ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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日本代表、薄氷の決勝トーナメント進出……だけど

2018-06-29 16:04:28 | スポーツ
サッカーのロシアW杯で、日本代表が決勝トーナメント進出を決めました。

グループリーグ最後のポーランド戦で、敗れはしたものの、フェアプレーポイントでセネガルを上回っての突破。

ひとまず、おめでとうというところです。

一進一退というか……日韓大会以来、決勝T進出とグループリーグ敗退を交互に繰り返してますね。
このへんは、プレッシャーの問題かなとも思います。
決勝T進出した次の大会は、期待も高まり、そのぶん強いプレッシャーがかかる。逆に、2010年の南ア大会のときや今回のように、イレギュラーな監督交代があって直前まで負けまくって、「どうせ全敗で一次敗退だろ」みたいに思われていたほうが、余計な重圧がかからずに自由にプレイできたりするんじゃないか、と。

今回のグループリーグ突破では、「フェアプレーポイント」なるもので勝ち上がったことにかんしてあれこれいわれているようですが、私はその点に関しては別に問題があるとは思いません。
そういうルールがあって、たまたま日本はそれを有効活用できる状態にあって、それを活用したということですから。
最近シリーズ完結で話題になっている『ドカベン』のたとえでいうと、マニアックなルールを利用して、不知火から一点をもぎとるみたいなことでしょう。で、山田が「いや、たまたま知ってただけだよ」という……

ただ、ちょっともやもやが残るのは、“引き分けでもかまわない”ではなく、負けている状態で点を取りにいかないのはどうなんだろう……というところでしょうか。
結果としては、日本のほうが一分ぐらい先に試合が終わったので、もしその一分間でセネガルが追いついていたら、日本はもう何もできませんでした。ほんの数十秒のことにせよ、自分たちの力で何とかする努力さえできない状況を作ってしまったわけですよね。それはつまり一種の賭けで、その賭けに西野監督は勝ったということになるわけですが……ただ、ルールの問題でもなく、もう一方の試合についてのリスク計算の問題でもなく、スポーツのマナーの問題として、負けている試合でパス回しで時間を消費するのはどうなのかというすっきりしない部分が残るのは否定できません。そこへきてポーランドの側も、このままいけば一勝はできるということで、あまり攻めていかない。利害関係が一致して、はたから見ると非常にやる気のない状態ができてしまい、ブーイングの嵐ということになったわけです。

まあ、私はサッカーのことにそんなに詳しくないんでよくわかりませんが……
ここでも『ドカベン』のたとえでいうと、小林中がひたすら山田を敬遠してブーイングを浴び、小林の姉(妹だったかもしれません)が、「敬遠だって立派な作戦なんです!」と涙ながらに訴えるというような、そういうことなのかもしれません。

ともかく、いろいろいわれていることを払しょくできるかどうかは、決勝トーナメントでの日本の戦い方次第でしょう。

日本代表には、誰にも恥じることのない戦いを期待したいと思います。

キンクス再結成へ

2018-06-28 16:52:25 | 日記
インターネットのニュースを見ていたら、すごいニュースに出くわしました。

キンクスが再結成するというのです。

この話題、以前このブログでも一度取り上げましたが……それが実現したわけですね。

1996年の解散から、およそ20年の時を経ての再結成。まずはめでたいというところでしょう。

ローリング・ストーンズに刺激を受けて、ということのようです。
この間のジュンスカの記事でも、宮田和弥さんが「ストーンズは70過ぎてもロックしてる」といって、まだまだこれからだと語った話を書きましたが、ストーンズがそういう形でほかのバンドにメッセージを送ってるということなんですね。くたばるにはまだ早いぞ、と。同世代の同じUKロックバンドであるキンクスには、とりわけ大きな刺激になっていたわけでしょう。

キンクスの面々は、ニューアルバムの制作にもとりかかっているようです。

長期休止前のキンクスは文明批評的なところものぞかせるような詞を書いていましたが、彼らがいまのこの時代にどんな歌を歌うのか、いまから注目したいと思います。

ひさびさに見る宮田さん

2018-06-26 23:55:08 | 日記

本日、天神にある、LOVE FM のスタジオに見学に行ってきました。



このブログではたびたび JUN SKY WALKER(S)を取り上げてきましたが……そのボーカルの宮田和弥さんが、出演していたのです。



ジュンスカは、今年で30周年ということで、ベストアルバムもリリースし、来年にかけてツアーも行う予定となっています。

そういう関係で今回来福し、いくつかのラジオ番組に出演していました。LOVE FMは自由に観覧できるところにスタジオがあるため、私も行ってみたわけです。



ひさびさに間近でみた宮田和弥さんでした。



私は以前宮田さんが出演したラジオ番組の公開録音に行ったことがあるんですが、それはもう、ジュンスカがいったん解散した直後のことで、かれこれ20年近く前のことになります。それ以来ですね。



カッコいい大人といったようなことがテーマになっていて、その条件として宮田さんが挙げたのは、「怒らないこと」。「イライラしている人はカッコ悪い」というのは、最近の世相に対する宮田さんなりの見方なのか、と思わされました。



「ローリングストーンズなんか、70を過ぎてもロックしてる」という宮田さん、ジュンスカが解散することはもうない、と頼もしい言葉もありました。



1997年に解散する前は、メンバー間の関係がかなり悪化していたという話も聞いたことがありますが、年を重ねるにつれてそういうこともなくなり、現在はメンバー間の関係も良好なようです。再結成してからの期間のほうがもう長くなっていて、さすがにこれからまた解散ということはないでしょう。



で、30周年のツアーがあるわけですが、福岡は来年の3月の予定。



解散時のツアーで福岡にきたときには、私はチケットをとることができず、会場の外で漏れてくる音を聴いていました。

今回は、会場内で聴けるだろうか……今からそんなことを考えています。










沖縄、慰霊の日

2018-06-23 16:52:17 | 時事
今日は6月23日。

沖縄戦終結の「慰霊の日」です。

沖縄戦の終結からもう70年以上、沖縄返還から数えても40年以上が経ちますが……
沖縄では、基地問題が今なお続いています。

そこにいたるまでの経緯を考えると、沖縄は、単に“戦後”を引きずっているというばかりでなく、近代日本の負の側面を一身に背負わされてきたのだなあと思わされます。

その背後には、本土の側の偏見が横たわっています。

沖縄の経済は基地の収入に頼っている……というようなやつですね。

実際には、沖縄の経済のうちで米軍基地に関わる割合はごく一部でしかなく、基地がある場所に別の施設を作ったほうが経済効率がよい場合だってあるはずで、沖縄の経済が基地に依存しているとはいえません。

また、現状を容認する側の意見として、沖縄の米軍基地が戦略上重要だからということがあると思いますが、これも疑わしいですね。

戦略上の必要性から沖縄に米軍基地が集中しているわけではないということは、つとに指摘されるところです。

歴史的経緯をみると、激しい反対運動で本土にいられなくなった米軍が、まだ返還前の沖縄にとりあえず移転し、そのまま居座り続けている……という構図があります。

で、なぜ居座っているかといえば、居心地がいいからでしょう。
日本側が相当なお金を出してくれて、なにか事件が起きてもあまり大きな問題にならない、問題にならないどころか、日本側がなるべく大事にならないようにしてくれる……これでは、出ていきたくないのも当然です。

沖縄の状況を改善するには、この“おいしい”待遇をどうにかする必要があると思いますね。
そうでないと、いつまでも沖縄に過度な負担を押し付ける状態が続くことになります。それでいいわけはないでしょう。

歌と愛国心について考える ~邦楽編~

2018-06-21 18:43:09 | 時事
以前このブログで、歌と愛国心について考える記事を投稿しました。

そこでは「私は愛国者」というアメリカの歌を紹介しましたが、せっかくなので、日本の歌についても書きたいと思います。

愛国心を歌う日本の歌ということで私の脳内アーカイヴを検索してみると……
長渕剛さんの「家族」という歌がヒットしました。

この曲は1996年に発表された同名のアルバムに収録されています。
もの悲しいアコギをバックにして、一編の小説のように、四人家族で粗暴な父とその暴力にさらされる母、姉、自分……といったようなストーリーが語られ、最後には次のようなフレーズが出てきます。


  白地に赤い日の丸
     その父をたまらなく愛してる
  白地に赤い日の丸
     その母をたまらなく愛してる
  白地に赤い日の丸
     その姉をたまらなく愛してる
  白地に赤い日の丸
     殺したくなるような夕暮れの赤
  白地に赤い日の丸
     この国をやっぱり愛しているのだ


感じ方は人によるでしょうが、私はこの歌から“右翼的”というような印象は受けません。

それはやはり、借り物の言葉ではないからでしょう。

“愛国心”を表す記号のような言葉を借用してきてショートカットするのではなく、自分の言葉をひねり出してこそ、説得力が生まれるのだと思います。

余談ながら、このアルバム『家族』には、いわゆるライナーノーツがついていて、湯川れい子さんがその文を書いています。
そこで湯川さんはブルース・スプリングスティーンの『ゴースト・オブ・トム・ジョード』という作品に言及しています。“ボス”ブルース・スプリングスティーンの、周辺に追いやられたものにむけるまなざしを、湯川さんは『家族』に感じ取っているようです。

ここで、以前の記事にリンクしてきます。

じつは、以前の記事で名前が出てきたリトル・スティーヴンは、ブルース・スプリングスティーンのバックバンドであるEストリート・バンドのギタリストでもあります。ジャクソン・ブラウンは、ブルース・スプリングスティーンへのリスペクトを表明していて、何度か共演もしている関係……そんなふうに、あちこちつながってくるんですね。

勇ましいことをいうのではなく、疎外されるものに目をむける。
国家のために人があるのではなく、人のために国家がある。
そういう方向への愛国心であってほしいと私は思いますね。

“記号”で愛国心を語るということは、いやおうなしにその“記号”を作り出した過去の何者かの価値観に染められることが避けられません。日本でそれをやると、無茶苦茶な戦争で国家を破滅に追いやった国家主義者たちの影がちらついてきます。本人の意図がどうであろうと、そうなってしまうんです。その記号を生み出した権威の側の視点によりかかってしまうために、おそらくそこで語られる“愛国心”は、「国家のためなら国民は犠牲にしてもかまわない」という思想にむかうでしょう。それゆえに、記号化した言葉で愛国心を語ることは危険なのだと思います。