先日、松本零士50周年プロジェクトについての記事を書きました。
思えば、松本零士先生に関しては、これまでにいくつも関連記事を書いてきましたが……たいていはアニメであって、漫画作品について書いたことはなかったと思います。
そこで今回は、漫画記事。
松本零士先生の作品として『蜃気楼フェリー アイランダー0』という漫画を取り上げようと思います。
このブログでは、AIの話題が最近よく出てきますが……このテーマについて、非常に考えさせられる作品でもあるのです。
舞台となるのは遠い未来、労働が禁じられた世界です。
登場人物の一人によれば
今の世の中は人間は何もしちゃいかんのだ
コンピューターがなにもかもやってくれる…
人間は楽しく暮らして一生を終えればよい
というのです。
そんな世界で、惑星ミラージュに住む主人公・有紀嶺は、漫画家を目指しています。
労働が禁止なので、漫画を描くことももちろん禁止。しかもどうやら、漫画はとくに重罪とされているようで、発見次第抹殺。対象者が潜伏している場合は、その惑星を丸ごと焼き払うのもやむなしということになっているのです。
それでも漫画を描こうとするものはいて、有紀嶺もその一人ということになります。
そんな嶺が、アイランダー0という宇宙フェリーに乗って、宇宙を旅する……という、この基本設定は、銀河鉄道999に通ずるところもあるでしょう。実際、本作は999の後継作という位置づけにあるようです。
しかし、銀鉄がある意味システム側の存在であるのに対して、アイランダー0はシステムに抵抗する側の存在と言えます。つまりは、ハーロックのアルカディア号のような存在でもあるのです。
それゆえにか、銀河鉄道に比べてアイランダー0は非常に荒涼としています。
アルカディア号がそうであったように、魂が滅びゆく世界で魂を守り生きていく人間たちの船……そう、アニメ版ハーロックのエンディングで「君が生きるためならこの船に乗れ/いつか失くした夢がここにだけ生きてる」と歌われるアルカディア号とまさに同じなのです。
その船長こそが、蜃気楼船長アイランダー0。「働く人間の意志の集合体」とされる不可思議な存在です。この船長に認められることで、有紀嶺はその意志を継承する存在となり、地球へ向かいます。
去年あたりからAIが人間の仕事を奪うということがいよいよ現実味を帯び始め、このブログでも関連記事をいくつか書いてきましたが……この作品に描かれているのも、まさにそこでしょう。
AIが発達していけば、人間の仕事はなくなる。もしかしたらそれは、人間が仕事を奪われるということではなく、仕事をしなくてもよくなるということを意味しているかもしれない。しかし、では、AIがすべての仕事をこなして人間は何もしないという生活が果たして幸福といえるのか……
松本零士先生の答えは、明確にノーでしょう。
有紀嶺は、次のように語ります。
いまの人間はなにもしなくてもいい
考えごとさえコンピューター…人工頭脳がやってくれる世の中…
それでもね
いくら万能コンピューターでもやれないことがあるのさ!!
人間だけにしかやれないことを
おれはやるんだ
当然、そんなに優秀な頭脳を持っているのかという反論が出てくるわけですが、それに対して、自分が優秀でないことを認めつつ、嶺は続けます。
でも…ぼくは夢を見るよ……
与えられたプログラムだけじゃなくて
…無限に次から次へ
…自由に夢を見るよ
ぼくは人間が考える夢を
漫画に描く…
それが生きがいさ
すなわち、生身の人間には、AIの持ちえない魂がある、ということでしょう。
漫画というのは松本零士先生自身の生業でもあるわけで、「人間だけにしかやれないこと」として漫画を題材に選んだのは、思い入れがあってのことと思われます。掲載誌の休刊など、大人の事情で短命に終わった作品ではありますが……『アイランダー0』は松本零士先生の持っていた問題意識を描いた重要作なのかもしれません。