ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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楳図かずお『漂流教室』

2024-12-14 20:52:40 | 漫画


先日、「死んだ男の残したものは」という記事を書きました。

そこでは、今年亡くなった偉大なフォークシンガーと詩人について書いたわけですが……ちょうど谷川俊太郎さんが亡くなったのと同じころ、漫画の世界においても訃報がありました。
 
楳図かずお先生です。
 
88歳ということで、大往生といえるでしょう。
 
実に個性的で、偉大な漫画家でした。
ホラー漫画というフォーマットで深い文学性を感じさせる作風には、唯一無二のものがあったと思います。
 「深い文学性」という点で、私がまず思い浮かべる楳図作品は、『漂流教室』です。
 ヴェルヌの『十五少年漂流記』をモチーフにしているというところがポイント。
 そしておそらくは、その『十五少年漂流記』のパロディとして描かれたゴールディング『蝿の王』も意識していたものと想像されます。
 映画版『蝿の王』のDVDジャケットに楳図かずお先生のイラストが使われているというようなこともあって……
 
『漂流教室』は、その結末において、『十五少年漂流記』とも『蝿の王』とも違う展開を見せたところもポイントです。『蝿の王』とは、真逆といってもいいでしょう。詳細はネタバレになるので伏せますが、『蝿の王』のエンディングが一見救済に見えて救済ではないのに対して、『漂流教室』は、救いのない絶望のようでありながら、実はそこにこそ希望があるというエンディングでした。未来は何もない荒涼とした世界――しかし、だからこそ、そこに希望がある。絶望を希望へと鮮やかに転回させる、力強い結末です。

こういう、ホラー漫画を追求してその枠組みを超越した作品を書くかと思えば、『まことちゃん』のようなギャグマンガも書く。そんなレンジの広さも、楳図先生のすごいところでした。
漫画『地獄先生ぬ~べ~』に登場する“まこと”は、『まことちゃん』へのオマージュという部分があり……偉大な漫画家ゆえに、そういうふうに継承されていくものがあったということでしょう。そんな大家に、哀悼の意を表したいと思います。



松本零士『蜃気楼フェリー アイランダー0』

2024-02-22 22:34:02 | 漫画


先日、松本零士50周年プロジェクトについての記事を書きました。

思えば、松本零士先生に関しては、これまでにいくつも関連記事を書いてきましたが……たいていはアニメであって、漫画作品について書いたことはなかったと思います。
そこで今回は、漫画記事。
松本零士先生の作品として『蜃気楼フェリー アイランダー0』という漫画を取り上げようと思います。
このブログでは、AIの話題が最近よく出てきますが……このテーマについて、非常に考えさせられる作品でもあるのです。


舞台となるのは遠い未来、労働が禁じられた世界です。
登場人物の一人によれば

  今の世の中は人間は何もしちゃいかんのだ
  コンピューターがなにもかもやってくれる…
  人間は楽しく暮らして一生を終えればよい
 
というのです。

そんな世界で、惑星ミラージュに住む主人公・有紀嶺は、漫画家を目指しています。

労働が禁止なので、漫画を描くことももちろん禁止。しかもどうやら、漫画はとくに重罪とされているようで、発見次第抹殺。対象者が潜伏している場合は、その惑星を丸ごと焼き払うのもやむなしということになっているのです。
それでも漫画を描こうとするものはいて、有紀嶺もその一人ということになります。

そんな嶺が、アイランダー0という宇宙フェリーに乗って、宇宙を旅する……という、この基本設定は、銀河鉄道999に通ずるところもあるでしょう。実際、本作は999の後継作という位置づけにあるようです。

しかし、銀鉄がある意味システム側の存在であるのに対して、アイランダー0はシステムに抵抗する側の存在と言えます。つまりは、ハーロックのアルカディア号のような存在でもあるのです。
それゆえにか、銀河鉄道に比べてアイランダー0は非常に荒涼としています。

アルカディア号がそうであったように、魂が滅びゆく世界で魂を守り生きていく人間たちの船……そう、アニメ版ハーロックのエンディングで「君が生きるためならこの船に乗れ/いつか失くした夢がここにだけ生きてる」と歌われるアルカディア号とまさに同じなのです。

その船長こそが、蜃気楼船長アイランダー0。「働く人間の意志の集合体」とされる不可思議な存在です。この船長に認められることで、有紀嶺はその意志を継承する存在となり、地球へ向かいます。



去年あたりからAIが人間の仕事を奪うということがいよいよ現実味を帯び始め、このブログでも関連記事をいくつか書いてきましたが……この作品に描かれているのも、まさにそこでしょう。
AIが発達していけば、人間の仕事はなくなる。もしかしたらそれは、人間が仕事を奪われるということではなく、仕事をしなくてもよくなるということを意味しているかもしれない。しかし、では、AIがすべての仕事をこなして人間は何もしないという生活が果たして幸福といえるのか……
松本零士先生の答えは、明確にノーでしょう。

有紀嶺は、次のように語ります。


 いまの人間はなにもしなくてもいい
 考えごとさえコンピューター…人工頭脳がやってくれる世の中…

 それでもね
 いくら万能コンピューターでもやれないことがあるのさ!!
 人間だけにしかやれないことを
 おれはやるんだ

当然、そんなに優秀な頭脳を持っているのかという反論が出てくるわけですが、それに対して、自分が優秀でないことを認めつつ、嶺は続けます。


 でも…ぼくは夢を見るよ……
 与えられたプログラムだけじゃなくて
 …無限に次から次へ
 …自由に夢を見るよ

 ぼくは人間が考える夢を
 漫画に描く…
 それが生きがいさ

すなわち、生身の人間には、AIの持ちえない魂がある、ということでしょう。
漫画というのは松本零士先生自身の生業でもあるわけで、「人間だけにしかやれないこと」として漫画を題材に選んだのは、思い入れがあってのことと思われます。掲載誌の休刊など、大人の事情で短命に終わった作品ではありますが……『アイランダー0』は松本零士先生の持っていた問題意識を描いた重要作なのかもしれません。



さいとう・たかを『ゴルゴ13』

2021-10-03 21:42:40 | 漫画

先日、漫画家のさいとう・たかをさんが亡くなりました。

84歳。
大往生というところでしょう。
このネット時代ではもはや旧聞に属する話となりますが……今回は、この日本漫画界における巨星について書きたいと思います。



私は決してさいとう先生の熱心が読者ではありませんが……『ゴルゴ13』は、全部とはいかないものの、まあそこそこ読んでいるほうです。十年ほど前にアニメ化されたときには、ほぼ全話観たと思います。
おそらく代表作の一つであろう『サバイバル』も読みました。
『サバイバル』で描かれる、社会秩序の崩壊した世界……『ゴルゴ13』におけるデューク東郷が生きているのは、まさにそれと同じ無法の世界でしょう。正義など存在しない、頼れるのはただ己だけ……そんな世界です。このニヒリズムが、大きな魅力でした。
今回調べてみて知ったんですが、80年代に一度劇場版アニメが作られてるんだそうで……そのプレビュー動画がYoutube にあったので、リンクさせておきます。

【本編プレビュー】ゴルゴ13|” THE PROFESSIONAL- GOLGO 13”(1983)

ちなみに、ウィキ情報によると、デューク東郷の「東郷」という名前は、学生時代の教師からとられているそうです。

さいとうたかを少年が、試験など意味がないということでテストの答案を白紙で提出したところ、「答案を白紙で出すのは君の意思だからかまわないが、自分の責任の証明として名前だけは書け」といわれ、それに感銘を受けたといいます。
この責任の感覚が、まさに『ゴルゴ13』をただの殺し屋ではない物語にしているのです。
ゴルゴは、依頼を受けた以上、必ずその約束を守ります。たとえば死刑囚をあえて殺害にしにいくというエピソードがありますが、そのためにわざわざゴルゴは死刑囚として同じ牢獄に入り、ターゲットとともに脱獄し、監獄の外に出たところで依頼を実行に移すのです。死刑囚なのだから、法によって処刑されるわけですが、そこをあえて自分たちの手で葬らなければならないと考えたものがゴルゴに依頼する、そしてゴルゴは、誰が確かめているわけでなくとも、その依頼をやり遂げます。殺し屋という無法の世界においても、己の定めたルールは必ず守る――まさにこれが、ゴルゴのしびれるところでしょう。
その根底にあるのが、「責任の証明として名前を書け」という東郷先生の言葉であるわけです。
この言葉は、まさに、時代や国を超えた普遍性をもっています。
なにをなすにせよ、自分の意思でそれをする以上、自分の名前をあきらかにして責任を負えということです。記録を残さずに責任逃ればかりしている日本の意思決定者たちに欠けているのは、まさにこの部分でしょう。政治家も官僚も、ナントカ委員会の委員たちも、責任を負う覚悟がないからいい加減なことばかりをやっているわけです。
ゴルゴのニヒリズムには戦争体験が反映されているとはよく指摘されるところですが、さいとうたかをの頭には、この日本的無責任への嫌悪もあったことでしょう。責任逃れに汲々とする無様さの対極にあるかっこよさとして、一度依頼を受けた以上自分の責任は絶対に放棄しないデューク東郷という人物を創造したのではないでしょうか。そして、そうであるがゆえに、ゴルゴ13はインターナショナルな存在となったに違いないのです。




こちらは、数年前缶コーヒーにおまけでついていたゴルゴのフィギュア。
さいとう・たかをが生み出したプロダクションシステムによって『ゴルゴ13』はこれからも続いていくということです。デューク東郷のさらなる活躍を期待しましょう。



水木しげる「ごきぶり」

2021-03-25 20:09:02 | 漫画

先日このブログで、“水木しげる生誕100周年事業”というものを紹介しました。

水木しげる先生の生誕100周年をその前後3年間にわたって祝おうというもので、『鬼太郎』六期の劇場版や、『悪魔くん』の新たなアニメ化といったプロジェクトが発表されています。

……ということなので、このブログでも、この期間中おりにふれて水木先生の作品について書いていこうと思います。



さて、水木先生といえば、まずなんといっても漫画家です。

子供のころから絵がうまく、また、空想的な物語を語る才もありました。となれば、漫画家を目指すのも道理でしょう。
太平洋戦争中には南方戦争に行き、戦場で左腕を失いましたが、それでも漫画家として活躍しました。片腕であの絵を描いているというのはちょっと信じがたいことですが……

戦場での経験は多くの作品に影響していると思われますが、それを直接描いた作品もあります。

今回紹介するのは、そうした短編を集めた『敗走記』です。


このなかの「ごきぶり」という短編が、特に印象に残っています。

かつて空の勇者とたたえられたパイロットでありながら、戦後は戦犯として追われる身となった男の話です。

水木先生自身の兄が戦犯として巣鴨拘置所に入れられていたという経歴があり、その際兄から聞いた話をもとにして描いたといいます。

実際の先生の兄・宗平さんは、弟よりも長生きして2017年に亡くなっていますが、「ごきぶり」の主人公・山本は、戦犯として処刑されます。

かつては空の勇者だったのが、戦後は官憲に追われる身……ここに、戦争というものの不条理が描き出されているのです。

「歓呼の声で戦場に送り出した故郷が……今では俺に死をもって報いようとしているのだ」

と、山本はいいます。
一兵士として戦場でとった行動を果たして罪に問いうるのか。これは、現代の戦争にも通ずる大きな問題でしょう。
その一兵士は、ひとたび祖国に帰れば家族や友人もいます。この点を突いた物語のラストシーンは、じつに哀切です。

最後に、この作品集の表題作「敗走記」のラストで語られる言葉を引用しておきましょう。

  戦争は 人間を悪魔にする
  戦争を この地上からなくさないかぎり
  地上は 天国になりえない……




長谷川町子『サザエさん』

2021-01-30 22:38:41 | 漫画

今日は1月30日。

長谷川町子の誕生日だといいます。

国民栄誉賞も受けた漫画家……

今日はじめて知ったんですが、去年が生誕100年だったということで――まあ、今日を迎えたことで生誕101年となったわけですが――その生誕100年にあわせて、版権の問題で入手が難しくなっていた『サザエさん』の単行本が、再刊行されたりもしているようです。

 
『サザエさん』は、いうまでもなく、長谷川町子の代表作。

私が子供の頃、我が家には『よりぬき サザエさん』の単行本があり、よく読んでいました。

ユーモアセンスと、裸の王様を撃つ風刺精神……それは、新聞に連載される4コマ漫画として一つの理想形だったのだと思います。戦時中にスパイの疑いをかけられて一時身柄を拘束されたこともあり、その経験から軍国主義に対する嫌悪感を持ってもいたようです。さすがに『サザエさん』にあまりそういうことは書かれていないと思いますが、はっきりとそれを表明した作品が一本あったことは記憶しています。


敗戦後の占領期、まだMPというものが存在している時期にはじまった作品なんですが……しかし実は、このサザエさんという作品は、その時代から見た“古き良き時代”つまり、昭和初期ぐらいを念頭において描かれているといいます。
ということは、あの作品に描かれているのは、100年前の日本……道理で、磯野家の立地や家族構成などが奇妙なものになっているわけです。21世紀令和のいま、それはもはや時代劇といってもいいぐらいのレベルです。

しかし、それがいまでもアニメとして放映され続けている……これは、なかなかすごいことかもしれません。
原作は、新聞連載という性格上、しばしば時事問題も扱ってきました。また、意図せずして世相を反映している描写も多々あり……そんな『サザエさん』は、ある意味では近代日本の写し鏡でもあるのでしょう。