位は、10~15cm程度。場所によっても効果に濃淡があり、効果があまりない下流では5cm程度しか水位が変わらない。そうなると、今回の台風ではほとんど意味がなかったろうと思われる。
・今回は、初回の試験湛水でたまたまダムが空っぽだったということにも助けられている。
空っぽの状態で一昼夜で満杯になっているのだから、普通に運用している状態だったら持ちこたえられなかった可能性が高い。つまり、今回八ッ場ダムが緊急放流をせずにすんだのは、一回限りの偶然によるものと考えられる……


スーパー堤防について。
・スーパー堤防があったとしても、堤防の高さは変わらないので、河川の氾濫による被害は防げない。
・そもそもスーパー堤防は、すべて完成するには数百年単位の時間がかかるといわれている。事業仕分けがなかったとしても、現時点までにどの程度造れていたかは疑問。また、「数百年」というのも、純粋に技術的に考えての話で、土地の所有権といった手続き的なことも含めて考えれば千年単位の時間がかかるともいわれる。効果を云々する以前に、およそ非現実的な政策である。少なくとも、仮に事業仕分けがなかったとしても、今回の台風被害をスーパー堤防によって防げた可能性はほぼない。
・必要だと思うなら、自民党が復活させてやっていればいい。
自公政権になってもう7年。スーパー堤防が必要だというのなら、その間に復活させて事業を進めることもできたはず(前述したように、おそらくそれによる防災・減災効果は望めなかっただろうけれど)。今回の台風で起きた被害を、十年前から三年半ほど政権を担当しただけの民主党のせいにするのは無理がある。

「不服従が義務となる瞬間」~“ホームレス拒否問題”について~

2019-10-16 15:20:40 | 時事
先日の記事で、台風19号における避難所での“ホームレス拒否問題”を取り上げました。

この問題は今もくすぶっていますが……今回は、これについてもう少し思うところを書いておきたいと思います。


実際に現場にいた職員は、今回の件について、上から通告されたとおりにしただけだというかもしれません。
自分たちは、上から与えられたルールに従っただけなんだと……


私はここで、『X-MEN ファーストジェネレーション』という映画を思い出します。

あの映画のエリック(マグニートー)は、ナチス支配下のゲットーで母親を殺害されたという過去を持っています。
最後に人類がX-MENたちに攻撃をしかけてきたとき、チャールズはマグニートーにむかって「彼らはただ命令に従っているだけだ」と、反撃するマグニートーを止めようとします。そのチャールズに対してマグニートーは「命令に従うだけのやつらが俺の母親を殺した」と反論するのです。

はっとさせられるせりふです。

命令に従うだけでいいのか……

実際のところ、軍隊においてさえ、上官の命令に絶対服従ということではありません。
もし上官が法令に違反するような命令を下した場合、命令を受けた側は従う必要がありません――というよりも、従ってはいけないのです。そういう場合、兵士は上官の命令を拒否しなければなりません。
もっとも、現実にそれができるかはなかなか難しいでしょう。
おそらく、実際にやったら、部隊の中で孤立し、戦闘中に見殺しにされるといったようなリスクを負うのではないかと思われ……それでもなお告発するというのは、相当な勇気がいります。


しかし、今回の“ホームレス拒否”騒動でいえば、現場にいた職員から「それはおかしい」という声が出なかったのか。

今回の措置は、災害救助法違反や、もっと根本的に憲法14条違反という指摘があります。
そのことに思いいたり、区の方針に異議を唱える人はいなかったのか。
もちろん実際に違法であるかどうかは個人の判断で決定できることではありませんが、それが違法であったとすれば、異議を唱えなかったことは、なすべきことをなさなかった不作為ということになります。疑念があれば、その疑念を提示することはできははずです。
もちろん、勇気のいることではあるでしょうが――戦場の例に比べればマシでしょう。
私自身、もしその立場に置かれていたら、しっかり異議を申し立てることができたかと考えると、自信をもってイエスと言い切ることはできませんが……しかし、その勇気を示す人が一人ぐらいいてもよかったんじゃないか。そのことが、寂しく思われます。

ここで、もう一度ナチスの話に戻ると――
ドイツのメルケル首相は、今年、ヒトラー暗殺未遂事件の記念式典で「不服従が義務となりうる瞬間がある」と語りました。
ナチスの支配するような社会では、その支配者に従わないことが義務でさえありうるというのです。
それは、いま目の前にあるルールよりもさらに上位の価値に対する義務です。
日本では、何かにつけ、閉鎖的な集団内でのルールが独り歩きして神聖化されてしまう傾向があるようですが……そういう世間では、実は、ルールを守ることがときに背徳でさえあるのではないか。そんなときに、不服従という勇気が必要なのではないか――そんなことを思いました。

地震と台風を振り返る

2019-10-15 23:14:47 | 過去記事
 
台風21号、北海道の地震……

北海道で地震がありました。台風21号に次いで、この大地震……どちらも、被災地のすみやかな復興が望まれるところです。思えば、この数年の日本は、大規模な自然災害が相次いでい......
 

 

去年の北海道の地震や、台風21号について書いた記事です。

先日の台風19号では地震も同時に発生しましたが……ここ数年のことを考えれば、甚大な被害をもたらす自然災害は、もうそれほど珍しいことでもなくなっています。

こういうことにきちんと対応できるようにするのが、真の安全保障でしょう。


台風19号から見えるもの

2019-10-13 13:42:40 | 時事
台風19号が、大きな被害を出しています。

なにしろ、巨大かつ強力な台風で、本体から遠く離れた福岡でもそこそこに強い風が吹き……直撃を受けたところでは相当な暴風雨であったろうことが推察されます。

河川の氾濫や堤防の決壊など甚大な被害が出ていますが……
今回の台風では、そういう直接の被害とはまた違うところで、いくつか気になることがありました。

一つは、政府の災害対応ですね。

去年の西日本豪雨や、先日の台風15号でもそうでしたが、政府の対応があまり見えてきません。

十年ぐらい前であれば、これだけの大災害が起きたらもっと頻繁に記者会見をやったりするものだったと思いますが……以前台風15号の記事で書いた状況が、ますます現実味を帯びてきてるんじゃないでしょうか。


もう一つ、ある自治体の避難所で、ホームレスの人を閉め出したという話がありました。

その自治体としては「自分の自治体の住民を優先する」という意図だったらしいですが……ツイッターでは、「税金を払っていないホームレスを排除するのは当然」といった意見も散見されました。

自分の自治体の住民を優先するというもおかしいですが、納税してないから避難所を使わせるべきじゃないというのは酷い話です。

憲法学者の小林節さんがいってましたが、権利は納税の対価ではないんです。税金を払ってない人は道路を歩いちゃいけないのか、という話です。

まして、今回のケースは、人命にかかわる話で……
仮に外国人旅行者が避難所にきたら、「日本人じゃないから」とか「日本に納税してないから」という理由で拒否するのか。そんなことをしたら、大問題になります。そう考えてみただけでも、ホームレスを避難所に入れないという判断がおかしいことはわかるでしょう。それは、居住地の如何でも、納税の有無でも、容認されないんです。にもかかわらずそのような判断が現実になされたのは、その奥にもっと別の価値判断が潜んでいたのではないかと考えてしまいます。

ともかくも……

この国がどんどんおかしな方向に向かいつつあるということが、今回の台風で可視化されたんじゃないか……そんな気がしています。