ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

ハロウィンを振り返る

2019-10-31 23:07:22 | 過去記事
 
ハロウィン雑感

今日は、10月31日。ハロウィンです。ハロウィンといえば、渋谷での騒動が話題になっています。なかなか大変なことになってたみたいですが……まあ、ハロウィンというのは祝祭......
 

 

去年のハロウィンについて書いた記事です。

いろいろ対策をとった結果でしょうか、今年はあまり大きな騒動にはなっていないようです。

それは結局のところ噴出孔をふさいだだけで、世の中にわだかまる鬱憤自体が解消されたわけではないと思うんですが……


『メカゴジラの逆襲』

2019-10-29 15:13:50 | 映画
今回は、映画記事です。
前回はコラム的なことを書きましたが、ここでまたゴジラシリーズに戻りましょう。

シリーズ15作目にして、第一期の最終作となる『メカゴジラの逆襲』です。

 
前々作の『ゴジラ対メガロ』あたりから、ゴジラは硬派路線への回帰を目指しているように思えますが、その総仕上げともいえるのが今作でしょう。

この『メカゴジラの逆襲』では、本多猪四郎みずからがメガホンをとります。

第一作で監督を務めた、あの本多猪四郎です。本多監督は第十作『オール怪獣大進撃』以降ゴジラ作品から離れていましたが、この第十五作において、御大自らが出馬したのです。ここからも、原点回帰という企図は読み取れるでしょう。

それゆえ、本作『メカゴジラの逆襲』は、終始シリアスなドラマになっていてコミカルな要素はほとんどまったく見られません。テイストとしては、『地球最大の決戦』みたいな感じでしょうか。完全に子供向けになっていたゴジラが、ひさびさに路線変更以前のフィーリングに戻りました。

脚本は、新人のシナリオライターたちからコンペ形式で募集されたといいます。
その結果選ばれたのは、高山由紀子さん。女性が脚本をつとめるという意味で、珍しい作品となりました。

例によって、東宝公式YouTubeチャンネルの動画を貼っておきましょう。

【公式】「メカゴジラの逆襲」予告 メカゴジラを不動の人気にしたゴジラシリーズの第15作目。

そのタイトルからもわかるとおり、ストーリーは前作『ゴジラ対メカゴジラ』の続きとなっています。

地球侵略をもくろむブラックホール第三惑星人が、前作で破壊されたメカゴジラを改修し、後継機メカゴジラⅡを開発。新怪獣チタノザウルスとともにゴジラを倒そうとします。

前作までの流れとは違って、今回はゴジラ単独での戦い。

のみならず、前作ではメカゴジラ一体に対してゴジラ側が複数だったのに対して、今回は敵がタッグを組んでいる状況……さすがのゴジラも、これにはだいぶ苦戦します。最終的には、人間の助けを借りてなんとか敵を撃退することになるのです。


ゴジラは時代を映す鏡だ、とこのブログでは何度も書いてきましたが……
この作品もまた、時代を映しています。
明確に批評的な視点を持っているのです。

たとえば、ブラックホール第三惑星人の首魁が登場する場面。
高層ビルから東京の街を見下ろして、その部下がいいます。

  汚濁と混乱――秩序は常に後から追いかけるものにすぎない。
  結局のところ地球人は、自分たちが何を作っているのかさえわからないのです。


このように、シニカルな文明批評の視点があります。
“文明への懐疑”という視点がここに表現されていて、その点でも、ゴジラの原点に戻っているのです。
しかも、それまでの作品にときおりあった、ともすれば付け足しのようにも見える通り一遍のものではなく、現代文明への透徹した視線がかじられます。
そういう意味で、私としては、ゴジラ作品はこうあるべし、と思う作品です。

さらにもう一つ、原点回帰という点では、伊福部昭の音楽が戻ってきたことも見逃せません。
9作目『怪獣総進撃』以来の復帰です(『ゴジラ対ガイガン』は、過去音源の流用で、新たな作曲はしていない)。
本多・伊福部の組み合わせが復活するのも、『怪獣総進撃』以来。ゴジラファンならば、これはもうたまらない。前作で一気に人気怪獣になったメカゴジラも出ていることだし、大ヒット間違いなし、というところなんですが……

しかし、『メカゴジラの逆襲』は、当時の観衆に受けがよくありませんでした。

御大自らがメガホンをとったこの作品は、映画興行としては完全な敗北に終わります。

公表されている観客動員数は、97万人。

それまで最低だった『ゴジラ対メガロ』をさらに下回り、現時点で、ゴジラシリーズ全作品中ワーストの観客動員数となりました。


なぜ、『メカゴジラの逆襲』は失敗したのか?

突き詰めていくと、結局は、子供向け路線と原点回帰路線の齟齬というところにつきると思います。

ここまでの数年間において、ゴジラ作品は子供向けの興行形態にシフトし、もう、大人はそもそも見ないものになっていた。その状態に、大人向けのゴジラ作品を出してしまったことが失敗だったんでしょう。
どうひいき目に見ても、『メカゴジラの逆襲は』子どもが喜ぶ作品にはなっていないと思えます。
たとえば、ゴジラが登場するまでにだいぶ時間がかかる。
ドラマパートに力点がおかれているために、後半になるまでゴジラが出てきません。メカゴジラも、ほぼ同様。このため、前半部分はチタノザウルス一匹でもたせなければならなくなりました。ルーキー怪獣にとって、これはちょっと荷が重かったんではないかと思われます。
そのこととも絡みますが……メカゴジラの出番が少ない。タイトルやジャケットに示されるように、この作品はメカゴジラが前面に押し出されていますが、その割にメカゴジラはそれほど画面に出てきません。観ようによっては、脇役のようでさえあります。ゴジラとメカゴジラの二枚看板であるはずが、一番出てくるのがチタノザウルスという……これが期待外れ感につながってしまったのではないでしょうか。

では、力点がおかれているドラマ部分はどうかというと……ここもやはり、子どもにはぴんとこなかったでしょう。
科学者父娘の悲哀、成就することのない愛、自己犠牲……このドラマが、怪獣の格闘を見に来たキッズたちにどれだけ伝わったものか。
また、批評的な部分についても、どうだったでしょうか。
批評性は子どもにも強い印象を与えうると思いますが、それもある程度わかりやすくしてあってこそ。“核の脅威”や、“環境汚染”といったことなら子どもの心にじゅうぶん響くと思いますが、この作品における文明批評はいささか抽象的にすぎ、子どもの観客には難解と映ったのではないかとも想像されます。

逆に、大人の観客を対象として考えた時には、子供向けな部分が夾雑物となりかねません。
透徹した文明批評が、メカゴジラやブラックホール第三惑星人とった子供向けSF要素と混淆しうるのか……という問題です。大人の観客の場合、それはそれとして――というスタンスが見る側にないと、単に荒唐無稽な物語ということになってしまうでしょう。

実際のところはわかりません。
映画の成績についてあれこれいったところで、所詮は結果論であり、何がよかったのか、悪かったのかをはっきりさせることなどできない相談です。

ただ……ともかくも『メカゴジラの逆襲』は、映画興行としては失敗に終わったといっていいでしょう。

この失敗は、ここまでの数年間、生存ぎりぎりのラインを漂っていたゴジラシリーズに、とどめの一撃となるに十分なものでした。

刀折れ、矢尽き……というところでしょうか。
これによって、とうとう昭和ゴジラシリーズは打ち切りとなるのです。
本多猪四郎監督は、これ以後ゴジラ作品のみならず、映画を監督することはありませんでした。

ゴジラが復活して銀幕の上で再びあの咆哮をあげるには、およそ10年という歳月を待たなければならないのです。

メカゴジラという“怪獣”

2019-10-27 14:16:17 | 映画
今回は、映画記事です。

このカテゴリーでは、前回、ゴジラシリーズの一環として『ゴジラ対メカゴジラ』を取り上げました。

で、順番からいうとその次の『メカゴジラの逆襲』になるところなんですが……
その前に、いったんここでコラム的なものをはさんでおこうと思います。

テーマは、ずばりメカゴジラ。
メカゴジラという怪獣の特殊性についてです。

いや、怪獣といいましたが……そもそもメカゴジラはロボットであって怪獣ではありません。まず、そういう意味からしても、特殊な存在です。

ロボットという点でいえば、ゴジラシリーズ中にはジェットジャガーやMOGERAなんかもいるわけですが、メカゴジラはゴジラのロボット。もう、存在感が別格なのです。

たとえば、ゴジラ作品30作近くあるなかで、“逆襲”してきたのは、ゴジラを除けばメカゴジラだけ。ゴジラシリーズ以外の東宝特撮でみても、私が知るかぎり“逆襲”のタイトルがあるのは『キングコングの逆襲』のみ。ここからも、特殊性はわかるでしょう。

さらに、その『メカゴジラの逆襲』は、ビデオジャケットがメカゴジラの立ち姿となっています(正確には、メカゴジラⅡ)。

 

ジャケットにゴジラの姿が入っていないのは、ゴジラシリーズにおいて、この『メカゴジラの逆襲』だけ。ビデオのパッケージというのは、いうなればその作品の看板なわけですが……主役であるゴジラを差し置いて一枚看板を張れる、メカゴジラというのはもう、そういう存在なのです。

また、登場回数でいっても、メカゴジラは相当なものです。
ゴジラシリーズ全29作品ある中で、メカゴジラは合計5回登場しています。
モスラ(8回)やキングギドラ(6回)といった花形ほどではありませんが、初登場が14作目だったことを考えれば、かなりの頻度といっていいでしょう。
ちょっと視点を変えて“初登場時からの登場頻度”でみると、メカゴジラは16作中5回。初登場して以降、およそ3分の1の作品にメカゴジラが出てくるわけです。同じ基準で比較してみると、モスラと同格か、あるいは上回ってさえいます。

また、回数だけでなく、その後の登場の仕方からも、特別扱いはうかがえます。
言い方が難しいんですが……メカゴジラは、ゴジラを終わらせる存在なのです。
この第一期でもそうです。まあこれは結果としてそうなっただけですが……第二期、第三期では、そういう位置づけにいます。逆にそれぞれのシリーズでメカゴジラが登場する作品が最終作にはなっていませんが……そのあたりのことについてはまたいずれ書こうと思います。


【注】登場回数について
「メカゴジラ」といっても、厳密にいえば全てが同じメカゴジラではないんですが……モスラやキングギドラも全てが同一個体というわけではないので、その違いは不問とします。
また、モスラの場合登場回数に含めるかどうか微妙なものもあるんですが、ライブフィルムでワンカットだけ出てきたようなものはノーカウント。『ゴジラ対スペースゴジラ』は微妙なところですが、基準を厳しくしてカウントしません。これを含めて計算すると、“初登場時からの登場頻度”はモスラのほうが高くなります。

菅原経産相が辞任=後任は梶山氏、政権に打撃

2019-10-25 13:49:00 | 時事


まあ、当然でしょう。

こういう問題が出てきたら、メディアが徹底的に追及し、国民は怒り、政府は処分せざるを得なくなる……というのが、当たり前の筋道でしょう。
最近、その当たり前がきちんと機能していない状況がありますが……そのあたりが、これを機に少しでもまともになってくれるよう期待したいところです。

ロバート・ジョンソン「四辻ブルース」(Robert Johnson - Cross Road Blues)

2019-10-22 15:13:14 | 音楽批評
 


今回は、音楽記事です。

 

このカテゴリーでは、以前マディ・ウォーターズの記事を書きました。

 

ジミヘンからマディ・ウォーターズ……とブルースの方向に話が流れてきたので、このあたりで、伝説的なブルースマンであるロバート・ジョンソンについて書こうと思います。

 

ロバート・ジョンソンといえば、十字路で悪魔と取引してギターの技術を手に入れたという逸話で知られています。

 

直接その件について歌ってるわけではありませんが、代表曲であるCross Road Blues (「四辻ブルース」という邦題も一応ある)という歌のタイトルは意味深です。

 

Robert Johnson - Robert Johnson's Cross Road Blues

 

かのエリック・クラプトンも、ロバート・ジョンソンに多大な影響を受けて、あの Crossroads をやったわけです。

クラプトンは、ずっと後になって Me & Mr. Johnson というアルバムを出していますが、このミスター・ジョンソンというのがロバート・ジョンソンのことであるのはいうまでもありません。言い方が民明書房みたいになってますが、事実です。下のアルバムジャケットで、奥の額縁に収まっているのがロバート・ジョンソンということでしょう。 

 

 

 

ところで、ロバート・ジョンソンが悪魔と取引をしたという有名な逸話はどこから生まれたのか……

  

一つには、彼にまつわる神秘的な、あるいは不気味なエピソードによるようです。

 

たとえば、ロバート・ジョンソンの師匠アイク・ジンナーマンは、しばしば墓場でギターを弾いていたとか。

もともとあまりギターが得意でなかったロバートが、そのジンナーマンのもとで修業してきたところ、驚くほどのテクニックを身につけていた。悪魔と取引云々というのは、そのあたりから出てきた話かもしれません。

 

墓場でギターを弾いていたというのはたしかに不気味ですが……しかしこれは、単に墓場がひっそりとしていて音楽の練習に適していたからだといわれています。騒音がなく、また自分の弾くギターがご近所迷惑にならないように、という配慮によるものだと……そう聞くと、印象はずいぶん変わるでしょう。幽霊の正体見たり枯れ尾花的な話です。

 

また、その当時においては、黒人音楽は宗教的な内容を歌うのが普通であり、宗教的な内容を含んでいない歌は、それだけで不敬とみなされたといいます。

 

こうしたことがあいまって、悪魔という印象が作り上げられたのではないか。

27歳での早すぎる死、そしてその死因にまつわる謎(一説には、不倫の報復として毒殺された)もまた、伝説に一役買っているでしょうか。

 

 

また、その卓越したテクニックのゆえに悪魔と呼ばれたというのも、一般的にいわれるところです。

 

たとえばパガニーニも悪魔と取引をしたという逸話があって、ロバート・ジョンソンの場合もそのバリエーションではないかと……

  

しかし私は、どちらかといえば、エルヴィス・プレスリーやバディ・ホリーが悪魔と呼ばれたことに近いんじゃないかと思ってます。

 

以前も書きましたが、ロックンロール草創期のレジェンドたちは、出てきた当初は悪魔扱いされていました。

 

それは、旧来の伝統に従わないということによるものでしょう。

 

これまでの自分たちの価値観を破壊されることへのおそれが、“悪魔”というイメージに結実した……そんな側面もあると思います。

 

たとえば、ブルースでよく使われるⅠ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅴというコード進行がありますが、この中のⅤ→Ⅳという進行は、西洋音楽の伝統では間違いとされていたといいます。伝統的な音楽理論では禁じられていることが、ブルースではスタンダードなのです。

そうでなくとも、ブルースの音使いは、西洋の伝統において正統とされていた音楽からはだいぶかけ離れています。

ブルーノートと呼ばれる音は、現代音楽で一般的に使われる十二平均律の音とは微妙にずれていて、楽譜上に正確に記すことは不可能といわれます。

しかし、ではそれが不快な音なのかというと、これがそうとも言い切れない。

ある研究によれば、ロバート・ジョンソンの歌声は、ルート音以外ことごとく平均律の音から外れていて、むしろ純正律に近いといいます。

音律の話をし始めると、もうそれだけで本が一冊書けてしまうぐらいの長い物語になってしまうんですが……かいつまんでいえば、純正律というのはルネサンス期のヨーロッパで作られた、音の響きを重視する音律です。

本来純正律のほうが響きはきれいなはずで、人によっては、楽器の伴奏なしで歌うと自然にその純正な音程を出してしまう場合もあるといいます。しかしながら、平均律になれた耳からは、それはどこかずれているようにも感じられるでしょう。なんかずれてる気がするけど、聞いていると、むしろきれいな響きのようでもある……そういう不思議な感覚も、“悪魔”とみなされる理由だったかもしれません。


さらに、 リズムの点に注目すると、ロバート・ジョンソンのギターの特徴として、ポリリズムを取り入れていることが指摘されます。

ポリリズムとは、3拍子と4拍子など、違う拍を同時並行で演奏するもので、非西洋音楽によくみられます。

と、こうしてみてくると……ロバート・ジョンソンの音楽には、ルーツであるアフリカ系音楽の要素が色濃くにじみ出ていたのではないかと思えてきます。
ポリリズムはアフリカの民族音楽にもよくあるといい、また音律の点に関しても、民族音楽においては、十二平均律ではない“自然”な音律を用いることが普通であり(というよりも、十二平均律は数学的にかなり複雑な計算をしないと導き出せない)、それはどちらかといえば純正律に近いものになるはずなのです。
その音楽が“悪魔”とみなされたということの根底には、白人の“正統”から、黒人の“異端”に対する差別があったのではないか……とも思えます。


また、ロバート・ジョンソンには、今なお議論を巻き起こしている謎がいくつかあります。

 

たとえば、ロバート・ジョンソンの音源は、スピードが早められているといいます。

スピードを速めると、音の高さも高くなってしまう。つまり、わわわれがレコードで聴くことのできるロバート・ジョンソンの音源は、実際の彼のパフォーマンスとはかなり違ったものになっている可能性があります。

具体的には、20%ほど早められているということで……とすると、およそ短三度、つまり、カラオケのキー変更で+3にするぐらい変化することになります。これだけ高めると、だいぶ印象は変わるでしょう。そういわれて聞いてみると、たしかに残された音源から聞こえてくる彼の歌声は、不自然に高いような気もします。

ロック史をみれば、レコーディング後にテンポを変更された例というのはいくつもありますが、たいていは半音(カラオケの例でいえば、+1ぐらい)の範囲内におさまるもので、短三度ぶんも上げるのは異例です(ただし、部分的にオクターブ単位で操作することもある)。誰がなんの意図でそうしたのか、それとも間違いでそうなってしまったのかもわからないといいますが……そのあたりも、ロバート・ジョンソンにまつわる謎です。

そういったことまで考え始めると、ロバート・ジョンソンにまつわる謎は尽きません。そして、昔の音楽に関する研究がしばしばそうであるように、なかなか決定的な証拠は見つけにくい。そんなわけで、今なお侃々諤々の議論が続いているのです。いずれにせよ……彼が後のロックンロールに与えた多大な影響を鑑みれば、今後も、ロバート・ジョンソンは伝説であり続けるのは疑いないところでしょう。