ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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清水一行『兜町物語』

2024-04-02 20:23:16 | 小説


清水一行さんの『兜町物語』という小説を読みました。

 

清水一行といえば……経済小説というジャンルの草分け的存在。
いまだと、池井戸潤さんとか、そういう系譜の元祖といえる作家でしょう。『兜町物語』は、そんな清水一行自身の自伝的要素も含めた作品となっています。


兜町といったら、証券業の中心地。
今ではあまりそういうイメージもないと思われますが……銀行とはまた違う、勝負師的な気風をもつ世界でしょう。こういうと語弊があるかもしれませんが、堅実を旨とする銀行に対して、どこか博打のような要素があり、山っ気のある個性的な人物が集まっている感じです。

その証券業界において、4大証券の一角に数えられる「興業証券」が作品の舞台。
昭和40年、証券危機のなかで難しいかじ取りを任され、見事に危機を乗り切ったことで頭角をあらわし、最終的には社長にまでなった谷川欣治という人物が描かれます。
これは経済小説における一種の伝統で、実在の人物や会社をモデルにしつつ、適宜仮名を使って書くスタイルとなっています。本作に登場する谷川は、当時の日興證券にいた中山好三という人物がモデルだそうです。

経済小説においては、組織と個人の葛藤というのがしばしばテーマになりますが、本作もその一つでしょう。組織の論理、強者の論理で圧をかけてくる相手に対して、一個人が己一人の力で立ち向かい、その圧をはねかえす。その姿に、しがないサラリーマンが喝采を送る――という構図でしょう。
たしかに、そういう痛快さはありますが……しかし、この小説は、そこでは終わりません。
社長となった谷川は、ワンマン的な気質を見せ始め、その強引な経営手法を批判されるようにもなります。そして、証券業界の巨人である野村に対して果敢に戦いを挑み、志半ばで表舞台を去る――という、敗北の美学のような結末を迎えるのです。

80年代に発表された作品ですが、それから40年ほど経った今から見ると、時代の変化というものを感じます。
この作品にも登場する山一証券は、バブル崩壊の後に破綻。日興証券もまた、金融危機の荒波の中で大幅な再編を余儀なくされました。不正すれすれ、あるいは不正そのものやり方がまかりとおっていたらしい業界のあり方に、大きな問題があったんではないかと思われます。
本作において谷川がとった強引な経営手法も、バブルの時代にそのやり方でやっていたらやばかったんじゃないのか、とか、今やったら大問題になるんじゃないかというところが少なくありません。
そういう意味では、いわゆる「古き良き時代」の物語ともいえるんじゃないでしょうか。
ここで描かれる兜町には、まだある種ロマンのようなものがありますが、金融自由化を経てグローバル化したいまの金融界はもっと殺伐とした世界でしょう。そこで経済小説を描こうとしたら、もっとピカレスクじみたものにならざるをえないんではないかと。


ちなみにですが、フリーアナウンサーの竹内由恵さんは、清水一行の孫にあたるんでそうです。
意外な関係があるもので……



小林泰三『大きな森の小さな密室』

2023-10-07 22:54:06 | 小説



ひさびさに、小説記事です。

今日10月7日は、「ミステリーの日」。

例年この日はミステリー映画について書いてましたが、今年は小説でいこうと思います。

とりあげるのは、小林泰三(こばやしやすみ)さんの『大きな森の小さな密室』。

 
小林泰三といえば私はずっとホラー作家と認識していて、まあそれは間違いではないんですが、この方はミステリーやSFの作品も多く書いているようです。
で、そのなかの一つとしてあるのが、この『大きな森の小さな密室』です。


この作品は、連作短編集となっています。
「倒叙ミステリ」や、「安楽椅子探偵」、「日常の謎」といったミステリーの趣向を各作品のテーマとしてかかげ、それらのテーマに沿った七つの作品を収録。SF作家でもあるということを活かして、SFミステリもありました。

一読した感想は、もう振り切ったミステリーというところでしょうか。
ペダントリーであるとか、怪奇趣味、文学性などといった余計な装飾は一切なくし、謎解きゲームとしてのミステリー性のみを追求した作品というか……ある意味、「純ミステリー」といってもよいかもしれません。ここまで振り切ってしまえば、いっそすがすがしい。坂口安吾と同様、ミステリーがホームでないからこそ、ミステリーを書くときにはその方向に振り切れるということでしょうか。ミステリーの日にとりあげる作品としてふさわしいといえるでしょう。

収録作の中で私がとりわけ傑作と思ったのは、「バカミス」をテーマにかかげた「更新世の殺人」。
バカミスというのは、その言葉から想像がつくとおり、ばかげたミステリー……あまりにもぶっとんだ設定や現実離れしたようなトリックが出てくる推理小説ということです。
本作は、まさにそれを地でいくように、死亡推定時刻150万年前という殺人事件が描かれます。
無茶苦茶な話ですが、バカミスと銘打って堂々とやれば、これもまた潔い。そして、そういうばかげたミステリーでありつつ謎解きはなかなか高度というのが、バカミスの面目躍如といえるでしょう。バカミスならではの、バカミスだからこそ成立するトリックが、うまく決まっています。

ちなみに、著者の小林泰三さんは2020年に亡くなっています。がんのためで、まだ58歳という若さでした。
はじめにも書いたように、さまざまなジャンルで業績を残してきた方ですが……ミステリー界においては、“正統派異端”ともいうべき存在だったのではないでしょうか。




司馬遼太郎『城塞』

2023-08-03 22:08:16 | 小説


司馬遼太郎の『城塞』を読みました。

 

シバリョウさんは、今年で生誕100周年を迎えます。
音楽関係の話では50周年という話をしていて、クイーンが50周年、エアロスミスが50周年ということなんですが、司馬遼太郎は100周年。そこで、ひさしぶりに読んでみようかと。しかしなんだかんだいって主要作品は結構読んでいるので、未読の作品のなかでまあ、それなりにメジャーであろうという作品を選ぶと、この『城塞』となりました。


ここでいう城塞とは、大坂城のこと。
いわゆる「大坂の陣」を描く作品です。
徳川VS豊臣、戦国の世を名実ともに終わらせる最後の大合戦……今年の大河ドラマは徳川家康ということでやってますが、そのあたりともからんできます。
その『どうする家康』ですが、だいぶ視聴率が伸び悩んでいるとも聞きました。
脚本がどうとか、美術がどうとか、史実と違いすぎるとか、いろいろ理由は考えられるでしょうが、もっと根本転機なところで、徳川家康という人物の不人気に負う部分が大きいのではないかと個人的には思います。

『城塞』を読んでいると、とにかく家康という人物は非常にイメージが悪いです。
手練手管を弄して大名たちを服従させ、圧倒的な数で大坂をつぶそうとする。そうして、数にまかせて力押ししているにもかかわらず、真田幸村らの猛反撃に遭い、一時は本陣にまで斬りこまれ、命からがらで逃走する……カッコ悪すぎでしょう。まあ、司馬遼太郎一流の脚色もあるでしょうが、それにしても無様なのです。

そうすると、策謀を尽くす古狸に立ち向う大坂城の将たちのほうが断然かっこいいという話になってきます。
家康の率いる大軍を迎え撃つのは、真田幸村をはじめとする“大坂城七将星”とも呼ばれる武将たち。「七将星」なんていう呼び方からして、もうかっこいいでしょう。(ただし、『城塞』に「大坂城七将星」という言葉は出てきません)
彼らには、それぞれドラマがあります。
秀頼の乳母子で義兄弟ともいうべき関係にあるイケメン武将・木村重成、父子にわたる豊臣家への恩義のためにすべてを捨てて馳せ参じた毛利勝永、切支丹復興のために戦う明石掃部など……家康への忖度に終始し、お家大事と強い者にひたすらこびへつらう東軍方の大名らに比べれば、彼らのほうに肩入れしたくなるのが人情というものでしょう。
しかし、やはりこれは“敗北の美学”なのです。
老獪で卑劣な権力を相手に筋を通してよく戦った、結果として負けたけど……という例のあれです。
それはそれで余韻を残しはしますが、やはりそれだけで終わってはいかんとも思うのです。敗北の美学をこじらせると、「清廉潔白なものは勝つことができない」から「勝者は勝利している以上清廉潔白ではない」となりかねず、実際日本の社会運動はそのレベルにまでこじらせてしまっているケースがあるように私には思われます。こうなってしまうと、はなから敗北を前提とした戦いを延々と続け、うっかり勝ちそうになると慌てて後退するというような……日本の左派運動はそういうところがあるんじゃないでしょうか。
そういうふうにみると、ここに描かれる敗北の美学は、日本における権力のあり方と、それに抗する抵抗運動のあり方を象徴しているようにも感じられます。


いっぽう“敗北の美学”と対になるのが、“カッコ悪い勝者”としての徳川家康ということになります。
一応家康を弁護しておくと……彼にしてみれば、強い者が戦に勝ち天下をとって何が悪い、ということでしょう。大名らが家を維持するために強い者の傘下に入るのは戦国の世では当たり前のことであり、そこに旧主への忠義などという価値観は入り込む余地がない、といわれればそれまでです。現実問題として、徳川家が完全勝利することで平和な世が到来するわけであり、一般庶民としてみればこれは歓迎すべきことで、武家の論理で乱世が続くのはたまったものじゃないということになるかもしれません。
徳川家のほうも、秀頼が一切復権可能性がない状態で隠居すれば矛をおさめるという一応の譲歩はしています。それ自体無茶な要求ではありますが、江戸時代の終わりに徳川家が同じ立場に立たされたときには、実際にそうすることで大戦争を回避しているわけで……まあ、徳川家として筋はとおっているともいえるでしょう。
と、そんなふうに考えれば、家康を非難するのは筋違いかもしれません。
しかし、そうはいってもやはり、この小説に出てくる家康を好きにはなれないんですが……



フレデリック・フォーサイス『オデッサ・ファイル』

2023-06-16 23:16:07 | 小説


フレデリック・フォーサイスの『オデッサ・ファイル』を読みました。

だいぶ前に入手したものの、積読状態になっていた一冊。今回は、小説記事としてこの作品を紹介したいと思います。


フレデリック・フォーサイスという人は、国際謀略サスペンスというようなジャンルで有名な人です。
最近書いてきたプログレ系の記事ともちょっとつながってくるところがあります。
たとえばピンクフロイドの「戦争の犬たち」という曲がありましたが、フォーサイスに同じタイトルの作品があります。それは単にタイトルが同じというだけですが、この作品が映画化されていて、その映画で音楽を担当しているのが、エマソン、レイク&パーマーのキース・エマソンだったりします。

で、『オデッサ・ファイル』です。

オデッサと聞けば、旧ソ連、現在はウクライナにある地名をまず思い出します。それで冷戦を背景にしたソ連のスパイがという話で、いまのウクライナ戦争につながるようなエピソードも出てきたりするのではないかと思っていましたが……読んでみると全然違っていました。
ここでいうODESSAとは、かつてナチスドイツで蛮行のかぎりを尽くしたSS(親衛隊)の生き残りが戦後につくった組織。Organization Der Ehemaligen SS-Angehorigen の略ということです。
彼らは、戦後のドイツにおいて、戦犯追及の妨害やナチの思想・行動を正当化するプロパガンダなどの活動を行っていたといいます。
また、オデッサは、「敵の敵は味方」という理屈で、イスラエルと敵対するアラブ諸国に力を貸していました。それが中東戦争にからんできて、国際謀略サスペンスになるわけです。

フィクションではありますが、事実をもとにしている部分も相当あります。
その区別は私の知識では判然としないところも多々ありましたが、少なくともメインテーマである“オデッサファイル”というものは実際に存在したようです。
オデッサはナチの残党が作った秘密結社のような組織で、その構成員たちは素性を隠してドイツ社会に潜伏しているわけですが、そんな彼らの名簿のようなものが密かに存在していました。これが白日の下にさらされれば、オデッサは窮地に陥る。決して部外者の手に渡してはならない……まさに映画のような話ですが、こういうことが現実にあったわけです。
このオデッサファイルというものをテーマにしているだけでも、読み応えのある作品となっています。
これがいわゆるマクガフィンとなってサスペンスが展開されるわけですが、オデッサファイルは単なるマクガフィンといってしまえるものでもありません。
オデッサという組織の存在や、それが形成されるにいたった歴史もまた、本作の重要なテーマであるでしょう。
『オデッサ・ファイル』は、ナチのような無茶苦茶なことをやった国が過去の歴史とどうむきあうのかという難しさを考えさせられる作品でもあります。
一般国民の間には過去のことにはあえて触れたくないという感情もあり……そこにオデッサのプロパガンダ工作もあるわけです。ドイツの警察は逃亡しているナチの戦犯を捜し出して裁きにかけることになっているわけですが、内実ではあまりそうした活動に積極的ではない。積極的にやろうとする人物がいると、人事面で冷遇されるようになるとか……戦争責任追及に表立って反対こそしないものの、暗黙のうちに避けているという微妙な空気があるようです。このあたりは、ドイツと同盟国だった日本も、他人事ではないでしょう。
この小説の主人公は、いくらか個人的な動機から調査を開始しますが、あちこちで壁にぶつかります。サスペンスということなので、オデッサ側の妨害もあるわけですが、むしろ、過去と向き合うのを避けようとする一般国民の姿勢のほうが障壁となっているようでもあります。
幾重もの困難を潜り抜けて、主人公は最終的に追い続けてきた獲物“バルカン”と直接対峙します。
自分たちこそが正しく、愛国的であり、戦後の若者を誤った考えを吹き込まれている……と主張するバルカンに対して、主人公は毅然と反論します。SSとその残党であるオデッサを「ドイツが生んだ最もけがらわしいクズ」と喝破するのです。そして、オデッサファイルが公表されたことによってオデッサは致命的な打撃を受け、イスラエルに対して画策されていた危険な陰謀も未然に阻止されるのでした。

しかしながら、オデッサが完全に壊滅したわけではありません。
ネオナチは、21世紀にいたるまで根強く存在し続けています。
オデッサというのは、実際には単一の組織ではなく、ナチの残党やその共鳴者たちのゆるやかな結合体だったようです。中東のテロ組織のようなもので、どこかに頭があるわけではなく、ゆえに全体を壊滅させることは難しいという……したがって、オデッサと呼ばれることはなくとも、その結合体は今にいたるまで存在し続けているということでしょう。


最後に、ちょっとピンクフロイドの名前が出てきたので、またロジャー・ウォーターズの近況について。
ロジャー・ウォーターズが、反ユダヤ的であるとして、ドイツでのライブが中止になったという話を前に書きましたが、また似たような別の件ももちあがっています。ロジャーが、ベルリンでのライブでSS風の衣装で登場したということで警察の捜査を受けているというのです。
彼の場合は、ナチの残党と関りがあるとかいうようなことではないでしょうが……しかし、ひねくれ、逆張り思想でナチズムを肯定するようになってしまう者がいる、それがヒトラーの亡霊をいつまでも生きながらえさせてしまうというこの問題は、なかなか根深いものがあるなと思わされます。



今邑彩『卍の殺人』

2022-12-12 21:51:18 | 小説


今邑彩さんの『卍の殺人』を読みました。

これは、鮎川哲也賞のはじまりとなった作品です。
本格ミステリの牙城ともいえる鮎川賞は、もともとは東京創元社が主催したミステリーの公募企画でした。鮎川哲也御大が推理小説シリーズ「鮎川哲也と十三の謎」を刊行する際に、その最終巻を公募したもの……そこでこの作品が「十三番目の椅子」を獲得。これがきっかけとなって、鮎川哲也賞という賞が誕生したのでした。

内容は、鮎川賞前夜にふさわしい本格ミステリとなっています。

卍型の屋敷で起こる殺人……いわゆる“館モノ”の範疇に含めてよいでしょう。特殊な構造を持った屋敷で次々と奇怪な事件が起こるという、ミステリーとしては古式ゆかしい舞台設定です。
ネタバレになるので詳細は書けませんが、ちょっとだけ内容を書くと、二重の解決になっています。
いったん謎が解けたかにみえた後、さらにどんでん返しがあるという趣向……
それ自体は珍しいものではありませんが、この作品ではその仕掛け方がすごい。
ミステリを読みなれていれば、残りのページ数でそういう展開が待っているんだろうなという予想はつくものですが、しかし、ここからどうやってどんでん返しするのか、できるのか……と思っているところへ、鮮やかにどんでんを返してきます。どうしたってそれ以外の解決はありえないだろうというぐらいに固めておいてから、それを覆す……その志の高さと、高く設定したハードルを超える実力。たしかに鮎川の系譜につらなる職人肌のミステリーという感じです。


しかしながら、刊行当初はずいぶん辛口の評価も受けたようです。
私が読んだ中公文庫版のあとがきでは「褒めているのは、お義理で出版社から頼まれた評論家だけ。ミステリーファンの間では酷評に近かったんじゃないかな」と本人が回顧しています。
この点について、その当時のいわゆる「新本格ブーム」に便乗するようなかたちに見られたためではないかと本人は分析しています。まあ、その新本格ブームの本流に位置する作家たちにしても、デビュー当初酷評を受けたという点は変わらないわけなんですが……ただ、そういう事情があったので、今邑彩さんはその後ちょっと作品の傾向を変えていきました。ただ、“職人肌のミステリー”という点は、変わっていません。今邑彩という人は、たしかに鮎川哲也が用意した十三番目の椅子にふさわしい作家だったといえるでしょう。