第16回『このミス』大賞の最終候補が発表されました。
『このミス』大賞2次選考通過作品
この一年ほど、主要な新人賞で「受賞作なし」が相次いで話題になりましたが、果たして『このミス』はどうなんでしょうか。注目です。
さて今回は、『このミス』大賞について書きたいと思います。
特殊な形とはいえ、私も一応ここの出身作家の端くれということになると思うので、このタイミングで“出身地”について書いておくのもいいかなと。
投稿者としてはだいぶ長いこと応募対象としていたので、応募者視点になるのですが、なぜわたくしごとき者が作品を発表することができたのか、そういったことも含めて書いていきます。
まず、『このミス』の特徴は、なんといっても出口の広さでしょう。
毎年、最終候補者というのは5~7名ほどいるわけですが、たいていの場合、そのうちの半分以上がなんらかの形でデビューします。
大賞、優秀賞が各1名、隠し玉が2名となると、これで4人。大賞が2人とか、優秀賞がないとかいった回もありますが、それでもほとんどの場合半分以上がデビューしているのです。
そこへきて、今年は「超隠し玉」というものが出ました。
私もその末席を汚すという僥倖にあずかったわけですが、これによって状況はさらに太っ腹なことに。第12回は7人中5人、第10回は6人中5人、そして第7回に至っては、結果として最終候補者5人の全員がデビューというフィーバーぶりです(※間接的なものも含む)。
もう少し補足すると、『このミス』では、ごく稀にではありますが、最終候補に残らなくても隠し玉として出版される場合があります。
また、予選を担当されている選考委員の方が、一次選考を通過していない作品を隠し玉で出せないかと驚くべきことをいっていたりもします。将来的に、ひょっとしたらそういうこともあるのかもしれません。
つまり、『このミス』大賞は、デビューにいたる筋道がかなり多い。投稿者の立場からみると、ここは大いに魅力になりますよね。
それから、『このミス』大賞のもう一つの魅力は、“ここだからこそ”という作品が出てくるということでしょうか。
つまり、ほかの賞だったら出てこないだろうな、というような作品が、日の目を見ることができるのです。
このことは、『このミス』大賞シリーズの作品をいくつか読めば容易に実感できると思いますが、今回の「超隠し玉」という企画もまさにその象徴だと思います。
(田中さんと春畑さん、このくだりが気に障ったらゴメンナサイ)
ご本人のブログによると、田中静人さんは、小説推理新人賞の最終候補に残っておられたそうです。また、春畑行成さんは、乱歩賞の最終候補経験者。そして、かくいう私も、横溝賞の最終候補となったことがあります。
それぞれ落選していて、『このミス』でも最終候補になりながら落選という経験をしているわけですが、そこを今回の「超隠し玉」で拾ってもらえました。
しかも、数年前の応募作を。
こういうところが、『このミス』大賞の懐の深さだと思います。
複数の賞でファイナルに進出しながら落選を繰り返す投稿者は、作品に何かしら看過しがたい瑕疵があるとよくいわれます。
しかしそれは、もしかすると“瑕疵”というよりも“アクの強さ”のようなもので、見ようによっては強烈な個性といえるのかもしれない……という考えかどうかはわかりませんが、ともかくも、よそでは選ばれなかった私(じつは、『メフィスト』の座談会に残って選に漏れたこともあるのです)を、『このミス』は拾ってくれました。
昨日まで選ばれなかった僕らでも、明日を待ってる……そんな、ピロウズのハイブリッド・レインボウ的な状況に、希望の船が迎えにきたようなものです。
といったようなわけで、小説の投稿をされている方は、『このミス』大賞を目標の一つにされてはいかがでしょうか。
とにかく、強い個性のある作品で勝負すれば、受賞できずとも出版にいたるケースはあるわけです。これを狙わない手はないでしょう。
今回の15周年企画「超隠し玉」のように、節目の年に何年も前の応募作が発掘されることもあるかもしれませんよ。
次は、150周年かな。
『このミス』大賞2次選考通過作品
この一年ほど、主要な新人賞で「受賞作なし」が相次いで話題になりましたが、果たして『このミス』はどうなんでしょうか。注目です。
さて今回は、『このミス』大賞について書きたいと思います。
特殊な形とはいえ、私も一応ここの出身作家の端くれということになると思うので、このタイミングで“出身地”について書いておくのもいいかなと。
投稿者としてはだいぶ長いこと応募対象としていたので、応募者視点になるのですが、なぜわたくしごとき者が作品を発表することができたのか、そういったことも含めて書いていきます。
まず、『このミス』の特徴は、なんといっても出口の広さでしょう。
毎年、最終候補者というのは5~7名ほどいるわけですが、たいていの場合、そのうちの半分以上がなんらかの形でデビューします。
大賞、優秀賞が各1名、隠し玉が2名となると、これで4人。大賞が2人とか、優秀賞がないとかいった回もありますが、それでもほとんどの場合半分以上がデビューしているのです。
そこへきて、今年は「超隠し玉」というものが出ました。
私もその末席を汚すという僥倖にあずかったわけですが、これによって状況はさらに太っ腹なことに。第12回は7人中5人、第10回は6人中5人、そして第7回に至っては、結果として最終候補者5人の全員がデビューというフィーバーぶりです(※間接的なものも含む)。
もう少し補足すると、『このミス』では、ごく稀にではありますが、最終候補に残らなくても隠し玉として出版される場合があります。
また、予選を担当されている選考委員の方が、一次選考を通過していない作品を隠し玉で出せないかと驚くべきことをいっていたりもします。将来的に、ひょっとしたらそういうこともあるのかもしれません。
つまり、『このミス』大賞は、デビューにいたる筋道がかなり多い。投稿者の立場からみると、ここは大いに魅力になりますよね。
それから、『このミス』大賞のもう一つの魅力は、“ここだからこそ”という作品が出てくるということでしょうか。
つまり、ほかの賞だったら出てこないだろうな、というような作品が、日の目を見ることができるのです。
このことは、『このミス』大賞シリーズの作品をいくつか読めば容易に実感できると思いますが、今回の「超隠し玉」という企画もまさにその象徴だと思います。
(田中さんと春畑さん、このくだりが気に障ったらゴメンナサイ)
ご本人のブログによると、田中静人さんは、小説推理新人賞の最終候補に残っておられたそうです。また、春畑行成さんは、乱歩賞の最終候補経験者。そして、かくいう私も、横溝賞の最終候補となったことがあります。
それぞれ落選していて、『このミス』でも最終候補になりながら落選という経験をしているわけですが、そこを今回の「超隠し玉」で拾ってもらえました。
しかも、数年前の応募作を。
こういうところが、『このミス』大賞の懐の深さだと思います。
複数の賞でファイナルに進出しながら落選を繰り返す投稿者は、作品に何かしら看過しがたい瑕疵があるとよくいわれます。
しかしそれは、もしかすると“瑕疵”というよりも“アクの強さ”のようなもので、見ようによっては強烈な個性といえるのかもしれない……という考えかどうかはわかりませんが、ともかくも、よそでは選ばれなかった私(じつは、『メフィスト』の座談会に残って選に漏れたこともあるのです)を、『このミス』は拾ってくれました。
昨日まで選ばれなかった僕らでも、明日を待ってる……そんな、ピロウズのハイブリッド・レインボウ的な状況に、希望の船が迎えにきたようなものです。
といったようなわけで、小説の投稿をされている方は、『このミス』大賞を目標の一つにされてはいかがでしょうか。
とにかく、強い個性のある作品で勝負すれば、受賞できずとも出版にいたるケースはあるわけです。これを狙わない手はないでしょう。
今回の15周年企画「超隠し玉」のように、節目の年に何年も前の応募作が発掘されることもあるかもしれませんよ。
次は、150周年かな。