ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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衆院選2021

2021-10-31 23:56:27 | 時事



衆院選の開票が進んでいます。

どうやら、下馬評ほど共闘野党の議席は伸びないようで……与党はある程度議席を減らすものの、過半数は維持、与党の議席が減った分は維新が躍進ということになりそうです。

一強状態がよくないと主張してきた私としては、まあそう悲観する結果ではありませんが……しかし、そこで維新のほうに流れるのか、という感想は正直あります。

野党共闘に関しては、まあ今回は不発に終わったといわざるをえないでしょう。

ただしそれは、最終的に議席という数字に表れた部分をみての話。

小選挙区部分は、その特性上多少得票が伸びてもなかなか結果には表れにくいので、野党共闘に意味がなかったと結論付けるのは早計です。そのあたりは最終的な数字をみてみないとわかりませんが、意外とあとほんの少し票が伸びただけで一気に議席が激増するというような可能性もあります。まさかあの人がという大物議員が落選していたりということもあるので、いまのところ基本方針として野党共闘路線は間違っていないんじゃないでしょうか。

と、今日のところはこのへんで……今回の衆院選に関しては、また明日か明後日にでもちょっと書いてみようと思います。




選挙にいこう 2021

2021-10-29 21:22:01 | 時事


いよいよ衆院選の投票日がせまってきました。

各党の訴えも熱を帯びてきています。

このブログでは選挙のたびに同じことをいっていますが……とにかく投票にいきましょう。
ただし、面白そうとか、何となく印象がいいから、とかではなく、きちんと候補者なり政党なりの主張を検証したうえで。

投票したい人がいないという場合には、投票させたくない人物の対立候補に入れるという“アンチ票”でもいいでしょう。ネガティブな行為のように思えるかもしれませんが、先日のストーン・ローゼズの記事でいえば、投票というのは「怒りを乗せて投げる石」であってもいいと思います。むき出しの怒りというのも、公正な社会を維持していくために時には必要なんじゃないでしょうか。ただし、それを投げつける相手を間違えなければの話ではありますが。ハロウィンで暴動まがいの騒ぎを起こすぐらいなら、そのエネルギーを怒りとして投票用紙に乗せたほうが建設的というものでしょう。


ところで、選挙といえば……先月香港で行われた選挙のことを思い出されます。

これは行政長官を決める選挙委員を選出する選挙ということなんですが、この3月に選挙制度が見直され、とんでもないことになっていました。

当局が「愛国者」でないと判断した人物は立候補できないという無茶苦茶な制度で、実質的に候補者から民主派を排除するシステムが完成し、議席のほとんどが親中派によって独占されたのです。
有権者の数はなんと97%も減り、実際に投票した人は人口の0.1%未満、定数の7割超は無投票で決定……これはもはや、選挙制度が存在するとはいえない状態でしょう。数年来続いてきた民主派への弾圧が、いよいよこの状態にまで達したということです。

選挙制度というのは、たとえ存在したとしても、いつそんなふうに骨抜きにされてしまうかわかりません。
そこのところをよく考えて、投票権を行使する必要があるでしれたのです

ストーン・ローゼズの名曲を振り返る+α

2021-10-27 16:20:28 | 過去記事

The Stone Roses - Made of Stone

今回は、音楽記事です。 例によってしりとり方式で、前回のスカボロー・フェアからの関連で、The Stone Roses について書きましょう。 どういうつながりかというと…… スト......



過去記事です。
ストーン・ローゼズについて書いています。

今回も、プラスアルファとしてストーン・ローゼズの曲をいくつか。


まずは、元記事の内容に関連する曲を三つ。
いずれも、ストーン・ローゼズ20周年記念アルバムの音源から。


元記事で話のマクラとして出てきた Elizabeth My Dear。
短い曲ですが、スカボロー・フェアと同じメロディなのは聴けばあきらかでしょう。

The Stone Roses - Elizabeth My Dear (Audio)

元記事でも書いたとおり、この歌は英国王室批判と解されます。
「彼女が王座を失うまで俺に休息はない」と歌っていますが、その彼女は今なお王座に居座ったまま。なるほど休息はないわけです。


Guernica。
ローゼズは、逆回転の手法を用いた曲をいくつか発表していますが、この曲は Made of Stone を逆回しにしたオケに歌をつけたもの。
かつては実験的な手法だった逆回転も、時を経て“伝統の技法”となる……ロックがそんな屈折を抱えるようになった時代に一つの革命をもたらしたのがローゼズでした。


The Stone Roses - Guernica (Audio)


ちなみにタイトルは、日本語では「ゲルニカ」と表記される単語。
いうまでもなく、ピカソの絵がモチーフでしょう。また、この伝説的な絵画にまつわるさまざまなエピソードも意識にあったかもしれません。
ローゼズがやったほかの逆回転曲には Full Fathom Five というジャクソン・ポロックの絵のタイトルをつけたものもあったりします。そういうアートなところがあるのです。ジャクソン・ポロックに関しては、別の歌で歌詞中に名前が出てきたりもしていて、特にお気に入りのようで…


Bye Bye Badman。
元記事で出てきた「五月革命の闘士」に触発されて作った歌といいます。

The Stone Roses - Bye Bye Bad Man (Audio)

  俺はお前に石を投げつけているんだ
  お前を傷だらけにしたい
  血を流させてやりたい

と、歌われます。
運動を弾圧する警官に向けてということだと思われますが……ローゼズにはこういう過激なところもあるわけです。
ストーン・ローゼズのバンド名の由来は諸説ありますが、その一つとして「石のように硬いものと薔薇のように柔らかいもの」ということだという説明があります。ラブ&ピース的な愛や連帯を歌う‟薔薇”の部分と、抑圧的なシステムに対する怒りを乗せて投げつける“石”……とするならば、この歌は“石”のほうといえるでしょう。


ここからは、代表的な曲を。

まずは、ジョイ・デイヴィジョン~ニュー・オーダーのピーター・フックがプロデュースした 3rdシングルElephant Stone。


The Stone Roses - Elephant Stone (Live in Blackpool)


ピーター・フックや、ファースト・アルバムをプロデュースしたジョン・レッキ―といった人たちの名前から、ストーン・ローゼズが、直接にはパンク~ポストパンクの流れを受けて出てきたバンドだということがうかがわれます。
60年代ラブ&ピースと、パンク……相反するはずの二つの要素を、ストーン・ローゼズはあわせもっています。それがつまりは、薔薇と石ということなのかもしれません。
ジョン・レッキ―は60年代から音楽業界にいて、ビートルズやピンク・フロイドなどのレコーディングにも関わった経験があり、そのあたりのことも関係あるでしょう。



I Am the Resurrection。
このタイトルは聖書の一節からきています。
ヨハネ福音書11章25節。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」……
そういう宗教がかった内容を歌う歌かと思わされますが、歌詞の全体を読んでみるとそういうわけでもなさそうです。
ものの本によれば、英語圏では葬儀の際に牧師がこの句を詠唱するそうで、すなわちこのタイトルのいわんとするところは「南無阿弥陀仏」とかそういうことで、「あんたはもう終わりだ」とか「さっさとくたばれ」の婉曲表現だと。それが、ローリング・ストーンズに向けられたものではないか、と「ものの本」は推測していました。
肥大化した商業主義ロックの象徴としてのストーンズに対する批判……ローゼズには、ストーンズから前座のオファーを受けてそれを蹴ったという因縁もあります。パンクの立ち位置からすれば、ストーンズは全否定の対象ともなりうるのです。ストーン・ローゼズのバンド名の由来として、stone の部分はローリング・ストーンズからとったものという説がありますが、こうしたことを踏まえると、それはいささか怪しいように感じられます。むしろストーンズは、石を投げるべき対象とみなされているのかもしれません。

The Stone Roses - I Am the Resurrection (Live In Blackpool)


動画では、“タコ踊り”で有名なクレッサの姿もみられます。
この人がなんのためにステージ上にいるのかというのはローゼズをめぐる謎の一つですが、これもやはり「ものの本」情報によると、彼はギターのエフェクトなんかをいじっているそうです。ローゼズのギタリスト、ジョン・スクワイアはマルチエフェクターを使用しているそうで、その設定変更をクレッサが担当しているのだとか。ただ、この動画では、スクワイアがフェーザーを自分で踏んでいるようにも見えますが……クレッサはあるときふいに姿をみせなくなったという話もあり、本当のところは正直よくわかりません。


代表曲の一つ I Wanna Be Adored。

The Stone Roses - I Wanna Be Adored (Official Video)


この歌では、「僕は魂を売ったりする必要はないんだ」と歌われます。
この拝金主義批判というスタンスが、ストーンズ批判というところにもつながっていくわけでしょう。お前たちは魂を売ったじゃないか――と。


拝金主義批判という点では、もっとはっきりしているかもしれない Fool's Gold。これも代表曲でしょう。

The Stone Roses - Fools Gold (Official Video)


Fool's Gold とは、黄鉄鉱のこと。
見た目が金に似ていて、愚か者が黄金と間違えてありがたがるということで「愚者の黄金」とも呼ばれます。


  僕は一人立っている
  あんたたちは金をはかりにかけている
  僕はあんたたちが沈んでいくのを見ている
  愚者の黄金


ここで歌われることは、レッド・ツェッペリン「天国への階段」に登場する「輝くものはすべて黄金だと信じている女」に通じるのではないでしょうか。
パンクの立場から見ればツェッペリンも否定の対象ということになりますが……ジョン・スクワイアはツェッペリンのCommunication Breakdown を聴いて「最初のパンクソングだ!」と思ったといいます。
まあ時代がどうこうなどというのは、そんなもんでしょう。
ジョンは、パンクスたちがそれ以前の音楽を否定するような態度をとっていたのはある種の「嘘」だったというようなこともいっていますが、そういう部分があるのもたしかだと私には思われます。
ジョンとボーカルのイアン・ブラウンはクラッシュの大ファンだといいますが……Fool's Gold では、ジェームズ・ブラウンの曲から借用したドラムループが使われており、ジョンのギターはバーズの影響が指摘され――と、ストーン・ローゼズには時代のごった煮的なところがあります。考えてみれば、スカボロー・フェアで民謡の世界にまで踏み込んでいるわけなので、たかだか2、30年の時代の違いなど誤差の範囲といえるでしょう。
そうしてごった煮にすることによって、時代性やらジャンルの違いやらといったことと関係なく貫かれている何かが浮かび上がってくる。そして、そのゆえにこそストーン・ローゼズは、たった一枚のアルバムで「ロックの歴史を変えた」とまでいわれる存在になったのです。



表現規制をめぐって

2021-10-24 17:18:01 | 時事


いよいよ、衆院選の投開票まで一週間となりました。


各党がそれぞれに政策を訴えていますが、ここにきて、共産党の“表現規制”が議論の的になっています。

そこに話がいったか……というところです。

ポルノ的なものに対する規制というのは、リベラル陣営のアキレス腱というようなところがあって、リベラルを謳う人たちの間で意見が割れることが多いイッシューで、リベラルを分断するくさびになりかねないわけです。
まあ、一応法的な規制はしないという話になってるそうで、ひとまずは、それで呑み込んでおいていい話なんじゃないでしょうか。


表現規制に関する私自身の考えを書いておくと、まず基本的には反対です。
表現規制には慎重でなければならない。ただし、表現の自由はすべてに優先する価値というわけではない。場合によっては規制があってしかるべきときもありうる。しかし、それは法によるべきではない……といったところでしょうか。
きわめて常識的な認識だと思ってます。
しかし、表現規制をめぐる議論は実にレンジが広く複雑です。本格的に論じるのは私の手に余るところでもありますが……以下、二つの点について書いてみます。


まずは、ロック関連から。

ロック史上には、児童ポルノ的な意味合いで物議をかもすアルバムアートワークがいくつか存在しています。

たとえば、ブラインド・フェイスの『スーパー・ジャイアンツ』。
このアルバムジャケットの現行バージョンはこんな感じですが、本来は、下半分の帯のような部分はなく、少女の胸があらわになっていました。
 
そして、この手の話でなんといっても有名なのは、スコーピオンズの Virgin Killer でしょう。
もともとは少女の裸身で、股間部分だけが隠されているというアートワークでした。これはその当時から物議をかもし、アメリカでは発売当初から別のジャケットに差し替えられていたそうです。日本でも、現在はジャケットを差し替えて販売されています。

先日は、Nirvana の Nevermind ですらそのアートワーク児童ポルノとして訴えられているという話がありました。これに関しては、訴訟に至るまでの経緯も含めて、さすがにそれはおかしくないかという反応が大勢のようですが……この問題を受けてデイヴ・グロールは今後ジャケットを差し替える可能性にも言及しています。

なにが言いたいかというと……こうした動きに示されているのは、セクシャルな表現、とりわけ児童ポルノ的なものに対する表現規制は世界的なすう勢であり、とりわけこの十数年ぐらいで急速に厳しくなりつつあるということです。それが、ロックアルバムの世界にも反映されているわけです。
そしてその波は、日本にも確実に及んできています。
今回は共産党というところから出てきたわけですが、そういう視点でみれば、主要な政党はみな、程度の差はあれ表現規制を検討しているともいいます。自民党のなかにも、表現規制派は多くいます。というか、表現規制に関してはむしろ保守系が本家でしょう。そして、意見がわかれるリベラル側でも、世界的な潮流を受けて表現規制派の発言力が高まっている――今回の件が示しているのは、そういうことだと思われます。共産党が表現規制を主張している、これは危険だ、というような単純な話ではないのです。


二点目は、小説という観点から。

昭和初期には、乱歩作品の多くが発禁、あるいは、少なくともそのまま発表することはできなくなっていた……という話をだいぶ前にこのブログで書きました。
それは必ずしも性的表現が理由ではなく、当該記事でとりあげた「芋虫」なんかは、反戦的とみられたことが背景にあるわけです。

しかし、この時期の表現規制においては、乱歩のような作品ばかりが対象となったわけではありません。

たとえば、山本有三の『路傍の石』なんかはどうでしょう。

この小説の主人公・愛川吾一は、当時の基準で考えれば非の打ちどころのない健全な青少年です。作中で労働運動に関与しているらしい人物が登場しますが、吾一は、みずからも貧しい労働者でありながら、彼の主張にくみしません。なにしろ健全な青少年なので、共産主義などには同調しないのです。
ところが……『路傍の石』は当局の検閲で内容の変更をせまられ、山本有三は断筆に追い込まれました。
主人公の態度がどうあれ、労働運動について書いたこと自体がよろしくないということらしいです。
『路傍の石』という作品をどう評価するかは人それぞれでしょうが、この話は示唆に富みます。つまり、「自分は体制を批判するようなことはいわないから問題ない」というわけではない、ということです。表現規制が暴走すると、際限ない拡大解釈で、なんでこれがというようなものを見境なく規制していくおそれがあります。
もう一度音楽の話に戻ると、戦後にヒットした二葉あき子の「夜のプラットホーム」という歌があります。
あの服部良一が作曲したこの歌は、本来は淡谷のり子が戦前にレコーディングしていたものですが、戦中には発禁処分となっていました。
その歌詞は、次のようなものです。

  星はまたたく 夜ふかく
  なりわたる なりわたる
  プラットホーム 別れのベルよ
  さよなら さよなら 君いつ帰る

  ひとは ちりはて ただひとり
  いつまでも いつまでも
  柱に寄りそい たたずむわたし
  さよなら さよなら 君いつ帰る

  窓に残した あの言葉
  泣かないで 泣かないで
  瞼にやきつく さみしい笑顔
  さよなら さよなら 君いつ帰る

なぜこれが発禁処分になるのか、という歌です。出征する兵士の士気を低下させるから――という理由のようですが、そんなアホなという感想しか出てきません。
近代国家でそこまでばかげた規制がなされることはないと思うかもしれませんが、この国の奥底に根付いているカルト気質がひとたび目を覚まして表現規制と結びつけば、とんでもない暴走をしでかす危険は決して否定できないと私は思っています。
そういう意味で、今回の衆院選のこととはまた別に、表現規制に関しては慎重な姿勢が必要でしょう。



『乱歩地獄』

2021-10-21 16:19:18 | 映画
 


公開は2005年。
乱歩の中短編4編を映像化したオムニバス形式の作品です。

選ばれたのは、「火星の運河」、「鏡地獄」、「芋虫」、「蟲」。
四編とも原作は明智小五郎の登場しない作品ですが、この映画では、「鏡地獄」と「芋虫」に明智小五郎を出しています。4編すべてに出演している浅野忠信さんが、この2編では明智小五郎役。

あえて明智小五郎の登場しない作品を選んで明智小五郎を出す――ここが、この作品の重要なポイントでしょう。
といっても「芋虫」に関してはゲスト的な感じでちょっと出てくるだけで、本格的に明智小五郎が活動するのは「鏡地獄」のみですが……その「鏡地獄」は、じつに凄まじい一作に仕上がっています。

4編それぞれに別の人が監督をやってるんですが、「鏡地獄」の監督は実相寺昭雄。
初期ウルトラマンシリーズなどで知られる奇才です。ウルトラマンシリーズでは賛否あったわけですが、その異能がここでは存分に発揮されています。
明智小五郎が出てこない作品に明智小五郎を出しているのでストーリーはかなり改変されていますが――というより、まったく別の話になっているといっていいぐらいです――が、ここまで大胆に原作を改変しながら、それでいてしっかりと乱歩の地獄を描き切っているのがまずすごい。引用されている実朝の歌「世の中は鏡にうつる影にあれや有るにもあらず無きにもあらず」も効果的です。作品中のあちこちにこの歌を書いた色紙や掛け軸が出てきますが、これは「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」という乱歩のテーゼと呼応しています。乱歩作品で重要な意味を持つ“鏡”のモチーフをいかし、新たな視点を提示してくれます。

斬新な解釈でありながら乱歩の世界を描き切っているということは他の3篇についてもいえるでしょうが、とりわけ3編めの「芋虫」には乱歩愛を感じます。
原作の「芋虫」は、非ミステリー作品としては、一、二を争う乱歩の代表作でしょう。私も、以前一度このブログで取り上げました。
この『乱歩地獄』における「芋虫」は、明智小五郎ばかりでなく怪人二十面相まで登場。さらに、平井太郎という人物も登場します。この「平井太郎」という名が江戸川乱歩の本名だというのは、乱歩ファンにはいうまでもないことでしょう。さらに、「屋根裏の散歩者」、『パノラマ島奇談』など、いくつもの乱歩作品を踏まえた内容となっています。乱歩ファンなら、一見の価値があるでしょう。ただ、痛い系の描写が苦手な人にはちょっときついかもしれませんが……