ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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日中国交正常化の日

2020-09-29 19:53:57 | 日記


今日は9月29日。

日中国交正常化の日です。

1972年の今日、日中共同声明が調印され、日本と中国の国交が回復しました。

それからおよそ半世紀――日中の関係は大きく変化しました。

この二十年ほどのあいだに、中国は押しも押されぬ超大国に。
GDPはだいぶ前に抜かれましたが、科学技術などの面でみても、日本はだいぶ中国に差をつけられているようです。
いまや、日本のほうが中国に学ぶことがたくさんあるという状況なのかもしれません。

しかし、香港問題に象徴されるように、中国という国には強権的な側面があることも見過ごすわけにはいきません。
そしてまた、その覇権主義によって、日本をふくめた周辺諸国とのあいだで領土をめぐる争いを起こしてもいます。
中国が強大になればなるほど、そういった問題の対処は難しくなっていっています。

まあ、いずれの問題にしても、軍事的解決というのは現実的にありえないわけなので、外交的に対処していくしかありません。地理的にいっても、歴史的経緯からしても、対中国外交において、日本は高度の外交手腕を求められているのです。
はたして菅新政権に、その力量があるのか――お手並み拝見というところです。



パソコン記念日

2020-09-28 20:29:07 | 日記

今日は、9月28日。

“パソコン記念日”だそうです。

1979年のこの日、NECが最初のパーソナルコンピューターPC-8001を発売したことが由来。

パーソナルコンピューター=パソコン=PCという言い方が広まったのも、この機種がヒットしたためといいます。
それ以前は“マイコン”なんて言葉があって、私はそう言い方がされているのもおぼろげながら記憶している世代です。
それから時代が流れ、パソコンは大変な進化を遂げてきました。私が生まれたのが1980年なので、パソコンの歩みは私の半生とほぼ重なっているともいえます。そのおよそ40年の間に、パソコンは一般家庭にも普及し、今では不可欠のツールに。

そんなパソコンの記念日ということで、今回は私が使用してきた歴代のパソコンたちについて書いてみようと思います。といっても三台しかないんですが……



まずは、これ。



私が手に入れた最初のパソコンです。

たしか2006年だったと思います。
フロッピードライブが懐かしい一品。その当時でも結構な年代モノだったでしょう。
ネットカフェで中古のオンラインショップにアクセスし、6000円ぐらいで買った激安PCです。これが、執筆活動にも革新をもたらしてくれました。

それ以前から小説はちょこちょこ書いてたんですが、パソコンを手に入れるまではワープロ。
パソコンを使うようになってから、飛躍的に作業効率が上がった実感があります。
ワープロだと、長い文章のなかで特定の場所に行きたい時が面倒で仕方がない。パソコンなら、それがぐっと簡単になります。私のスタイルでは、これが助けになりました。
さらに、iTunes導入によって、作品にあわせたプレイリストを流しながら作業することも可能に。これも、作業をはかどらせます。
そうして書いた長編が『このミス』大賞の一次選考を通過したのが、2008年のこと。まさに、パソコンありきの結果だったと思います。



それから一念発起して本格的に小説に取り組むようになった私が次に手に入れたのは、ノート型のパソコン。



これでカフェなどにいって作業することも可能になりました。多くの作家が同意すると思いますが、そういう場所で作業するほうが能率はよいのです。結果としてデビュー作となった『ホテル・カリフォルニアの殺人』も、このマシンで書かれました。

しかしこのマシン、あるとき不注意で落下させ、液晶画面にヒビが入ってしまいました。
その結果画面がまともに表示されなくなり……まあ別のモニタに接続すれば使えないことはないんですが、それだとノートPCとしては使えません。そこで、思い切って買い替えることにしました。



そして、現在のマシン。



ゲーミングPCです。別にゲームがやりたかったわけでもないんですが、そこそこのスペックがあってそれほど値が張らないものを探していたら、これに行き当りました。
3DCGもこれでやってるわけですが、ここは、そこそこのグラフィックボードを搭載しているゲーミングPCというのが生きていると思われます。先代のマシンではPoserの動作がかなり重かったんですが、この三代目だと、あまりストレスを感じません。計測したわけではありませんが、レンダリングにかかる時間も相当短縮できているはずです。

おそらく、初代のマシンだとPoserやblenderは起動することさえできなかったでしょう。
時代とともにPCは進化し、それによって一般ユーザーのできることもどんどん拡張されていっていることがわかります。
その流れに乗って、私もまた新たな表現を模索していこうと思います。







名探偵コナンプラザ

2020-09-26 19:34:41 | 日記


福岡パルコで行われている「コナン・プラザ」というイベントに行ってきました。

コナン展のようなものだろうと思ったら、行ってみると、グッズ即売会のようなものでした。

正直、思っていたものとは違ったのですが……せっかくなので、二点ほどグッズを買ってきました。





コナンと毛利蘭です。
当たり前すぎるチョイスですが……



コナンについては、前にもちょっと記事を書きました。

ミステリーのサブカテゴリは数あれど、やはりミステリーの原点はコナン的なスタイル。
私の書く作品も、まあだいたいああいう感じということで、コナンファンの方には、とくにおすすめしております。


本当は、展示内容などについて書くつもりでいたんですが、先述したとおり、これはそういう催しではなかったので、今回はこのへんで。



バロネス・オルツィ『べにはこべ』

2020-09-24 20:48:02 | 小説


以前、このブログで乾信一郎についての記事を書きました。

翻訳者という立場からキャリアをスタートさせ、ミステリー雑誌『新青年』の編集長も務めた乾信一郎……

そこで、乾が翻訳者として訳した作家のなかにオルツィの名前が出てきました。
一般的にはあまり名前を知られていない作家でしょう。ことのついでなので、今回はそのオルツィについて書こうと思います。

バロネス・オルツィは、ハンガリー出身の作家。

『べにはこべ』は、その代表作……なんでしょう。
正直なところ、私もオルツィの作品はこれしか読んだことがありません。ウィキ情報によると、彼女はいわゆる“安楽椅子探偵”(現場に足を運ばず、伝聞情報だけで謎を解くミステリーの趣向)の先駆者と目されているそうですが、その名声はやはり『べにはこべ』に負うところが大きいようです。

物語の舞台は、18世紀末の欧州。
フランス革命に揺れるフランスとイギリスです。

フランス革命に関しては、革命としての意義と恐怖政治の行き過ぎというところとでさまざまに評価がわかれるわけですが……オルツィさんは、フランス革命に対してはっきりと批判的です。

革命後の恐怖政治で、王侯貴族たちが続々とギロチン送りになっている。その人々を救出するために立ち上がった英雄“べにはこべ”が、物語の核となっています。
もちろん、べにはこべは通称。正体はごく一部の仲間にしか知られていないという謎の人物で、べにはこべの紋章を使用しているのです。

ジャンル的には“広義のミステリー”ということになるんでしょうか……ただ、“べにはこべ”の正体が何者かという点については、ちょっとストレートに過ぎる感じも。まあ、この作品が発表された時代なら、こんなものだったのかもしれません。もう一つのポイントは、終盤、“敵地”フランスで絶体絶命の危機に陥った主人公らがどうやってその危地を脱するかというところでしょう。このあたりは、今でいうコン・ゲームものに通じるところがあるかもしれません。

かの綾辻行人さんの『十角館の殺人』では、登場するミス研部員たちがミステリーのレジェンド作家からとったニックネームで互いを呼び合っていますが、そのなかに、「ポウ」や「ルルゥ」「アガサ」などと並んで「オルツィ」も出てきます。つまりは、ミステリー史においてそれぐらいのレジェンドと認識されているわけなんでしょう。それはやはり、安楽椅子探偵という趣向の創始者ということでのリスペクトなのだと思われます。
ただ、この『べにはこべ』に関するかぎり、ミステリーな仕掛けというよりは歴史ロマンの側面のほうが強いと思えました。
その歴史ロマンというところも、フランス革命をどう評価するかという部分で、やや一面的に過ぎるのではないかと個人的には感じましたが……






二年ぶりの熊本城

2020-09-22 19:31:01 | 旅行


先日書いたように、日曜日に熊本に行ってきました。

それは、乾信一郎、横溝正史に関する展示を見に行くためだったわけですが……そのついでに熊本城にも立ち寄りました。

熊本城といえば、私は二年前にも訪れています。

そのときは、あの熊本地震から二年というときでしたが……それからさらに二年たって、熊本城がどうなっているのか見ておこうということで。

復旧は一定程度進んでいて、本丸天守はこんな感じでした。



ちなみに、二年前は下のような感じ。



比べてみると、天守本体の修復は一応済んだ状態みたいです。
ちょっと角度を工夫すれば、ほとんど震災の傷跡を感じさせないようにも撮れます。


前回来た時には、天守にいたる通路は封鎖されていて、ここまで来ることもできませんでした。そう考えると、たしかに復興は進んでいるのです。
今は、入園料を払って入るスペースも再開していて、天守周辺まで入れるようになっています。
おかげで、前回はこれなかった「くらがり通路」にも入れました。


熊本城の本丸天守は、二つの石垣の上にまたがるようにして建っているため、石垣と石垣の間に地下通路のような空間ができています。これが、「くらがり通路」。



ちょっと横溝感も出ていていいんじゃないかと思います。復興が進んでいればこそ、こういうところも見学できるようになっているわけです。

ただし、これはあくまでも本丸天守の話。
おそらくそこが最優先で修復されているのだと思われますが、それ以外の場所では、二年前とほとんど変わっていないように見受けられる箇所も多数ありました。

たとえば、この画像。



これは二年前に撮った画像ですが、この場所は現在でもほぼそのままのように見えました。この状態で何年も放置しておくのは危険なんじゃないかと思うんですが……
城内のあちこちに崩れた石垣や瓦が保管されている状況もありました。
やはり、それらをきちんとした工法で修築するのは、相当な手間がかかるということなんでしょう。
これからさらに修復が進んでいくのを今は待ちたいと思います。