ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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2019 ロックの殿堂

2019-03-30 23:32:05 | 日記
ニューヨークはブルックリンのバークレイズセンターで、「ロックの殿堂」の授賞式が行われました。

このブログで最近ちょくちょく名前の出てきたレディオヘッドが、殿堂入りしたそうです。

まあ、これは妥当なところでしょう。

ただ、トム・ヨークというのは非常に厭世的な人で、またバンド自体もそんな感じがあり……式典に現れないのではないかと噂されてもいたそうですが、一応、ギターとドラムの二人が来たそうです。
レディオヘッドのバンド名がその曲名からとられているトーキングヘッズのデヴィッド・バーンがプレゼンターをつとめ、ドラムのフィル・セルウェイがそれなりに当たり障りのないコメントを述べたようです。
結局のところ、トム・ヨークは出席せず、当然バンドとしてのパフォーマンスもなし。まあ、レディオヘッドらしいというところでしょうか。

今回は、ほかにもキュアーやロキシー・ミュージックなどが入っているそうです。
ロキシーは、ブライアン・イーノが飛行機に乗らないと決めてる(環境問題に対する意識から)んだそうで、欠席したという話です。
スティーヴィー・ニックスは、一度フリートウッド・マックのメンバーとして殿堂入りしており、二回目。二度目の殿堂入りは、女性としては初ということです。
あと、驚いたのはゾンビーズ。だいぶ古いところが入ってきたなあ……と。
デフ・レパードやデュラン・デュランなんかは、まだ入ってなかったの?という意味で驚きです。

あとは、ジャネット・ジャクソンも入っているとのこと。
しかし彼女は、式典に出演しながらも、パフォーマンスはしなかったといいます。中継するテレビ局が、マイケル・ジャクソンのドキュメンタリーを放送していたからという観測もあるとか。大人の事情というやつですね。

殿堂入りするというからには、それなりにキャリアがないといけないわけで、まあ、70年代末から80年代ぐらいに出てきたアーティストがそういう領域に達してきたということなんでしょう。
そういう意味では、レディオヘッドは“若手”の部類に入るわけで……それだけ彼らの存在がビッグになってるということなんでしょう。

一方、今回候補に挙がりながら殿堂入りしなかったほうには、MC5やレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンがいます。
この人たちは、こっちから願い下げだ!ぐらいのことをいいそうですが……それで、選ぶ側も二の足を踏むんでしょうかね。レイジなんか、とっくに入っててよさそうなもんですが。

あとは、ディーヴォも候補に入ってたようです。MC5は4回目、レイジは2回目の候補入りですが、ディーヴォは初のノミネートだそうで、それもちょっと意外な感じがします。
初ということでいえば、ロキシーやデフ・レパードも初。落選組では、トッド・ラングレンも初とのこと。

逆に、候補入りの回数が多いのは、クラフトワークとLLクールJがそれぞれ五回。
最終候補常連というのは、あまり気持ちのいいものじゃありませんが……クラフトワークなんか、別に気にも留めてなさそうではあります。

こうしてみると、選定の基準もなんだかよくわからない感じです。

まあ、栄誉には違いないんでしょうが……あくまでも、一つのお祭りのようなものととらえるべきなんでしょう。
むしろ、選ばれなかった人たちや、選ばれても出席しなかった人たちを見てた方が、面白いと感じられるのは私だけでしょうか。

証人喚問を振り返る

2019-03-28 13:37:19 | 過去記事
過去記事です。

一年前、文書改ざんが大きな問題になっていた頃に行われた、佐川前理財局長の証人喚問に関する記事。たびたび書いてきましたが、一年前にこれがあって、いま統計不正問題があります。もはや末期症状でしょうか…


文書改ざんの背後には……
国会で、佐川前理財局長の証人喚問が行われました。【速報】佐川氏「忖度は個々の内面の話、私は言えない」(朝日新聞デジタル)肝心な部分では証言を拒否するなどして、あまり実り......

FF8のストーリーについて

2019-03-25 23:14:34 | ゲーム
今回はゲーム記事です。

このカテゴリーではFF8の話を延々書いてきましたが……ゲームシステムに関することがメインだったので、最後にFF8のストーリーについてもちょっと書いておこうと思います。

これまでの記事でもストーリーについてちょっと言及しましたが、このゲームは、SEEDと呼ばれる傭兵部隊を主人公としています。

物語は、主人公たちがまだその養成機関である“ガーデン”に所属する候補生というところから始まり、ある小国家の独立を目指す活動家たちを支援する任務を受けたところから、ドラマが大きく展開していきます。この頃のFFの傾向で、中世ヨーロッパ的なファンタジーではなく、近未来的な世界観です。グラフィックは、前作の7に比べると格段にレベルアップ。現代のCG技術からみれば、原始的なものですが、当時としては相当なクオリティで、初代プレステの限界点ともいわれているそうです。


前回、「FF8はなぜ名作になれなかったのか」という記事で、FF8はプレーヤーを突き放しているところがある、と書きましたが……これは、ストーリーについてもいえます。

たとえば“魔女”というのが重要な存在として出てきますが、それがどういうものなのか、あまり説明がない。

メニュー画面から用語解説みたいなものをみられるんですが、それを見てはじめてわかるようなことが少なくないです。

まあ、そういう裏設定みたいなものは他のRPGでもあるでしょうが、FF8では、本来表で説明されてしかるべきところまでがそういう裏設定扱いになっているように思えます。

そうでなくても、このゲームのストーリーは結構複雑です。

なにしろCD4枚組というだけあって、ストーリーが長く、過去や未来の話がからんできたりもして、どんどん複雑になっていきます。
にもかかわらず、基本的な設定の部分が詳しく説明されていないために、どこか置き去りにされたように感じるプレイヤーも少なくなかったんじゃないでしょうか。


さらに、ストーリーの面でもGFが事態をややこしくします。
GFをジャンクションしていると記憶障害を引き起こす(といわれている)という設定があり、主人公たちは過去のことを忘れてしまっているのです。

話が進むにつれて、次第に過去のことを思い出したりするわけですが、そのことを前提としてようやく序盤のエピソードの意味がわかる……というようなこともあります。

つまり、ストーリーの点でも、ゲームシステム同様に説明不足が否めない。
そこに、思わせぶりな演出があったりして、いわゆる“リノアル説”が生まれたりもするわけでしょう。そのあたりのところをもう少しクリアにして、リメイク版を……と、今回も言っておきたいと思います。

ピロウズの名曲を振り返る

2019-03-22 16:03:38 | 過去記事
過去記事です。

最近、一年前の記事を振り返ると、もう文書改ざんの話がどんどん出てきます。
その状況を“民主主義のストレステスト”と表現しましたが、その結果として、もう日本の社会は、民主的国家としてはすでに壊れてしまってるのではないか……そんなことを思う今日この頃です。


民主主義のストレステスト

文書改ざんが、いよいよ大きな問題になってきています。このブログでもこれまで何度かこの件について書いてきましたが、今回はもう少し大きいスケールで、日本社会の現状について感じるとこ......


イラク戦争開戦から16年

2019-03-20 20:59:17 | 日記
今日は3月20日。

イラク戦争開戦の日です。

今から16年前の今日、アメリカはイラク戦争を開始しました。
去年は、地下鉄サリン事件とからめた記事を書きましたが、今年は、イラク戦争のほうについてもう少し詳しく書いておきたいと思います。
(文章中の肩書・役職などは、2002、3年当時のものです)

その当時の自分は、ちょうど大学卒業を間近に控えたところでしたが、開戦に対する反対運動が世界的に広がっていたのをおぼえています。日本ではそれほどでもなかったと思いますが、それでも全国の自治体で開戦に反対する決議が出されたりしていて、私の住んでいた東京の小金井市でも、たしかそういう決議をしていたと思います。

私自身も、開戦には反対でした。
大量破壊兵器云々というのがまず相当あやしいということは当時からいわれており、国連決議1441を開戦の根拠とするのは無理があるということも、さんざんいわれていました。

しかし、ブッシュ政権のもとで、アメリカはもう聞く耳持たぬという感じで開戦に突き進んでいきます。

サダム・フセイン政権を打倒し、イラクに民主的な国家をつくる――その構想をブッシュ大統領から聞かされたとき、ラムズフェルド国防長官は「無理があると思った」のだそうです。
無理があると思ったんなら、その場で止めたらよさそうなものですが、現実にはラムズフェルドさんはアメリカを開戦に引っ張っていきました。

結局大量破壊兵器はありませんでした。

というか、ないということは多分アメリカの首脳たちも薄々わかっていたはずです。
であればこそ、サダム・フセインはアルカイダとつながりがあるから「テロとの戦い」の延長だとか、独裁政権を倒してイラクを民主化するためだとか、そういうとってつけたような理由をいろいろと持ち出したのでしょう。
前者に関しては、実際には、サダム・フセインはアルカイダとつながりがあるどころか敵対関係にあり、それも間違い(というか、はじめからわかったうえでの嘘?)でした。その根拠となるテロ組織構成員の“証言”は、拷問によって“いわせた”ものであることも後にあきらかにされています。
後者に関しても、戦後処理のことをろくに考えずに開戦したために、サダム政権崩壊後にまともな政体を作ることができず、腐敗や縁故主義、宗派によるセクト主義が蔓延し、そこにテロリストのつけこむ余地が生まれ、イスラム国の台頭を許してしまいました。一年あたりの死者数ではサダム政権時代よりもひどいという調査結果もあり、サダム時代のほうがましだったという声も根強いといいます。

そもそもの発端である大量破壊兵器の件にしても、その有力な情報源とされた人物が、まったくのくわせものだったことが後にわかっています。“カーヴボール”と通称されるこの人物は、ごく個人的な怨恨という動機からアメリカの諜報機関に偽の情報を流し、開戦の口実を探していたアメリカがそれに乗っかったという構図があるのです。

こうして戦争を引き起こした結果、膨大な戦死者を出し、中東を不安定化させ、当のアメリカ自身も国際的な地位を相対的に低下させることになりました。
ばかげているとしかいいようがありません。
ここで、名曲を一曲。
ベタですが、ボブ・ディランの「風に吹かれて」です。


  どれだけの銃弾が飛べばいいのだろう
  それが永遠に禁じられるには

  どれだけ彼らは顔をそむけて
  見えないふりをし続けるのだろう

  いくつの耳が必要なのだろう
  人々の鳴き声が聞こえるようになるには

  いくつの死が必要なのだろう
  あまりに多くの人が死んだと気づくには


答えは友よ、風のなか――というのがこの歌の結びですが、ベトナム戦争の頃にこの歌が発表されてから、およそ半世紀。もうそろそろ気づいていなけりゃいけないんじゃないでしょうか。