ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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旧優生保護法訴訟について

2019-05-30 22:52:14 | 時事



2日前のことですが、旧優生保護法に基づく不妊手術強制問題に関する訴訟で、判決が出ました。

旧法を違憲と認めつつも、賠償請求は棄却。少なくとも形式的には、原告敗訴ということになりました。

除斥期間の合理性や、国の立法不作為を認めるかどうかというのは難しいところで、二審以降が注目される(原告側は控訴を検討しているとのこと)ところですが……ただ、旧法を違憲と認めたことは、大きいと思います。

ここから得るべき教訓は、「悪法もまた法なり」ですべて受け入れていればいいというわけじゃない、いやむしろ、受け入れてちゃいけないときもある――ということでしょう。

法律で決まってるからそれが正しいということじゃないんですね。

法律だって、つまりは人間が作ったものです。問題があるかもしれないし、もしかしたら憲法に反しているかもしれない。
日本の場合、なにか具体的な問題が生じてからでなければ裁判で違憲性をあきらかにするということもできません。(できるという法学上の議論もあるようですが、現実にそういう運営はされていません)
つまり、今はまだあきらかになっていないだけで、実はある法律なり制度なりが憲法に違反しているという状態がありうるわけです。

そうであるからこそ、“異議を唱える”ということが重要なんです。
誰も異議を唱えなければ、その状態がずっと続いていくことになりかねないからです。

このブログで何度も書いてきましたが、日本では、異議申し立てが煙たがられる傾向が非常に強いように思われます。
そしてそれが、変革されるべきことが変革されずに、いつまでも旧態依然たる悪弊が温存されていくことにつなっているんじゃないか……そんなふうに思えてならないのです。

ピーター、ポール&マリー「花はどこへ行った」(Peter, Paul and Mary - Where Have All the Flowers Gone)

2019-05-28 16:15:02 | 音楽批評
先日、中東情勢緊迫という記事を書きました。

その前には、戦争ファンタジーという記事も書きましたが……どうも、また戦争が起きそうな気配が高まってきているように感じられます。
アメリカという国は、第二次大戦後、10~20年ぐらいのスパンでそれなりの規模の戦争を繰り返してきました。それを考えれば、いまアメリカがまた戦争を始めたとしても、残念ながら驚くにはあたらないでしょう。
もっとも緊迫しているのはイランとの関係ですが、世論調査によると、アメリカ人の半数が数年以内にイランと開戦すると予想しているのだそうです。アメリカの場合、戦争はファンタジーではなくて、ときどき起きるそれほど特殊でもない出来事になってしまってるんでしょうか……

そんな状況に異をとなえる反戦歌の一つとして、前回の音楽記事ではエドウィン・スターの「黒い戦争」を紹介しました。
今回もその流れで、戦争の愚かしさを歌う歌を紹介しましょう。

「花はどこへ行った」です。

ピート・シーガーの作った歌で、とても有名な反戦歌。ピーター、ポール&マリーをはじめとして多くのアーティストに歌われています。日本語詞もあって、このブログにたびたび登場する忌野清志郎も歌いました。


 野に咲く花はどこへいった

とはじまるこの歌は、次のような短い詞の繰り返しとなっています。


  花はどこへ行った
  長い時がすぎて
  花はどこへ行った
  遠い昔に
  花はどこへ行った
  若い娘たちがつんでいった
  ああ いったいいつになったら
  わかるのだろう


この詩の単語をちょっとずつ変えながらの、繰り返しです。

「花はどこへ行った」→「若い娘たちがつんでいった」というところから、「若い娘たちはどこへ行った」→「夫たちのもとへ嫁いだ」、「夫たちはどこへ行った」→「兵士となった」、「兵士たちはどこへ行った」→「(戦死して)墓場へ行った」……そして最後に、「墓場はどこへ行った」→「花畑になった」となり、一周して元に戻るわけです。ここで、最初にあった「いったいいつになったらわかるのだろう」というフレーズの意味もはっきりするわけです。
いったい何度同じことを繰り返せば、その愚かしさに気づくのか――まさにいま、戦争が起きるかどうかという岐路にたっているアメリカの人たちに聞いてほしい歌ではあります。

ブラジル軍事独裁政権について

2019-05-25 21:31:56 | 日記
以前このブログで、カエターノ・ヴェローゾについて書きました。

そこでブラジルの軍事政権のことをちょっと書いたのですが……今回は、そのブラジル軍政について、書いてみたいと思います。


ブラジルの軍事政権は、他の中南米諸国と同様、ポピュリズム政権を軍がクーデターで倒したところからはじまります。
ポピュリズム政権は行き詰まりをみせており、軍はそこをついてクーデターを決行。キューバ革命以降、中南米での左派勢力拡大に警戒心を抱いていたアメリカをバックに、軍事独裁政権を樹立します。
行政府への権限集中、その結果として、国会の有名無実化、人身保護規定の停止、マスコミへの検閲――軍事独裁政権のおきまりのパターンで、国民の自由は奪われていきます。政府への批判的な報道は封じられ、政府が「危険人物」とみなした者は、令状なしで逮捕され、拷問される。およそ20年にわたる「鉛の時代」のはじまりで、その抑圧の中で多くの知識人がブラジルを離れていきました。カエターノ・ヴェローゾも、その一人です。

このブラジル軍政は、経済的には一定の成果を出したといわれます。

先述したとおり、ブラジル軍政は共産主義の浸透を防ぎたいというアメリカを後ろ盾としていたわけですが、それは経済政策にもくっくりと反映されています。
共産主義と対極にある、極端な経済的自由主義――いわゆる“新自由主義”を取り入れていくのです。

新自由主義を代表する経済学者といえばミルトン・フリードマンですが、その一派は、シカゴ大学を拠点としていたことからシカゴ学派と呼ばれます。
そのシカゴで学んだブリードマンの門下生たちは、シカゴボーイズと呼ばれ、南米の軍事政権で経済政策に関与していくのです。
ブラジルの場合、カンポスやシモンセンといった人たちがそれにあたるといいます。

保護的な仕組みを取り払って、外資に門戸を開くその経済政策は、一定の成果をあげました。
年平均10パーセントを超える高い成長率で、「ブラジルの奇跡」とも呼ばれる経済発展を実現したのです。

しかし、軍事政権の開発主義は、およそ7年ほど経ったところで行き詰まりをみせます。南米諸国によくみられる現象ですが、外資に大きく依存していたために、石油危機後の先進国の経済不況で資本流入がストップすると、たちまち苦境に立たされることになりました。

その要因として指摘されるのは、内需の弱さです。

自由経済の必然として貧富の格差を拡大させ、結局は国内市場を拡大させることができず、外資と外需にたよるいびつな経済構造から脱却できなかった……ということでしょう。そのため、海外の経済状態が悪化すると、資本が滞るだけでなく、生産したものも思うように輸出できなくなり、国内に消費市場がなければもうどうしようもなくなってしまいます。
それまでは、経済的な恩恵があればこそブラジル国民も軍政を容認していたわけですが、それがなくなれば、もう「鉛の時代」を我慢する理由もありません。国民のあいだでは激しい反政府運動がおこり、軍事政権は終焉を迎えるのです。

つまるところ、新自由主義的な経済政策というのは、導入した当初の数年間はうまくいくけれど、しばらくすると必然的にうまくいかなくなるということだと思うんです。

中南米諸国では、ブラジルと同じように新自由主義的な政策をとった軍事政権がいくつかありましたが、ほかの国々でもやはり同じような問題が生じ、結局のところ、ラテンアメリカに相次いで左派政権が誕生するということになりました。

軍政期のブラジルは、「拷問の手法においてはナチスを上回る」とさえいわれる苛烈な弾圧体制でした。
仮に「奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げたとしても、果たして、それは抑圧的な独裁体制と釣り合うものなのか。ましてそれが数年しか持続しえないものだとしたら……

そういったことを考えると、いくら経済がうまくいっているように見えたとしても、やはり独裁体制というのはダメなんだと思いますね。抑圧的な体制の下では、まともな消費社会が生まれないので、いずれ何かのきっかけでつまづき、坂道を転げ落ちるようにして崩壊していくでしょう。

ジブリの大博覧会に行ってきました

2019-05-22 21:14:09 | 日記



福岡市博物館で行われている「ジブリの大博覧会」にいってきました。



全国を巡回している展示会で、福岡では3月からやっています。

博物館に入ると、いかにもジブリっぽい感じの飛空艇が迎えてくれます。




ナウシカやラピュタを制作していた際の進行表などが展示されていて、なかなか貴重なものを見ることができました。
もちろん撮影は禁止なので、ここに載せることはできないんですが……


制作の部分だけでなく、広報などに関する内部文書のようなものも展示されており、その中にはキャッチコピーなどに関するものも。
ジブリ作品といえば糸井重里さんのキャッチコピーで知られますが、そのキャッチコピーについてやりとりする手紙(ファックス?)も展示されてました。
たとえば『もののけ姫』の「生きろ」というコピーですが……そこに行きつくまでにいくつもの案があり、なかには「死ぬな」というのもあったといいます。


ジブリ作品は、ナウシカ、ラピュタである種のブランドとして確立したと私は勝手に思ってるんですが……今回展示されている文書の中で説明されていたところでは、90年代前半ぐらいで、 ある種「あきられ」てきたという意識がジブリ側にもあったそうです。『耳をすませば』あたりで、興行成績の不振というかたちでそれがあらわれてきた。そこでジブリがブレイクスルー的な大作として取り組んだのが、『もののけ姫』です。
90年代前半には、一年一作のペースで新作を発表していましたが、そのペースを崩し、一年間新作を発表せずに、じっくり時間をかけて『もののけ姫』は制作されました。

「日本でアニメを制作していながら、なぜ日本を舞台にした作品を作らないのか?」という意識が宮崎駿監督にはあって、それが『となりのトトロ』をつくる一つの動機にもなっていたわけですが、その問題意識をさらに深化させ、現代社会につながる問題ともからめたテーマが『もののけ姫』に結実しています。
私個人としても、『もののけ姫』はジブリ作品の中で特別な作品という印象がありますが、やはり宮崎駿監督にとっても集大成的な位置づけの作品ということのようです。

グッズ販売もあったので、こんなものを買ってきました。




カード立てということですが、そのままテーブルの上に置いてあってもいいんじゃないかと思います。

グッズ販売では、王蟲のリアルなフィギュアなんかもあったんですが、値段が高く、そちらは断念……

展示会場には、かなり巨大な王蟲の模型や、ラピュタに登場するタイガーモス号の模型なんかもありました。さすがにそちらは販売されてませんが、ジブリファンなら一見の価値ありです。

6月23日までやってるそうなので、興味のある方はどうぞ。

憎悪・戦争……中東情勢緊迫

2019-05-20 19:48:08 | 時事
中東情勢が緊迫しています。

アメリカのトランプ大統領は、ツイッターで「もしイランが戦争を望むなら、イランの終わりとなるだろう」と、イランをけん制するツイートを発信しています。

アメリカと関係の深いサウジアラビアのタンカーやパイプラインが攻撃を受け、それをサウジアラビアによるものとして、いっているものと思われます。(ただし、トランプ大統領が直接そういっているわけではなく、イラン側も攻撃を否定している)

戦争にいいことなんかなにもないわけですが……いさましいことをいって戦争をやりかねない状況が、現にここに見られます。


ここで名曲を一曲。

クラッシュの「憎悪・戦争」です。
原題は、Hate & War
60年代フラワームーブメントの合言葉である Love & Peace を裏返しにしたもので、こんなふうに歌っています。


  憎悪と戦争
  いまの世の中 そればっかりさ

  たとえ目を閉じても 
  そいつは消えてなくなりはしない
  どうにかしなけりゃならない
  それが現実なんだ

攻撃を受けたら倍返し
  そんなふうに憎悪と戦争を背負って
  毎日がまったく同じ繰り返し
  

もしアメリカとイランが戦争になったら、かつてのイラク戦争とは比べ物にならない混迷を中東にもたらすでしょう。サウジだけでなく、イスラエルなんかもからんできて、へたすれば“中東大戦”のような状態を引き起こすおそれもあります。アメリカ、イラン、サウジ、イスラエル、さらにロシアや中東各地の武装勢力がからむ大戦争……それは、日本にも大きな影響を及ぼさずにいないでしょう。

戦争で何かが解決することなんかないわけなんです。

多くの死者、難民、経済的損失が生じ、戦争が終わった後も、武装勢力が跳梁跋扈する不安定な状態が長期にわたって続くことは不可避です。
とにかく、戦争は避けるべきであって、各国の指導者が賢明な判断をしてくれることを望むばかりです。