ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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ゴッホのひまわりでウクライナ支援

2022-03-30 16:35:08 | 時事



SOMPOホールディングスが、ゴッホの「ひまわり」を通じたウクライナ支援を行なっています。

「ひまわり」を所蔵するSOMPO美術館で開催中の「シダネルとマルタン展」において募金箱を設置。また、同館で販売される《ひまわり》ポストカードの売り上げの一部を、ウクライナ支援などを行っている各種団体に寄付するということです。
入場者数や紹介動画の視聴回数に応じた寄付も。
以下に、その紹介動画をリンクさせておきましょう。

「シダネルとマルタン展」紹介動画 The promotion movie of “Henri Le Shidaner – Henri Martin”

ついでに、ゴッホ「ひまわり」の画像。
たまたまこの絵の画像素材を持っていたので、載せておきます。



この画題の作品は複数あって、上の画像はドイツの美術館ノイエ・ピナコテークに収蔵されているもの。
一般的に「ひまわり」と呼ばれる絵はほかに5点現存していて、そのうち一点を日本のSOMPO美術館が所蔵し、展示しています。
この名画を日本企業が所蔵しているということは、今ではあまり知られていないかもしれません。
バブル期の話で、成金趣味と批判的に見られもしましたが……それがこういうかたちでウクライナ支援に寄与するのは結構なことじゃないでしょうか。

紹介動画の冒頭部分では、平和の象徴としてのひまわりをバックに、次のような文章が出てきます。

 平和がいま、枯れかけている。それは私たちのそばに、当たり前にあるものだった。しかし、いままさに、世界は示している。平和は、手をかけなければ育ちはしないと。この瞬間に起きていることを、忘れない。目を逸らさない。何度でも水をやろう。種をまこう。私たちは、諦めない。


所詮は売名行為じゃないかといわれるかもしれません。
しかし、別にそれでいいんです。やらない善よりやる偽善というやつです。(この「やらない善」というのが意味不明だといつも思うんですが……)


今回のウクライナ侵攻問題では、企業の動きも注目されます。
SOMPOの場合は寄付というかたちですが、企業による対ロシア“制裁”の動きも。ロシアからの撤退、あるいはロシアでのサービス停止など、国家の経済制裁とは別に企業が独自に行なう制裁が打ち出されていて、いわゆるGAFAのような巨大企業のそれはロシア側に無視できないインパクトを与えているようです。
私企業がそれだけの力を持っているということには一抹の怖さを感じないでもありませんが……しかし、そういう国家とはまた別の力が戦争の惨禍を止め得るならば、それは世界史の新たなステージということになるのかもしれません。




スリーマイル島の日

2022-03-28 21:20:10 | 時事


今日3月28日は、「スリーマイル島の日」だそうです。

1979年のこの日、アメリカのスリーマイル島原発で事故が発生。

これは原子力発電史上最初に起きた重大事故として有名で、先日このブログで替え歌を紹介したクラッシュの「ロンドン・コーリング」も、スリーマイル島の事故を一つのモチーフとしていたりするわけですが……奇しくも、最近原発というものについて考えさせられることがいくつかありました。

ひとつは、ウクライナ侵攻。
この件では、戦時中という状況において原発が相当なリスクになることが示されました。
今日はチェルノブイリの周辺で山火事が広がっているというニュースもあって、この危機はいまも去っていません。


そして、国内では16日に発生した宮城県地震による電力受給ひっ迫問題。

これで、原発が稼働していたら……という話がでてきていますが、これは考え物でしょう。
あの規模の地震ならば原発も止まっていただろうし、原発がそういうイレギュラーなかたちで停止した場合、ほかの発電施設に比べて再稼働までの時間も長いため、事態をより深刻にしていたかもしれないと指摘されています。

そもそも原発には、解決しなければならない問題がいくつもあります。
安全性のこともそうですが、廃棄物を最終処分する術が定まっていない、海外の国や機関が方針転換することで大きな影響を受けるリスクなど……

今回のウクライナ侵攻の件は、そこに新たに深刻なテーマを付け足しました。

原子力発電はすでに技術としての寿命を迎えつつあり、別の技術にとって代わられる時にきている――というのが私の持論です。
ここでまたぞろ原発再稼働論にむかようなら、それは近代日本が繰り返してきた過ちをもう一つ増やすことになってしまうのではないか。そんな気がしています。


ロシア、方針転換か

2022-03-26 21:56:56 | 時事


ロシアが、ウクライナにおける“特別軍事作戦”において大きく方針を転換したようです。

親露派が多い南東部の“解放”に注力すると……

作戦の第一段階が予定通りに完了したため――というふうにロシア側はいっていますが、これは旧大日本帝国語でいうところの「転進」みたいなもので、当初の予定通りに作戦が進んでいないために方針転換せざるをえなくなったというのが実際のところでしょう。米国も、当初の目標が達成できず、作戦規模を縮小したと見ているようです。

なぜロシア軍の作戦はうまくいっていないのか。

士気が低いとか、軍の連携がうまくいっていない、ミサイルの失敗率が異様に高いとか……いろんなことがいわれています。
それぞれに正しいのでしょうが、それらは結局、独裁体制化による機能不全の結果と私にはみえます。

独裁政治の末期症状を表現するのに、「ベトナム戦争のときの南ベトナム」という言い方を私はよくしてます。
愚かな独裁者が権力を握っていると、その国家組織全体がどんどん機能しなっていく……ということです。これが行きつくところまで行きつくと、資金や物資を大量にもっていても、それをまとも運用することができず、国は衰退の一途に。実際南ベトナムは、アメリカの支援を得て、軍事力では常に北に対する優位を保っていたといいますが、結局戦争に破れて消滅してしまいました。

いまのロシアは、もうそういう状況に近づきつつあるんじゃないでしょうか。

この戦争によってプーチン体制が崩壊するのはほぼ確実という見方も出てきているようですが……そうなるとしたら、これはもう独裁体制の必然というほかありません。
そして、たびたびいっているように、日本はこの点を他山の石とすべきなのです。



ゼレンスキー大統領の国会演説

2022-03-24 16:22:09 | 時事


昨日のことになりますが、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会でリモート演説を行いました。
あいにくリアルタイムで見ることはできませんでしたが、ニュースサイトで全文が掲載されていたので、読んでみました。

事前にいろいろといわれていましたが……まあそのあたりにも配慮した内容だったのかな、という印象です。
私としては、今後のことについて話している部分が印象に残っています。
たとえば、以下の部分。

〈全世界が安全を保障するために動けるためのツールが必要です。既存の国際機関がそのために機能できていないので、新しい予防的なツールを作らなければなりません。本当に侵略を止められるようなツールです。〉

国連も機能しない状況で、いかにして平和を維持するか……
ここで重要なのが、いま世界各国が行っている制裁でしょう。
うかつに武力行使なんかしたら、国家だけでなく民間企業も含めてありとあらゆる制裁を受ける、だから、武力行使はできない……今回の件を、そういう事例にするべきなのです。武力行使は、明らかに失うもののほうが大きすぎる――そのことが、今度どこかの大国が他国を侵略しようとしたときの抑止力になるでしょう。
逆に、もしもこれでへたにロシアの要求をとおすと、逆のメッセージになってしまいます。自国の主張を押し通すのに、軍事力は有効な手段だ、と……それはまずいわけです。

こんなふうにいうと、なにかこの戦争を利用しようとしているように聞こえるかもしれませんが……
しかし、この戦争において当事国以外の第三者がとれる選択肢は、基本的に三つしかありません。
 ・軍事的に介入する(参戦)
 ・非軍事的に介入する(経済制裁など)
 ・なにもしない
のどれかです。
どれをとったところで、よい選択とはいえません。どれを選んだところで、戦争という悲劇がはじまってしまったことに変わりはなく、また、三者三様に副作用があるでしょう。しかし、現実としてこの三つのどれかを選ばなければならない。そして、この三つの中でどれが一番ましかといえば、非軍事的な介入だと思われるのです。
ウクライナ侵攻がはじまってから、もう一か月。
私は、ゼレンスキー大統領を英雄とも正義の味方とも思いませんが、とにかくこの戦争は止めなければならない。非軍事的な手段によって、戦争を止めるということができるなら、それはゼレンスキー大統領がいうところの「新しい予防的なツール」の萌芽ともなりうるでしょう。ここに人類の知恵を結集してもらいたいところです。




キーウ・コーリング

2022-03-22 21:23:43 | 時事


ウクライナのBeton というパンクバンドが、クラッシュ London Calling の替え歌を作っています。

Kyiv Calling

もちろん、ウクライナ侵攻の状況について歌ったもので「自由ウクライナ抵抗運動」の資金集めの一環とのこと。クラッシュのメンバーも、この活動を支持しているといいます。


もともとの「ロンドン・コーリング」というタイトルは、第二次大戦中にイギリスのBBCが占領地にむけて行った放送に由来するといいます。
つまりは、闘争を呼びかけるということでしょう。

このあたりの話になってくると、反戦主義者にはちょっと難しいところになってきます。
ウクライナの人々は、一般市民も武器を手にとって戦うべきなのか、それとも命が大事ということで戦闘を回避するために逃げてしまった方がいいのか……日本におけるいわゆる左派のあいだでは、この点に関して少なからず動揺がみられるようです。
たしかにこれは、難しい問いです。
外部の人間がとやかくいうのはためらわれる。少なくとも私は、国にとどまって戦う、あるいは生き延びるために逃げる、どちらの選択も非難することはできません。ただ、国外への脱出を望んでいる人を無理やり引き留めて戦わせるのはちょっと問題があると思いますが……


いっぽう、侵攻している側のロシア兵に関しては、この点はっきりしています。
もし彼らに言葉をかけられるとしたら、ただ一言、戦うなといいたい。上官の命令なんか堂々と無視して、武器を置いて投降しろ、と。
この侵略行為は、ディランが「自由の鐘」で歌ったところの「戦わないことが強さ」という状況であり、命令に従わないことこそが真の勇気だと思うのです。
ドイツのメルケル前首相は、「不服従が義務となるときがある」といいました。
ナチの時代を念頭に置いたものですが、今はまさにそのときでしょう。不当な侵略行為の命令になど従う必要はない、というよりも、従ってはいけない。もっと上位の価値に従わねばならない……
実際、戦闘を放棄するロシア兵は相当いるようです。それがどの程度“良心”に基づくものかどうかはわかりませんが、まあ別に良心が動機でなくてもかまいません。戦争に反対するのに良心など必要ないのであって、単にこんなばかげた戦争で死ぬなんてくだらないということで大いに結構。ロシア兵にはどんどん職務放棄してもらって、プーチン大統領の面目を丸つぶれにしてもらいたいところです。