ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

最初の記事をもう一度

2018-08-31 15:40:59 | 過去記事
このブログには、一年前の記事を振り返るという機能があります。

せっかくなんで、去年やってたPRをもう一周しておこうかなと思いました。


『このミス』大賞 “超隠し玉” 3作品、発売中です!
はじめまして、村上暢といいます。今月、宝島社より『ホテル・カリフォルニアの殺人』を発表し、小説家としてデビューしました。ということで、作品のPRもかねて、ブログを開設。......



これは、去年の発売時の記事。
このブログの、記念すべき一番最初の記事ですね。

あらためて、よろしくお願いします。

LOVE JETS「宇宙大シャッフル」

2018-08-29 13:20:47 | 音楽批評
先日、さくらももこさんの訃報にかんする記事で、忌野清志郎との共作曲「宇宙大シャッフル」に言及しました。

せっかくなので、今回は、音楽批評記事としてその「宇宙大シャッフル」について書こうと思います。

歌っているのは、LOVE JETS。

清志郎はいろんなバンドやユニットをやっていて、そのいくつかをこのブログでも紹介してきましたが、LOVE JETSもその一つです。
“宇宙からやってきた謎の三人組”という設定があるそうですが、声を聞けば清志郎だというのは誰でもわかるので、タイマーズが覆面バンドというのと同じぐらい有名無実です。

「宇宙大シャッフル」は『ちびまる子ちゃん』のエンディングに使われていたんですが、これをアニメの曲に使うというのがすごいですね。


  ぼくらが見てた夢は 流線型にシルバーの
  カッコ良すぎる未来 宇宙旅行に行こうぜ
  月にだって住めるぜ


という未来への希望から歌は始まりますが、そこからは次のような歌詞が続きます。


  ブッ壊れたビルを 月が見てるよ
  爆破された街で ネコがないてる
  何やってんだ人類 どうしたんだ未来

  死んだママの横で ボクが笑うよ
  逃げられない闇を ハトが飛んでく
  ふざけんなよ人類 遅すぎるぞ未来


2003年に発表されたこの曲には、2001年の同時多発テロと、そこから戦争に突き進んでいく世界の残響があります。詞を書いたのはさくらももこさんなわけですが、同じ頃にキヨシローが発表したアルバム『GOD』のモチーフに通ずるところがあるように思えます。


  血の流れた砂を 風が運ぶよ
  引き裂かれた場所で 花が揺れてる
  どうなってんだ人類 話が違うぞ未来

  21世紀なら なんでも出来るはずだろ?
  アースエナジー 炸裂させるんだ
  銀河系を巻き込もうぜ
  天才メガネ君も 巻き込もうぜ
  宇宙大大大大シャッフル


夢のような未来図と対極にある悲しい現実……
それはさらに、キヨシローが武道館の完全復活祭でみせたあの「愛しあってるかい?」にもつながっているんじゃないでしょうか。
せっかくなので、その伝説的なMCを文字おこししておきましょう


  ここには平和がいっぱいだ
  でも 世界じゅうを見渡すと 戦争や紛争もいっぱいだ
  テロや 飢えた子供たちもいっぱいだ
  どうしていつまでも みんな仲良くできないんだろう  

  OK、今日はもうこんなにごきげんな夜なんで
  みんなに聞きたいことがあるんだ
  みんなに聞きたいことがあるんだ

  最近世の中は殺伐としてるけど
  21世紀になってもうずいぶん経つけど
  全然世界は平和になんないけど
  今夜みんなに聞きたいことがあるんだ
  武道館ベイベー 聞きたいことがあるんだ 
  ――愛しあってるかい?


忌野清志郎ファンならご存じのとおり「愛しあってるかい」と問いかけてオーディエンスが「イエー」と答えるというのはキヨシローの定番MCですが、これだけの尺で伴奏つきでやるのはたぶんかなり珍しい例だと思います。
厚見玲衣さんのキーボードの音色がすばらしく、完全復活祭にふさわしい「愛しあってるかい」でした。
キヨシローが60年代ラブ&ピースを一つのルーツに持っているというのは以前も書きましたが、RC活動休止ごろから、キヨシローはだんだんとそのルーツに回帰していっているように思えます。「宇宙大シャッフル」も、その一環かもしれません。まあ、歌詞を書いたのはさくらももこさんなわけなんで、もしかしたら、この共作曲がキヨシローのその後に影響を与えてるということなのか……だとしたら、さくらももこという人はあらためてすごいですね。

さくらももこさん、死去

2018-08-27 22:20:18 | 漫画
さくらももこさんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。
がんだったそうで、まだまだこれからというところでの突然の訃報に、ただただ驚かされるばかりです。

『ちびまる子ちゃん』は、私はリアルタイム世代でした。
まあ、長くやってるアニメなのでリアルタイムもなにもないんですが……ちょうど自分が一番漫画やアニメに触れていた頃に始まり、人気を獲得していったという点で、リアルタイマーだという自負があります。
のんびりとしているようで笑いがあり、またときにはしんみりとくる。あの真似しようとしても真似できない雰囲気は、一つの新しいジャンルを開拓したともいえるんじゃないかと思いますね。

それから、さくらももこさんといえば、独特な感性でつづられるエッセイなども知られています。

このブログでたびたび名前が出てくる忌野清志郎と一緒に歌を作ったこともありますね。
詞:さくらももこ、曲:忌野清志郎の「宇宙大シャッフル」は、最高の曲で、歌詞も清志郎が書いてるんじゃないかというぐらいのセンスを感じました。

清志郎も60を前にして、やはりがんで世を去りましたが……
やはり、非凡な才能は神さまがそばに置いておきたくなるということなんでしょうか。
とにかく、冥福をお祈りしたいと思います。

一年前の記事

2018-08-25 23:23:41 | 過去記事
音楽好きの人にも読んでほしい、『ホテル・カリフォルニアの殺人』
今回は、音楽ジャンルのほうに投稿します。 拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』のPR記事です。 ここまでは、「小説」ジャンルのほうに投稿してきましたが、「音楽」ジャンルを閲......


一年前の記事をこんなふうにして振り返る機能があるみたいです。
せっかくなんで、やってみました。

『シン・ゴジラ』

2018-08-25 14:32:16 | 映画
映画『シン・ゴジラ』を見ました。

なかなか見る機会がないうちに時機を逸していたのですが、アマゾンプライムに追加されたのを機に、観てみました。

このブログでは、映画系記事としてvsモノシリーズをやってましたが、それもだんだん飽きてきたので、前回のゴジラからのつながりで、今回は『シン・ゴジラ』について書こうと思います。

まあ、すでにいろんなところでいろんなことが語られていると思うので、いまさら解説めいたことを書く気もありません。

そのうえで、この映画を語る際に一つのキーワードとなる“リアリティ”という点について、ちょっと思うことを書いてみたいと思います。

この映画は、ゴジラが実際に日本に現れたらどうなるのか、というシミュレーション的な感じにもなっています。

政治家たちの振る舞いについてもそうでしょうが、何より軍事に関するディテールが大きく注目されたところでしょう。防衛省の協力を得て、ゴジラが現れたらどう迎え撃つかという作戦立案をしてもらったそうで、そこが迫真のリアリティにつながっているわけです。

しかしながら、“ヤシオリ作戦”については果たしてどうなのかとも思わされます。

(以下、『シン・ゴジラ』終盤の内容に触れています。極力ネタバレは避けますが、ご覧になっていない方はご注意を。また、あえて批判的なことをちょっと書きますが、それがただちに結論でないことをご承知おきください)


これはたぶん世間的にもいわれていることだと思いますが、“ヤシオリ作戦”は、うまくいきすぎじゃないのか、あんなにうまくいくのか、という意見を持つ人が多いと思います。

とりわけ、車両などの移動がスムーズにいっていることがどうにもおかしく思えます。現場周辺は広範囲に瓦礫の山と化していて、とても車両が移動できそうに見えないのに、なぜだかゴジラのいる場所には十分なスペースがあって、車両がみんなそこに集合しているという……

また、〇〇爆弾がゴジラに総攻撃をかけるシーンも、あれができるポイントは相当かぎられているはずなのに、たまたまゴジラがそのポイントにいる。そして、あれだけ東京中が破壊されているにもかかわらず、その〇〇爆弾が移動する手段はちゃんと残っている……これも相当不自然でしょう。

つまり、一言でいえば、“ご都合主義”的なんです。


しかし……私は、そのことは重要な問題ではないと思います。

まあ、自分の書くものもよくご都合主義といわれるので、そのことに対するエクスキューズでもあるんですが……

エンタメ作品においては、リアリティというのは、いくつもあるパラメータの一つでしかないと思うんです。そして、さほど重要な要素でもないんじゃないでしょうか。

もっとも重要なのは、仕掛けの面白さとか発想の非凡さといったことであって、それを成立させるためなら多少のご都合主義はあってもかまわない……と私は思ってます。


いつだか、オカルト研究で有名な人がUFO映像について語っているのをテレビで見たときに、似たようなことを感じました。

その人がいうには、本物のUFOは回転したり光ったりしないのであって、そういった映像はみんな作り物だというんです。
で、その人が“本物”と太鼓判を押したUFO映像というのが流されてたんですが、これが実につまらない。遠くのほうに、白い小さな粒のようなものがふわふわと浮かんでるだけなんです。それが“リアリティ”のあるUFO映像だというんです。

なんで突然UFOの話をはじめたかというと……「リアリティがある」ということと「観ていて面白い」ということとは、たいていにおいて矛盾すると思うんですね。

芥川龍之介はモーパッサンを評して「美しい退屈」といいましたが、つまりはそういうことなんだと思います。
文学的リアリズムということなら“美しい退屈”をきわめるのも結構でしょうが、怪獣映画やUFO映像やミステリー小説にそんな高尚なことが必要なのか。

UFO映像なら、デコトラよろしくピカピカ光るUFOが回転しながら着陸して、グレイみたいな宇宙人が手を振っているような映像が見たいんです。作り物だとわかっててもいいんです。別にこっちは、はじめから本物のUFO映像が見たいなんて思ってないんですから。


で、ここで『シン・ゴジラ』に話を戻しましょう。

件の〇〇爆弾も、要はその発想の面白さや、絵としてのインパクトといったことを見るべきであって、リアリティという観点から評価するべきじゃないと思うんですね。そして、そういう視点で見れば、『シン・ゴジラ』はよくできた作品だと思うんです。ゴジラの圧倒的な破壊力と、それに立ち向かう人類の戦い……そのフィクションを、フィクションとして堪能すべきでしょう。
ただ逆に、あの作品から政治や軍事といったことのリアルを語るべきではないとも思いますが……