ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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掌編「夏祭り」(1)

2022-08-30 22:51:31 | 山田湯


今回は、ひさびさに短編小説をやろうと思います。

先日、山田パンダさんについての記事を書きましたが……山田といえば、ということで、私のなかでシリーズになっている“山田湯”の短編。
季節にあわせてということで、「夏祭り」と題した一編です。ジッタリン・ジン/Whiteberry の「夏祭り」をモチーフにしています。夏祭りというには、ちょっと遅くなってしまいましたが……

一応簡単に基本設定を説明しておくと、銭湯・山田湯の娘である山田聖美を主人公とするストーリーです(ミステリーではありません)。前回と同様、縦書きのために画像にして掲載。たぶん、三回ぐらいにわけてアップすると思います。


(ちなみに、トップ画像は写真素材 - フォトライブラリー photolibraryからダウンロードしてきました)
































山田パンダ「明日の恋人」

2022-08-27 22:18:09 | 音楽批評


今回は、ひさびさの音楽記事です。

このカテゴリーでは、もうだいぶ前のことになりますが、南こうせつ、伊勢正三というフォークシンガーについて書きました。それはかぐや姫のメンバーということだったわけですが……第二期かぐや姫には、もう一人のメンバーがいます。
それが、山田パンダさん。
ということで、今回とりあげるのはこのパンダさんです。



山田パンダ――本名、山田嗣人。

この方は、佐賀県の神埼というところの出身。
その後福岡県の筑後地方で少年時代を過ごしておられたということで……私にとってはほぼ同郷ということになり、そういう点でちょっと親近感があります。

パンダという芸名からはどこかほのぼのとした感じも漂ってきますが、非常に頭のいい方のようです。
中学校ではトップクラスの成績だったそうで、高校は久留米附設というところにいっていました。
このあたりは、まさに私の地元の話になってきます。久留米附設といえば、筑後近辺ではトップクラスの名門校。ここからも、秀才ぶりがうかがえるのです。
その附設は中退ということだそうですが、大学は明治と、これも名門に。
そしてその大学時代に、山田パンダさんはシュリークスというグループを結成しました。
このシュリークスに在籍していた保坂としえという人が後のイルカさん……というのは、いつかも書いたとおり。
そして、そのシュリークスを経て、パンダさんは南こうせつさんの第二期かぐや姫に参加するのです。伊勢正三というもう一人の才人も得て、かぐや姫は70年代フォークを代表するグループにのしあがった……というのも、以前書いたとおり。

かぐや姫が解散した後は、パンダさんもソロで活動。
また、今年亡くなった山本コウタローさんとも親交があり、山本山田というユニットをやったりもしていました。


ソロ活動では、フォーク界隈の大物がよく関わっています。
師と仰ぐ吉田拓郎さんをはじめとして、あの「神田川」の詞を書いた喜多條忠さんであったり、ギターの石川鷹彦さんであったり……作詞では、岡本おさみさんの作もありました。
そして変わり種なのが、この記事のタイトルに掲げた「明日の恋人」。
この曲にはなんとムーンライダーズが参加しているという……そこが私としては注目ポイントです。
ムーンライダーズといえば、日本を代表するニューウェイヴバンド。もはや、フォークの枠すら超えています。フォークの枠を超えるフォークシンガーは少なくないでしょうが……しかし、そうしてつながった先がよりにもよってムーンライダーズというのが、ただ者ではないという感を抱かせるのです。


こうして書いてきてみると、山田パンダさんの芸歴には、多くの重要アーティストが関わっています。
おそらく一般的な知名度はあまり高くないと思われますが、アーティスト仲間からはリスペクとされる、いわゆるミュージシャンズ・ミュージシャン的なところがあるのでしょう。かぐや姫にしても、はじめは断っていたのをこうせつさんが再三にわたって要請したために承諾したといいます。そのあたりも、パンダさんがミュージシャン仲間から受けていた評価の反映じゃないでしょうか。

最後に……
ふと思い立って神埼に行ってきたので、その風景を。



いかにも佐賀の田舎だなあと感じる風景です。
神埼にいたのは子供のころのごく一時期のようですが、パンダさんの曲を聴いていると、この風景が根っこのところにあるように思われます。

かぐや姫の「僕の胸でおやすみ」なんかがその典型だと思うんですが、からっとしていて、それでいてしんみりとした趣があり、どこか讃美歌めいてすら響く清冽さがあり……その原点が、佐賀の農村にあるのではないか。今回神埼にいってみて、そんなふうにも感じられました。



ウクライナ侵攻開始から半年

2022-08-24 19:48:51 | 時事


ロシアによるウクライナ侵攻開始から半年が経ちました。

いよいよ消耗戦という様相になってきましたが……この頃は、ウクライナ側からの反攻の話がちらほら聞こえてくるようにもなりました。
欧米から供給された武器を使用できるようになったことが大きいでしょう。
単なる膠着状態ではなく、ウクライナ側から押し返す動きも相当強まっているようです。

この状況を受けてか、ロシア側はウクライナに対して和平交渉を打診してきているといいます。

しかし、ウクライナ側としては乗り気でないようで……ロシアが態勢を立て直すための時間稼ぎを目論んでいるにすぎないとして一蹴のかまえをみせています。
仮に和平交渉がはじまったとしても、そう簡単に話がまとまらないであろうこともたしかです。
ウクライナとしては、クリミア奪還までを目指しているということなので、そうなると和平交渉も簡単ではないということになるでしょう。


こうしてウクライナの反転攻勢というフェイズに入ってくると、戦闘をどこまで続けるべきかということがまた問題になってきます。

とにかく停戦を優先すべきではありますが……

しかしたしかに、ウクライナが主張するように、ロシアがそれを時間稼ぎに利用する危険は大きいといわざるをえません。そのあいだに態勢を立て直し、折り合いがつかなかったといって席を立ち、戦闘を再開……大いにありそうなことです。それができない状態を確保するかたちで交渉は行われるべきでしょう。

むこうから打診してきている以上、とりあえず交渉をしようといえばロシアがそこに乗ってくるのはたしかであり……問題はその先、「いったん停戦したあと侵攻再開が不可能な状況」をどう担保するか……国際社会は、そこに知恵をしぼるべきではないでしょうか。



ミュシャ展を振り返る

2022-08-23 17:07:36 | 過去記事

ミュシャ展にいってきました
ミュシャ展にいってきました。アルフォンス・ミュシャ……いわずとしれた、アール・ヌーヴォーを代表するアーティストですね。そのアーティストが去年から今年にかけて日本ツアーをやって......


過去記事です。

だいぶ前の記事ですが、ミュシャ展について書いています。

ちょっと前に、世界の名画を集めた画像素材集みたいなものを入手したんですが……そのなかにはミュシャも含まれていました。
せっかくなので、その画像でミュシャ展を振り返ってみようと思います。


看板にも使用されている「ビスケット・ルフェーヴル・ウティール」。


これはカレンダーで、下の方に細かく書いてあるのが日付ということです。
もともとは普通の画家を目指していたミュシャですが、その方面に進むのはなかなか困難でした。能力の問題というよりも、経済的な面で……そのため、ひとまず生計を立てるために装飾画などの仕事をしていました。しかし、その世界でミュシャは才能を開花させていくのです。このお菓子会社のカレンダーもその一環ということでしょう。


出世作となったポスター「ジスモンダ」。


これは劇のポスターです。
リトグラフという技法が生まれ、ポスターが美術の新たな舞台として注目されはじめた時代……ミュシャは、その時代に適合したアーティストでした。
このポスターのモデルとなっているのは、女優サラ・ベルナール。
彼女はミュシャのポスターを非常に気に入り、舞台衣装や装飾品などのデザインも依頼するようになりました。ポスターも、数点制作しています。
下は、そのなかの一つ「サマリアの女」のポスター。




これはサラ・ベルナールではありませんが、代表作の一つ「黄道十二宮」。
ただし、ミュシャ展で展示されていたものとは別バージョンです。



もともとは印刷会社のカレンダーとして制作されたものですが、後にいろんなところに転用されていたとか。リトグラフというのは版画の一種なので、そういうことができるわけです。
ここに載せた画像は、雑誌『ラ・プリュム』のカレンダーで使用されたバージョン。


最後に、これはたしかあのときの展示にはなかったと思いますが……『スラヴ叙事詩』のなかの一作「〈ルヤナ島のスヴァントヴィト祭〉ー神々が戦う時、救いは芸術にある」です。


デザイナーとして名をなしたミュシャですが、正統派の画家として絵を描きたいという願望はずっとあったようで……晩年に帰国してから、大作『スラヴ叙事詩』に取り組みました。
その頃はまだオーストリア=ハンガリー帝国というものが存在していましたが、第一次大戦を経てこの帝国は崩壊、新たにチェコスロヴァキア共和国が建国され、ミュシャはその国章、郵便切手、紙幣などのデザインに携わったといいます。
その後チェコはナチスドイツによる支配という目に遭うわけですが……その時期ミュシャは、フリーメイソンの会員であったことからゲシュタポに逮捕されたりもしたそうです。(年譜にそんなことがさらりと書いてあって驚かされました)
これが1939年の春のことで……それから数ヵ月後の7月14日にミュシャは世を去ります。
享年79歳。
幸か不幸か、第二次世界大戦という未曽有の大戦争を目の当たりにすることはありませんでした。





ブログ五周年

2022-08-20 17:39:00 | 日記


本日をもって、このブログも五周年をむかえました。

最近ちょっと夏バテ気味で更新頻度が落ちてますが……そろそろ暑さもおさまってくると思うので、またいろいろ書いていこうと思います。

というわけで、今後ともよろしくお願いします。