先日の記事で、台風19号における避難所での“ホームレス拒否問題”を取り上げました。
この問題は今もくすぶっていますが……今回は、これについてもう少し思うところを書いておきたいと思います。
実際に現場にいた職員は、今回の件について、上から通告されたとおりにしただけだというかもしれません。
自分たちは、上から与えられたルールに従っただけなんだと……
私はここで、『X-MEN ファーストジェネレーション』という映画を思い出します。
あの映画のエリック(マグニートー)は、ナチス支配下のゲットーで母親を殺害されたという過去を持っています。
最後に人類がX-MENたちに攻撃をしかけてきたとき、チャールズはマグニートーにむかって「彼らはただ命令に従っているだけだ」と、反撃するマグニートーを止めようとします。そのチャールズに対してマグニートーは「命令に従うだけのやつらが俺の母親を殺した」と反論するのです。
はっとさせられるせりふです。
命令に従うだけでいいのか……
実際のところ、軍隊においてさえ、上官の命令に絶対服従ということではありません。
もし上官が法令に違反するような命令を下した場合、命令を受けた側は従う必要がありません――というよりも、従ってはいけないのです。そういう場合、兵士は上官の命令を拒否しなければなりません。
もっとも、現実にそれができるかはなかなか難しいでしょう。
おそらく、実際にやったら、部隊の中で孤立し、戦闘中に見殺しにされるといったようなリスクを負うのではないかと思われ……それでもなお告発するというのは、相当な勇気がいります。
しかし、今回の“ホームレス拒否”騒動でいえば、現場にいた職員から「それはおかしい」という声が出なかったのか。
今回の措置は、災害救助法違反や、もっと根本的に憲法14条違反という指摘があります。
そのことに思いいたり、区の方針に異議を唱える人はいなかったのか。
もちろん実際に違法であるかどうかは個人の判断で決定できることではありませんが、それが違法であったとすれば、異議を唱えなかったことは、なすべきことをなさなかった不作為ということになります。疑念があれば、その疑念を提示することはできははずです。
もちろん、勇気のいることではあるでしょうが――戦場の例に比べればマシでしょう。
私自身、もしその立場に置かれていたら、しっかり異議を申し立てることができたかと考えると、自信をもってイエスと言い切ることはできませんが……しかし、その勇気を示す人が一人ぐらいいてもよかったんじゃないか。そのことが、寂しく思われます。
ここで、もう一度ナチスの話に戻ると――
ドイツのメルケル首相は、今年、ヒトラー暗殺未遂事件の記念式典で「不服従が義務となりうる瞬間がある」と語りました。
ナチスの支配するような社会では、その支配者に従わないことが義務でさえありうるというのです。
それは、いま目の前にあるルールよりもさらに上位の価値に対する義務です。
日本では、何かにつけ、閉鎖的な集団内でのルールが独り歩きして神聖化されてしまう傾向があるようですが……そういう世間では、実は、ルールを守ることがときに背徳でさえあるのではないか。そんなときに、不服従という勇気が必要なのではないか――そんなことを思いました。