ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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『X-MEN ダーク・フェニックス』

2020-08-31 15:48:10 | 映画


今回は、映画記事です。

前回の映画記事ではターミネーターの最新作について書きましたが……以前ターミネーター作品について書いた際に比較対象としてX-MENの話をしたので、今回も X-MEN について書こうと思います。

ぶっちゃけておくと、この流れはゲオの5本で1000円システムによるものです。
この間、寅さんの日ということで『男はつらいよ50』を借りようと思い、どうせならこの際「新作・準新作5本で1000円」システムを利用して、観ようと思っていた新作映画をまとめて借りてきたという経緯。普段は旧作落ちするのを待ってレンタルというせこいやり方をしている私ですが、今回5本1000円システムを利用したことによって、比較的新しい映画を観ることができているわけです。そのなかの一つが、先日紹介した『ターミネータ:ニュー・フェイト』でした。

そして、X-MENシリーズの最新作である『ダーク・フェニックス』です。

このシリーズでは、4作目でいったん過去に戻って別の世界線が描かれてきたわけですが……6作目にあたる前作『アポカリプス』で、スコット、ジーン、ストームといった旧シリーズを支えたミュータントたちが出そろいました。チャールズも、スキンヘッドで車いすという我々のよく知る“プロフェッサーX”に近づいてきています。そして今作では、舞台となる時代設定も、1992年と第一作の出発点に接近してきました。

下は、そのトレーラー映像。
英語で字幕ナシですが、これしか見つからなかったので……

Dark Phoenix | Official Trailer [HD] | 20th Century FOX

内容は、“ダーク・フェニックス”というタイトルに示されるとおり、全編とおしてだいぶ重い話になっています。

ネタバレになるので詳細は書きませんが、レギュラー陣の一人が殉職。そこから、X-MEN内部に亀裂が生じ、仲間割れのようなかたちになっていきます。
前作でも殉職者は出ましたが……前回はそれがX-MENたちをむしろ団結させたのに対して、今回は分裂の引き金に。もともと綻びが生じ始めていたことが背景にあるわけなんですが、こういう展開はこれまでのシリーズにあまりなかったことで、それがある種の重苦しい感じを生んでいるでしょう。



話の軸となるのは、ジーン・グレイ。

X-MENのなかでも最強クラスの力を持ち、前作ではその力を覚醒させ、シリーズ史上最強の敵を倒しました。
しかし、彼女の力は、強すぎるがゆえに抑制が難しいのです。
旧シリーズでもその強大すぎる力が暴走してすさまじい破壊を引き起こしましたが、今作もそれに近いことになっています。違う世界線になっても、やはりこの展開……これはもう、ジーンという人の運命なんでしょう。

本作の最大の見どころは、もちろんミュータントたちのバトル。

X-MENでおなじみの、敵味方それぞれ4,5人のミュータントがいてミュータント軍団同士での戦いという見所がきちんと用意されています。
詳細は省きますが、今回はハンク・マッコイが敵の側に回るというサプライズも。

ただし、今回はそこに第三の勢力がからんできて、最終的にX-MENたちは団結して戦うことになります。

もちろん、最終的にはX-MENたちが勝利。

この作品の結末は、『フューチャー&パスト』に描かれた未来と矛盾しているようにも思えるんですが……まあ、細かい齟齬は、これまでにもいくつかありました。さすがに、そういうところは割り切ってしまわないと、これだけシリーズを続けることもできなかったんでしょう。



どうやら、X-MENシリーズはこれが最終作ということになるようです。

20年近く続いたシリーズの結末としては、本作はいささか“ダーク”のほうに流れすぎてしまった気がしないでもありません。後味という意味では、決してよいとはいえないでしょう。最後の最後でウルヴァリンは出てこないのかという一抹の寂しさもあります。
正直なところ、これで終わりだといわれると釈然としないものがあり……できうれば、まだ続編があってほしい。
決してありえないことではないと思うので、その辺ちょっと期待しておきたいと思います。




『ターミネーター:ニュー・フェイト』

2020-08-29 11:36:17 | 映画


今日8月29日は、“審判の日”です。

――といっても、ヴァン・ヘイレンでもスティーヴ・ルカサーでもありません。

映画『ターミネーター』シリーズにおける“審判の日”なのです。

ということで、今回は、映画記事としてターミネーターシリーズの最新作『ターミネーター ニュー・フェイト』について書こうと思います。



この映画については、以前一度言及しました。

ターミネーターの新シリーズ一作目として制作された『新起動/ジェニシス』が大コケし、新三部作の構想自体が頓挫したあと、ジェームズ・キャメロン監督が自らターミネーターの新作を制作。そうしてできたのが、本作『ニューフェイト』です。『ターミネーター3』以降の作品をなかったことにして、キャメロン印の正統な続編という触れ込みでした。

その予告動画です。

映画『ターミネーター:ニュー・フェイト』本予告【新たな運命編】11月8日(金)公開

どうやら、世間的には、この『ニューフェイト』のほうも評価があまり芳しくないようなんですが……私個人としては、そう悪くはないと思います。

『新起動』で私が問題視した“リセットの不徹底”を、この作品ではきっちりやっています。
そのあたりは、さすがのキャメロン御大というところでしょうか。課題を適確に把握し、そこを改善してきているのです。

具体的には、作品冒頭でジョン・コナーの死が描かれます。『2』の続編なのでスカイネットももう消滅していて、幕開けから旧シリーズの根幹が放棄されているのです。

ちなみに、ジョンが殺されるシーンは、CGでジョンやサラ、T-800を若い姿で再現しています。
下はそのメイキング映像。映像技術の発達には驚かされるばかりです……


若きエドワード・ファーロングを再現する最先端CGが驚異的/映画『ターミネーター:ニュー・フェイト』メイキング映像

この殺害は、あくまでも“実現しなかった未来からの指令が遂行されてしまった”のであり、先述したとおり、スカイネットが人類を襲う未来は消えたままです。
しかしながら、愚かな人類は学ぶことを知らないために、スカイネットとは別のAI“リージョン”が暴走。かつてのスカイネットと同様、人類側のリーダーを亡き者にするために過去に刺客を送り込む――というこの部分に、ターミネーターの基本構造が残されました。ただし、送り込まれてくるのはTシリーズとは違うまったく新しいターミネーター。いっぽう味方の側は、機械によって強化された人間となっています。

……こうして、基本構造だけを残して、その他の要素はほぼ完全にリセットされているのです。こうして過去作とのしがらみを断ち切ったことで、『新起動』ほどのグダグダ感はなくなりました。
スカイネット、ジョン・コナーの世界線を抹消したことによって、制作する側の自由度が増した。これによって、新たにジョン・コナー、カイル・リースに相当する役で登場した二人も、自由に動き回れるというわけです。

ただし、あくまでも“ほぼ完全”なリセットであって、完全ではありません。

旧シリーズから引き継いだ要素としては、まずサラ・コナー。
演じるのは、旧シリーズと同じリンダ・ハミルトン。
このサラが、もう無敵のおばあちゃんになってます。
エイリアンにおけるシガニー・ウィーバーのような感じで、対ターミネーター最終兵器のような存在感です。

そして、さらに後半になると、いよいよシュワちゃんが登場。
ただ、そのあたりから、ちょっとキャメロン監督の悪いところが出てしまっているように私には思えました。
安いハードボイルドっぽい方向に話が流れていき、T-800が仲間になってくれる経緯についても、いささか陳腐で無理筋の感が否めません。まあ、この点に関しては、ジェームズ・キャメロンがターミネーターの新作を作るとなった時点で避けられなかったことなのかもしれませんが……やはり、ここは完全に旧シリーズとのつながりを断ち切っておいたほうがよかったのではないかと思えます。



最後に、この作品がもつ時代性という部分についても指摘しておきましょう。


作品の冒頭部分では、ロボットが人間の仕事を奪ってしまうという事態が描かれます。
前々から指摘されている問題ではありますが、昨今のAIの発達によって、懸念はより深刻さを増しているといえるでしょう。そして、その行きつく先に、AIによる人類撲滅計画があるのです。もっとも、T-800が計算したところによれば、AIの暴走がなくとも74%の確率で文明は崩壊するとのことですが……

もう一つ注目されるのは、ジェンダー役割の転換。
第一作におけるサラ・コナーに相当するダニー(ナタリア・レイエス)と、カイル・リースに相当するグレース(マッケンジー・デイヴィス)は、いずれも女性。ここに本家サラ・コナーが加わり、前半は女性のみのパーティー編成となっています。
そして――これはちょっとネタバレになってしまいますが――実はダニーは、かつてのサラ・コナーが“未来の人類を率いるリーダーを生む母親”であったのに対して、彼女自身が未来のリーダーとなる運命なのです。つまりダニーは、サラ・コナーではなくジョン・コナーだったのです。このあたりも、時代を反映してのことかもしれません。

そして、この作品で印象的なのは、ダニーが戦う未来のシーンです。

かつてジョン・コナーがカイル・リースを救ったように、未来のダニーは幼いグレースを救います。
荒廃した世界でグレースを襲うのは、野盗となった人間のグループ。その人間たちに、ダニーはいいます。

  人間同士で殺しあったら、リージョンの思うつぼ。
  戦うべき相手は、マシンよ。

「意味ないだろ、どうせ勝てっこない」と野盗グループの男がいうのに対して、ダニーは次のように反論。

  リージョンは人間が作り出すまで存在しなかった。
  私たちがそれを作った。
  だから、私たちが破壊できる。
  どっかの機械が決めたからって
  倒れたままで死を待つの?
  それが運命だから?
  運命なんかくそくらえ!


力強い言葉でした。
ここで使われているmachineという単語は、 巨大な組織とかシステムといったような意味合いも持ちえます。そうすると、ダニーの言葉はもっと広い意味にとらえることもできるでしょう。
ここにこそ、この作品が現代の世界に対してもつメッセージがあるのではないでしょうか。  



安倍総理、辞意を表明

2020-08-28 17:22:33 | 時事


安倍総理が辞意を表明しました。

一週間ほど前から、ちらほらと噂は流れていたものの、本当だろうかという疑問がありました。しかし、今日の会見で、はっきりと本人の口から総理の職を辞すると語られました。

私としては、先日このブログで、体調が悪くて職責を果たせないなら辞任するべきだと書きました。
ということなので、辞任の判断に関しては妥当だと思います。

ただ重要なのは、だからといってこれまでにあった数々の疑惑をうやむやにしてはいけないということです。

たとえもう終わったこと、今さらどうしようもないことであっても、責任は追及しなければならない。このブログでは、かねがねそう主張してきました。それは、今後同じことが繰り返されないためです。あまりに当たり前すぎる話ですが……その“当たり前”が、この八年間で根っこから崩壊してしまっている現状があります。

その建て直しのためには、やはり政権交代可能な土壌が必要でしょう。
かつて、およそ40年にわたって隠蔽されていた日米の密約が明るみに出たのは、民主党政権の手によってでした。
この件に示されているように、政権交代には、隠蔽されていたことを白日のもとにさらす効能があります。
逆に、ときどき交代して風通しをよくしないと、閉鎖空間の中で腐敗がどんどん進行していくでしょう。

今後しばらくは自公政権が続くとしても……選挙で政権交代を果たしたうえで、これまでうやむやにされてきたことにけじめをつける。それをやらないと、この国はまともな法治国家に戻れないでしょう。



『男はつらいよ50 お帰り寅さん』

2020-08-27 18:25:30 | 映画


今日8月27日は、「寅さんの日」だそうです。

映画『男はつらいよ』の第一作が、1969年に公開されたということで、この日が記念日になったということです。

というわけで、映画『男はつらいよ50 お帰り寅さん』をみました。

昨年末に公開された、シリーズ50作目にあたる最新作。
前からちょっと気になってはいましたが、この機会に観てみようかということで、レンタルしてきました。

オープニングには、桑田佳祐さんが登場します。
あの「俺がいたんじゃ……」という歌を桑田さんが歌ったことでも、本作は話題になりました。
この人選は、実にぴったりだったと思います。



内容は、脱サラして作家になった諏訪満男(吉岡秀隆)が、伯父である寅さんのことを回想するというもの。

懐かしい面々が、そろって登場します。
あの一家だけではなく、シリーズの過去作品に登場した人物も。そして、ある人物との再会がストーリーの核となります。
もちろん寅次郎本人は出てきませんが、過去映像としては登場。
私はそんなにこのシリーズの作品を観ているわけではありませんが、それらのライブフィルムには懐かしいシーンもいくつかありました。

昔はよかったなどということは言いたくないんですが……ここに描かれているのは、たしかに今は失われたなにかだという気はします。

現代は、すなわち寅さんなき時代です。

先に、桑田佳祐さんのOP起用はぴったりだと書きましたが……このニュースを聞いて私が真っ先に思ったのは、桑田さんがソロで発表した「祭のあと」という歌でした。

  それとなくあの娘に聞いたよ
  誰が大事な人なのか
  心の中じゃ ああ 無理だとしながら
  ふられてもくじけちゃ駄目だよ
  こんなしがない世の中で
  振り向くたびに もう若くはないさと

  野暮でいなたい人生を
  照れることなく語ろう 
  悪さしながら 男なら
  粋で優しい馬鹿でいろ

ここに歌われていることが、まさに寅さんだと思うわけです。
そういう寅さん的なるものがどんどん失われているのが、この21世紀ではないかと。粋で優しい馬鹿どころか、知恵はあっても人間としてはクズ、みたいな人が大手を振って闊歩する時代になってしまった……と、テレビを見ると思います。

しかし、単に昭和ノスタルジーで終わってしまったのでは、この令和の時代に寅さんが帰ってきた意味もありません。

この、寅さんなき時代に、いかに胸を張って生きていくか――
駆け出し作家の満男にみずからを重ね合わせつつ、寅さんの精神をもってやっていこうと思います。



『モスラ』

2020-08-23 16:01:31 | 映画


最近このブログでは、古関裕而の作った曲を2曲紹介しました。

朝ドラのモデルだからというのもたぶんにあってのことなんですが……この流れを、もう少し引っ張っていこうと思います。

古関裕而という人は、なかなか引き出しの多い作曲家で、映画や劇の音楽もやっていました。

そちら方面ではドラマ主題歌の「君の名は」などが有名ですが、彼が音楽を手がけた映画のちょっと変わり種として、『モスラ』があります。

「長崎の鐘」や「ひめゆりの塔」の作曲者がモスラとは意外なとりあわせに思われるかもしれませんが……古関裕而には「イヨマンテの夜」という先住民族ふうの曲があったりして、そういった曲調が引き出しの一つと認識されていたのかもしれません。(※「イヨマンテ」はアイヌの儀式。ただし、「イヨマンテの夜」として歌詞がつけられたのは後のことで、曲自体は必ずしもアイヌ民族をイメージしたものではないらしいです)

その先住民族ふう音楽のセンスが発揮されているのが、かの「モスラの歌」。
あの、ザ・ピーナッツが歌う「モスラ~ヤ、モスラ~」の歌です。ある意味では、これが古関裕而作品のなかでもっとも有名なものなんじゃないかとも思えます。

……というわけで、ちょうど映画カテゴリーのほうでもモスラ登場作品について連投していたところなので、ここで映画『モスラ』について書きましょう。


モスラ(1961)

公開は、1961年。

東宝といえばまずゴジラが有名ですが、ほかにも『空の大怪獣ラドン』や『大怪獣バラン』といった、怪獣が単体で出てくる映画をいくつか制作していて、『モスラ』もそのなかの一作です。

監督は本多猪四郎。
そして、特撮・円谷英二の黄金コンビ。
制作の田中友幸、脚本の関沢新一も、ゴジラシリーズでおなじみです。

キャストも、ゴジラシリーズの常連キャストと重なる部分があります。小泉博、田島義文、佐原健二……なかでも特筆すべきは、平田昭彦と志村喬。主要な役とはいえませんが、この二人がそろって出てくるだけでも『ゴジラ』ファンには涙モノでしょう。
そして、この映画がすごいのはそれだけではありません。
原作には、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という名だたる文学者が名を連ねているのです(登場人物の「福田善一郎」という名は、この三人の名前をかけあわせたもの)。
三人とも純文学方面の作家で、とくに中村真一郎は、もうゴリゴリの純文学の人。この人たちの手によって、モスラは単なる怪獣を超えた存在に昇華され、東宝特撮においてゴジラと対になるような存在として以後いくつもの作品に登場し続けることとなるのです。

おそらく東宝も、最初からモスラをそういう存在たらしめようと考えていました。

東宝が『モスラ』に並々ならぬ力を注いでいたことは、モスラのミニチュアが十数体用意され、最大のものは長さ十メートルにも及んだというようなところにも表れています。一体の怪獣にこれだけのフィギュアが作られたのは、あの'84年版『ゴジラ』ぐらいのものじゃないでしょうか。



こちらは、ひさびさの3DCG。
『モスラ』に登場するモスラ幼虫をイメージして、以前作ったモスラを改造してみました。
61年版のオリジナルモスラ幼虫は、ゴジラシリーズに登場するものに比べて色が若干薄くなっています。



東宝特撮の巨匠である本多猪四郎監督にとっても、『モスラ』は特別な作品だったようです。

本多監督は、後に「自分がかかわった怪獣映画のなかで特に印象深いものを三つ挙げるとしたら」という問いにこたえて、『ゴジラ』『妖星ゴラス』と並んで『モスラ』を挙げています。このことにも示されているとおり、まさに『モスラ』は、モスラという特別な怪獣を生み出した記念碑的作品なのです。


モスラ登場作品の基本的なモチーフも、このときすでにできています。

欲に目のくらんだ人間が小美人を日本につれてきて金儲けに利用しようとする。その小美人を助けにモスラが日本にやってくる――というパターンです。

そして、昭和の『モスラ』でも平成の『ゴジラVSモスラ』でも変わらないのが、欲に目のくらんだ人間たち。
小美人をこのまま日本においておけば、モスラがやってきて大変な被害を受ける。そのきたるべき破滅がわかっているにもかかわらず、目先のことだけを考えてなにも対処しようとしない――これは、さすが文学者たちの透徹した目で、日本という国の暗喩なのではないかと思えてきます。

少子化、温暖化、エネルギー問題、財政問題と、日本社会のあらゆる問題に同じことがみられるんじゃないでしょうか。そしてそれはコロナにも……



最後に、『モスラ』に関するこぼれ話をもう一つ紹介しましょう。

この映画ではモスラは東京タワーに繭を作りますが、当初は国会議事堂に繭を作る案もあったそうです。
国会議事堂に繭を作って羽化するというシーンは、後に平成の『ゴジラVSモスラ』で実現しました。
このブログのゴジモス記事でも書きましたが、その演出は、政治に対するメッセージとも考えられます。腐敗した政治に対する再生の希望――これこそ、現代日本にもっとも痛切に響いてくるメッセージではないでしょうか。