ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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3Dでも

2023-08-30 23:08:08 | 山田湯

今回は、3DCGです。

先日は2Dイラストというのをやりましたが、もちろん3Dのほうもやってます。

blender というのは奥が深くて、探っていくとどんどん新たな機能が見つかります。
そういった機能を使って、3DCGのほうでも“山田湯”をやってみました。



ごく短いものですが、動画にもしてみました。

blender で人物モデリング

新たに習得した機能を使うことによって、よりいろんな表情をつけられるようになった、より自然なライティングができるようになった、衣装を着せられるようになった……といった進歩があります。
衣装を着せるぐらいは前もやってましたが、いつか書いたように、シャツのような形状のものを体にきちんとフィットさせるのは難しいのです。これまでは、たとえば浴衣を着ているシーンであれば、その内側の部分を消去するといったやり方をしてました。しかし、そういうことをしなくてもよくなったと。今回はそこまではできませんでしたが、設定をきっちりやれば、こういった衣装を着た状態で自在に動かすこともできるでしょう。今後、そのへんのところを研究していこうと思います。


2Dイラストで山田湯

2023-08-24 23:47:26 | 山田湯


先日、ブログが6周年を迎えたという記事を書きました。

で、また新しい試みをやっていこうということだったんですが……その一環として、2Dイラストをやってみようかと思いました。

そのスタートにあたって、このブログで何度か登場してきた「山田湯」のイラストを。



2Dイラストといいましたが、実は3DCGも併用しています。

このブログでは3DCGをやってきてましたが、それを2Dに応用しているのです。具体的には、このイラストの背景はすべて blender で作った3DCGを画像加工したもの。blender にはいろんな機能があるあので、そういうこともできるわけです。本当はもっといろいろ作りこみたかったんですが、こまごまとした小道具を作るのはなかなか時間がかかるので、今回はこれぐらいの感じで。

いっぽう、人物のほうは通常の2Dイラストです。
子供のころは漫画家になりたかったなんてことがどこかに書いてありましたが……まあそういったことで、それなりの絵心はあるつもりです。
とはいえ、こうして描いてみると、やっぱりいたらない点がいくつも見えてきて、なんか違う、こうじゃないな……となってしまうんですが。

しかしながら、3Dを併用した2Dイラストというのも、なかなか面白そうなので、今後ちょくちょくこういうことをやっていこうかとは思います。




ブログ6周年

2023-08-20 22:41:20 | 日記


今日は、8月20日です。
本日をもって、このブログも6周年を迎えました。

相変わらず更新頻度はいまひとつですが……また、いろいろと新たな挑戦をしていきたいと思っております。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

『その女アレックス』を振り返る

2023-08-18 22:19:05 | 過去記事

ピエール・ルメートル『その女アレックス』
ピエール・ルメートルの『その女アレックス』を読みました。正確には、アマゾンオーディブルで聴きました。コイン制移行のこともあって一時聴かなくなっていたんですが、最近になってまた......


過去記事です。

ピエール・ルメートルの『その女アレックス』。

元記事でも書いたように、この作品の前半は監禁された主人公がその状態から脱出する話になってるわけですが……最近江戸川乱歩の某作品を読んでいて、同じような脱出方法が使われているのに出くわしました。そんな小ネタを見つけたので、ちょっと書いておこうかなと。
もちろん、書かれたのは乱歩のほうが先です。ピエール・ルメートルが乱歩を読んでパクったわけではないでしょうが、さすがに乱歩ともなれば、ちゃんと先取りしているということです。

ただ、もう一つの可能性としては、別の元ネタがあって両者がそれを使っているということも考えられます。ご存知の方がおられたら、ご教示いただきたいと思います。



相沢事件

2023-08-15 22:25:09 | 日記


今日は8月15日。
終戦記念日です。

このブログではこうした節目の日に近現代史に関する記事を書いていますが、今年もそれを踏襲していきましょう。

前回の近現代史記事では、昭和9年に起きた士官学校事件というものについて書きました。
いわゆる皇道派と統制派の対立を激化させるきっかけとなった事件であり、その対立のすえに、翌昭和10年に起きたのが“相沢事件”。ということで、今回はこの相沢事件について書こうと思います。



相沢事件は、直接の事実としては、相沢三郎中佐が永田鉄山軍務局長を殺害したという事件です。

先述したとおり、その背景にはいわゆる皇道派と統制派の対立があります。

相沢三郎は皇道派側の人物であり、いっぽうの永田は統制派の大物と見られていました。
統制派と皇道派の対立というのは満州事変あたりからずっとあるわけですが、その派閥抗争において統制派が皇道派を抑え込みつつあった。それに対して、皇道派側が暴発した事件といえるでしょう。
直接には、前回の近現代史記事で書いた士官学校事件がきっかけになりました。
当該記事でも書いたように、士官学校事件によって皇道派と統制派の対立は激化。皇道派は、士官学校事件によって磯部浅一や村中孝次らが停職となったことを統制派の陰謀として逆恨みし、いっぽう統制派の側は、皇道派の領袖とみられていた真崎甚三郎の排除に動き出します。その結果、真崎は教育総監というポストから更迭されてしまうのです。

この真崎甚三郎という人は、いろんな人に嫌われていたようです。

一つには皇道派の領袖として統制派から嫌われていたということですが、そればかりでなく政治家たちからも嫌われ、さらには、ほかならぬ昭和天皇をはじめ皇族方面からも煙たがられていたといいます。
皇道派と統制派の派閥抗争が激化してくると、政治家や皇族からも嫌われていたということが、真崎にとってはきわめて不利な要素となりました。

これが、皇道派の側からすれば“君側の奸”である統制派の連中があることないこと天皇に吹き込んでいるということになります。
そこで、真崎を陥れて更迭に追いやった皇道派の大物を斬ってやろうということで、相沢事件となるわけです。

軍内部における派閥抗争の果てに起きたテロ事件……単純にいってしまえば、そういうことになるでしょう。
しかしながら、テロというものは、しばしば起した側に不利に働きます。相沢事件の場合もそうで、この実力行使が皇道派の立場をますます悪化させ、窮地に立たされた挙句に二.二六事件という最後の大暴走に突き進むステップとなりました。



真崎甚三郎という人に関しては、あながち言っていることは間違ってないかもしれないという部分もあります。
まあ、皇道派と対立している統制派の側も考え方や行動がめちゃくちゃなので、それと対立し批判するのがまともに見えるというだけの話かもしれませんが……
皇道派は天皇を奉じる反共保守という性格が強く、それもあってかソ連を主要な敵とみなしていました。なんならソ連に先制攻撃をしかけようという発想です。
対する皇道派は、まず中国を相手にしなければならないと考えます。中国に大打撃を与えて日本に敵対しようという意思を挫いておかなければならないというわけです。そうしておかなければ、ソ連と戦争になったときに日本の敵として参戦してくるおそれがある……と。
実際の歴史の動きは、統制派の構想に沿って進んでいきます。
しかしながら、「中国に大打撃を与えることで日本に抵抗する意思を挫く」という彼らの発想は、甘い見通しだったといわざるをえません。現実には、いくら軍事資源をつぎ込んでも中国側は抗戦姿勢を崩さず、米英からの支援を受けてしぶとく戦い続けます。ちょうど、いまのウクライナ戦争のようになってしまうわけです。こうして統制派の目論見は崩れ、最終的に対米開戦にまで突き進み、大陸の戦線は膠着、対米戦争も絶望的な状態に陥ったところで対ソ戦が始まってしまうという、最悪の事態を迎えることになります。

すなわち、統制派の描いた戦略は、その後の実際の歴史を見るかぎり、致命的に間違っていたといっていいでしょう。
それがあるので、大陸での戦線拡大に懸念を示していた真崎甚三郎がまともに見えたりするときもあります。

しかし、では皇道派の主張が正しいのかというと、そういう話でもないでしょう。
もし皇道派の戦略に従っていたとしたら……その場合、ソ連に対して先制攻撃をしかけていた可能性があり、それはそれで大変な事態になっていたかもしれません。

つまるところ、統制派の考えも、皇道派の考えも、どっちもどっちということになるわけです。
この歴史的経緯から得られる教訓は、自分から攻撃をしかけるという発想になっている時点でもうまずい、ということでしょう。敵国の領土に攻め込んで抗戦を継続できない状態にまで制圧するのが相当難しいということは、大昔からいわれていることです。それは中世でも、近代でも変わらない。したがって、うかつによその国に攻め込んだりすれば、泥沼に足を踏み入れてにっちもさっちもいかなくなる……21世紀においてもそれは変わらないということは、ウクライナ戦争で示されているでしょう。
敗戦からもう80年近くになるわけですが、ある意味当たり前といえば当たり前ともいえるこのことが、重要な教訓になってきているようにも思えます。