ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

新谷のり子「フランシーヌの場合」

2021-03-30 18:11:02 | 音楽批評



今回は、音楽記事です。

最近の音楽記事ではフォークのほうに寄せていっていますが……今回も、フォーク記事の一環として、「フランシーヌの場合」という歌について書きたいと思います。

なぜこの曲かというと……この中で「3月30日」という日付が歌われているためです。その日付にあわせて、今日ご紹介しようというわけです。



「フランシーヌの場合」は、新谷のり子さんが1969年に発表した歌。
新谷さんは本来シャンソン系の人であり、曲調もあまりフォークという感じではありませんが……一般的にフォークソングと認識されているでしょう。


先述したように、この歌では3月30日という日付が出てくるわけですが、それは何の日かというと、
一人のフランス人女性フランシーヌ・ルコントが焼身自殺を遂げた日です。

それは、1969年のこと。
ナイジェリアのビアフラ内戦に抗議するためでした。

歌の中で「3月30日の日曜日パリの朝に燃えた命ひとつ」というのは、そういうことです。
そのシャンソン風の曲調とは裏腹に、この「フランシーヌの場合」はプロテストソングなのです。
この曲で、新谷さんは次のように歌います。

  本当のことをいったら お利口になれない
  本当のことをいったら あまりにも悲しい

ビアフラ内戦といえば、ジョン・レノンが英国政府の態度に抗議するためにMBE勲章を返上したという話をこのブログで何度か紹介してきました。
「フランシーヌの場合」は、そういうプロテストの系譜上にある曲なのです。
本当のことをいったらお利口になれない。
見ざる、言わざる、聞かざるという態度が利口なのかもしれない。それでも本当のことをいわずにいられない……それがロックのアティチュードであり、日本の草創期フォークにはそれがあったと思われるのです。

抗議のための焼身自殺といえば、かつてベトナムでも、ゴ・ディン・ジェム独裁政権に抗議するために仏僧ティック・クアン・ドックが焼身自殺するということがありました。
フランシーヌの場合の6年前、1963年のことです。その有名な写真を、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンはCDジャケットに使用しました。

 

すなわち、プロテストの系譜は、レイジにまでつながっているのです。

焼身自殺というやり方がいいかどうかは議論の余地があるでしょうが……そういう方法をとらざるをえない状況というのがあったわけです。
今でいえば、ミャンマーのような状況でしょうか。軍が本格的に弾圧に乗り出している中では、抵抗運動も文字通り命がけです。
そこに寄り添う歌があってほしい……
「フランシーヌの場合」は、そういう歌なのです。
  
  ひとりぼっちの世界に残された言葉が
  ひとりぼっちの世界にいつまでもささやく

最近この歌を替え歌にした「プルトニウムの場合」という反原発ソングがありますが、そういうところで使われるのも、やはりもとの歌が持つメッセージ性ゆえでしょう。
60年代末は、こういう歌をメジャーのレコード会社がリリースして、それがヒットする時代でした。
果たして今の日本ではどうか……そういうことも考えさせられます。「フランシーヌの場合」は、そんな鋭い問いを投げかけてくる名曲でもあるのです。




山崎ハコ「織江の唄」

2021-03-28 21:07:02 | 音楽批評


先日、田川にいってきました。

田川市は、筑豊地帯に位置し、かつて炭鉱業で栄えた町です。
以前ここの美術館に行った記事を書きましたが……

この田川というところは、山崎ハコさんの歌う「織江の唄」の舞台でもあります。

この歌は、五木寛之さんの『青春の門』をモチーフにしていて、五木さんが歌詞を書いています。
というわけで、前に紹介したフォーク・クルセダーズ「青年は荒野をめざす」とその来歴が似ているので、今回はこの「織江の唄」について書こうと思います。
前の音楽記事で、フォークについて書くと予告したことでもあるので……




歌の最初に登場する遠賀川。
奥のほうには、ボタ山が見えます。

  遠賀川 土手のむこうにボタ山の三つ並んで見えとらす

というのは、これのことです。

ボタ山というのは、石炭を採掘した後の滓を積み上げたもの。
このボタ山は、有名なものです。画像では、角度の問題で三つ並んでいるように見えませんが……実際には三つあります。地元では、‟筑豊富士”とも呼ばれているとか。



筑豊の炭田は、最盛期には日本で採れる石炭の半分以上を産出していたという一大炭鉱地帯でした。
石炭は、工業の燃料となるものであり、明治ぐらいには軍艦も石炭を動力源としているものが少なくありませんでした。そのため、石炭は国家の浮沈にかかわるものと考えられたのです。そいうことがあったので、炭坑関係者から政界入りする人がたくさんいました。たとえば、あの麻生さんの一族もその一つ。麻生家は、往時には筑豊の炭鉱経営界隈で“御三家”と呼ばれたうちの一つだったのです。
遠賀川は、炭鉱に関わる物資の輸送を担っていました。そのため炭鉱経営から政界入りした政治家らは、遠賀川の整備などに尽力したのです。

……というのは天下国家の話ですが、その炭鉱には、もちろん働く人たちがいます。

そこには、哀愁があります。

恥ずかしながら私は『青春の門』を未読なんですが、それであっても、山崎ハコさんの歌声から、その背後にある物語が切々と伝わってくるのです。

  うちはあんたが好きやった
  ばってん お金にゃ勝てんもん


歌のなかに出てくる「カラス峠」にも行ってみました。



正式には「烏尾峠」というそうですが、「カラス峠」と通称されていて、歌の中にもその名前で出てきます。

田川と飯塚を結ぶ峠。
徒歩で越えるのは断念しましたが、結果的に、帰路はバスでここを越えました。
もちろん今では舗装された道路になってるわけですが、昔は盗賊などもあらわれる危険な峠道だったといいます。
道のわきは、こんな感じです。



歌の中で、織江はこの峠をこえ、幼馴染に会いに行くのです。



「織江の唄」で歌われているのは、つまりは身寄りをなくした若い女性の‟身売り”です。

これは単に、日本が貧しかった頃の話ということではありません。
案外、かたちを変えていまでも起こっていることなんじゃないかと思えます。

貧困が問題とされるようになった近年、そして、この一年のコロナ禍……織江の唄は、過去のものではないのかもしれません。






『ゴジラVSメカゴジラ』

2021-03-27 17:00:03 | 映画




今回は映画記事です。

だいぶ久しぶりになりますが、このカテゴリーでやっていたゴジラ映画シリーズに戻りたいと思います。

紹介するのは、『ゴジラVSメカゴジラ』。


 
シリーズ20作目であり、ゴジラ生誕40周年という記念です。
また、第二シリーズは本来この作品で終了することになっていたともいいます。
ということは、シリーズ最終作でもある……という特殊な位置づけでした。

そういう節目になるということは、もちろん制作陣にもわかっているわけです。
では、その記念すべき作品はどのようなものになるべきなのか――

ここで、メカゴジラが登場します。

ゴジラ誕生20周年のアニバーサリーをかざる怪獣として登場したメカゴジラが、この40周年で復活するのです。

ここが、メカゴジラの特殊性ですね。一つ大きな節目をかざるのにふさわしい存在として、メカゴジラが出てくるわけなんです。

『ゴジラVSキングギドラ』、『ゴジラVSモスラ』『ゴジラVSメカゴジラ』を、私は勝手に平成ゴジラのスター3部作と呼んでいますが、その最期をしめくくるのに、メカゴジラはもってこいの存在といえるでしょう。

その予告動画です。

【公式】「ゴジラVSメカゴジラ」予告 ゴジラ生誕40周年記念のゴジラシリーズの第20作目。

この予告動画でも紹介される通り、本作でゴジラは再び“親”という存在になります。

‟ベビーゴジラ”というものが登場して、その親という性格が与えられるのです。

前作まで第二期ゴジラは一貫して人類にとっての脅威でしたが、ここからまたその意味合いを変化させ、人類との間にも微妙な距離感をもつようになってきます。
これは、第一期の軌道をなぞっているようです。
第二期はこの後まだ二作あるわけですが、その二作では、人類との共闘のような構図がみられるようになります。
そういう意味で、この作品は、第二期シリーズの転換点といえるでしょう。

その転換は、たとえばゴジラがベビーゴジラを追って日本にやってくるというようなところにも表れています。

第二期ゴジラの出発点である84年版『ゴジラ』では、ゴジラは放射性物質をもとめて日本にやってくるということがいわれていました。
後続作品ではそのあたり曖昧になってたんですが、この『ゴジラVSメカゴジラ』において、それは完全に放棄されます。
ゴジラは、核を求めてではなく、子どもを守るために日本にやってくる――あざやかな転換です。

これにより、ゴジラは‟核の脅威”ではなく、メカゴジラと対置される自然・生命の象徴といったふうにその意味合いを変えていくのです。

これは、前作『ゴジラVSモスラ』にもみられた、‟文明への懐疑”というテーマが、違う角度で描かれているということでしょう。
科学技術を軸にした近代文明への懐疑という視点は、第一作『ゴジラ』において提示され、84年版『ゴジラ』以降の第二期ゴジラにおいて基調をなしているといえます。
それまでのゴジラにおいては、核兵器によって誕生したゴジラ自体がその懐疑を投げかける存在でしたが、『ゴジラVSメカゴジラ』においては、むしろメカゴジラという機械によってゴジラを倒そうとする人間の姿勢のほうに懐疑がむけられます。
すなわち、「人間の機械文明VS自然」という構図であり、ゴジラはその「自然」の側に入っているのです。親となったことによって、ゴジラはそこにすっぽり入り込むことができたのです。
であるがために、この作品ではゴジラは勝利する側にいます。
物語の構造上、そうならざるをえないわけです。ゴジラがメカゴジラを倒してそのまま海に帰っていく――というエンディングは、考えようによっては実に奇妙ですが、その背景には前述したようなねじれがあるのです。そして、本作以降の第二期シリーズ作品は、基本的にそのねじれを継承していくことになります。これは、あの時代のゴジラだったがゆえのことなのでしょう。



ここで、ラドンについても触れておきましょう。

この作品には、ラドンも登場します。
メカゴジラにはまだ未知数なところがあるのでラドンも出そうということなのか……それはわかりませんが、昭和ゴジラのスターに出てもらおうという意図が徹底しているとはいえるでしょう。キングギドラが出てきた、モスラが出てきた、ということであれば、ラドンが登場するのも当然といえば当然ともいえます。
前作の『ゴジラVSモスラ』でモスラがパワーアップしていたように、ラドンもまたパワーアップしています。口から熱線を吐くことができるようになっていて、映画終盤では‟ファイヤーラドン”と呼ばれる別形態にもなります。
そして最後には――というのはネタバレになるので書きませんが、やはり、ラドンはゴジラにとって無二の戦友だということを思い出さてくれます。それだけに、後のファイナルウォーズにおけるあの扱いが釈然としないんですが……



最後に、こちらも久しぶりの3DCG。
VS版メカゴジラを作ってみました。



前回のゴジラ記事からだいぶ時間があいたのは、これを造っていたからということもあります。
自分でいうのもなんですが、これは結構よくできてるんじゃないかと思います。3DCGは、素人がやるぶんには、ロボット的なもののほうがそれらしくできるんでしょう。

ついでに、ゴジラとの対峙も。



ゴジラのほうは前に一度公開したものを改良しています。
ゴジラ、メカゴジラの両方とも、多少動かすことができるようになってます。
さらに造り込んで、戦闘シーンなんかもやってみたいところです。私の持っているPCのスペックがその処理に耐えられるかという問題もありますが……




水木しげる「ごきぶり」

2021-03-25 20:09:02 | 漫画

先日このブログで、“水木しげる生誕100周年事業”というものを紹介しました。

水木しげる先生の生誕100周年をその前後3年間にわたって祝おうというもので、『鬼太郎』六期の劇場版や、『悪魔くん』の新たなアニメ化といったプロジェクトが発表されています。

……ということなので、このブログでも、この期間中おりにふれて水木先生の作品について書いていこうと思います。



さて、水木先生といえば、まずなんといっても漫画家です。

子供のころから絵がうまく、また、空想的な物語を語る才もありました。となれば、漫画家を目指すのも道理でしょう。
太平洋戦争中には南方戦争に行き、戦場で左腕を失いましたが、それでも漫画家として活躍しました。片腕であの絵を描いているというのはちょっと信じがたいことですが……

戦場での経験は多くの作品に影響していると思われますが、それを直接描いた作品もあります。

今回紹介するのは、そうした短編を集めた『敗走記』です。


このなかの「ごきぶり」という短編が、特に印象に残っています。

かつて空の勇者とたたえられたパイロットでありながら、戦後は戦犯として追われる身となった男の話です。

水木先生自身の兄が戦犯として巣鴨拘置所に入れられていたという経歴があり、その際兄から聞いた話をもとにして描いたといいます。

実際の先生の兄・宗平さんは、弟よりも長生きして2017年に亡くなっていますが、「ごきぶり」の主人公・山本は、戦犯として処刑されます。

かつては空の勇者だったのが、戦後は官憲に追われる身……ここに、戦争というものの不条理が描き出されているのです。

「歓呼の声で戦場に送り出した故郷が……今では俺に死をもって報いようとしているのだ」

と、山本はいいます。
一兵士として戦場でとった行動を果たして罪に問いうるのか。これは、現代の戦争にも通ずる大きな問題でしょう。
その一兵士は、ひとたび祖国に帰れば家族や友人もいます。この点を突いた物語のラストシーンは、じつに哀切です。

最後に、この作品集の表題作「敗走記」のラストで語られる言葉を引用しておきましょう。

  戦争は 人間を悪魔にする
  戦争を この地上からなくさないかぎり
  地上は 天国になりえない……




ホフディランの名曲を振り返る

2021-03-23 18:44:23 | 過去記事

ホフ・ディラン「スマイル」

今回は、音楽評論記事です。 以前、ボブ・ディランのことを書きましたが……そこからのつながりで、ホフ・ディランの「スマイル」という曲について書きます。ホフ・ディランは、二人組......


過去記事です。
ホフディランの「スマイル」について書いています。

探してみたら動画が見つかったので、動画も紹介しておきましょう。

ホフディラン - スマイル @ りんご音楽祭2013

あらためて、やはりいい曲です。
発表されてからもう二十年以上……いま聞くと、なお心にしみいってきます。



ついでに、今をときめく森七菜さんによるカバー。
ホフディランの二人も参加しています。

森七菜 スマイル Music Video  

こうしてカバーされるというのも、やはり名曲ゆえのことでしょう。