ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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ジョーン・バエズが歌った共和国賛歌(Battle Hymn of the Repaublic)

2018-02-28 17:32:18 | 音楽批評
最近、エルトン・ジョンやポール・サイモンがツアー活動から身を引くという話がありました。
それでこのブログでも、寂しくなりますねなんて記事を書いていたんですが……数日前に、またその類のニュースを目にしました。

ジョーン・バエズが、フェアウェルツアーを行い、やはりツアー活動を引退するというのです。

ジョーン・バエズといえば、60年代のラブ&ピース、フォーク・リバイバルの時代に活躍した女性アーティストです。

サイモン&ガーファンクルとはほぼ同世代の人なので、ポール・サイモンと同時期にツアー活動から引退するというのは、まあ自然といえば自然ではあります。

彼女の名前は、過去に一度、このブログでも出てきました。

アニマルズの「朝日のあたる家」について書いた記事で、この歌をカバーしているアーティストとして、ジョーン・バエズを紹介しました。

バエズはフォークシンガーなわけですが、フォークというのはそもそも“民衆音楽”といったような意味なので、昔から伝わってきたトラディショナルソングを歌ったりすることも多いです。
ジョーン・バエズの場合、日本でもよく知られている「ドナ・ドナ」や、ゴスペルの「オー・ハッピー・デイ」などを歌っています。
また、トラディショナル以外では、ボブ・ディランの「風に吹かれて」や、アニマルズの「雨を汚したのは誰」といった反戦歌をカバー。ビートルズの Eleanor Rigby なんかもやってますが、これも現代社会の矛盾を歌うみたいな感じで、やっぱりラブ&ピースを志向してるわけです。

そんなバエズなんですが……この記事では、ちょっとスケールを大きくして、彼女の歌った「共和国賛歌」という歌を通して、アメリカという国のあり方について考えてみたいと思います。

共和国賛歌……原題は、Battle Hymn of the Republic
直訳すれば、“共和国の戦いの聖歌”とでもいった感じです。

こういわれても日本人にはあまりなじみがないかもしれませんが、メロディ自体は誰でも聞いたことがあるでしょう。たとえばヨドバシカメラのCMで「まぁるい緑の山手線……」と歌われているあの歌です(日本では「たんたんたぬきの……」という替え歌もありますが、そんな歌詞をあてられていると知ったら保守的なアメリカ人は激怒するでしょう)。

この歌は、もともとは南北戦争時代に歌われていた一種の軍歌のようなもので、アメリカでは超メジャーな愛国歌。かのエルヴィス・プレスリーも「アメリカの祈り」というトラディショナル・メドレーのなかでとりあげています。
で、この歌を、ジョーン・バエズも歌っているのです。
そこが、私にはちょっとひっかかるんです。
まあ、エルヴィスがカバーするのはわからんでもないのですが、しかし、どうして反戦の立場を基本にするバエズがこの歌を歌ったんだろうか……と私はかねてから不思議に思っています。反戦歌を歌ってベトナム戦争を批判するのなら、戦いを賛美するような歌を歌うのはおかしかないか、と。

そこのところを深く掘り下げていくと、アメリカの抱えている“病理”が見えてくるように思えます。
この奇妙なねじれが、アメリカという国に深く根付く“戦争癖”の表れと見えるのです。

この歌には、次のような歌詞があります。

  As He died to make men holy, let us die to make men free.

「彼がその死によって人を聖なるものにしたように、私たちの死によって人を自由にしてください」という意味です。
なにしろ戦争の歌なんで、戦争の意義を強調しているわけですね。
イエス・キリストは、十字架にかかって自らが死ぬことによって人類の罪を贖った。それと同じように、この戦争で自分が死ぬことによって、奴隷解放を成し遂げてほしい……というわけです。
おそらく、この歌詞がアメリカ人の心を打つんだと思います。
たしかに、字面だけみればかっこいいですからね。こういった歌詞がしびれるということで、南北戦争時代の軍歌のなかでも特にこれが人気になったわけでしょう。

でも、これをそのまま真に受けていいのかな……と私なんかは思ってしまいます。
たぶんこの「自由のために血を流す」という感覚が、たとえばイラク戦争を支持してしまうことにつながってるんですよね。
歴史上のいろんな事実を調べてみれば、南北戦争だって「奴隷解放のための正義の戦争」というきれいなことばかりでもなかったりするわけで……しかしそこを、イエス・キリストの死になぞらえて「自由のために」なんていわれると、そういう影の部分が一気にすっとばされて「そうだ、自由のためだ!」となってしまっている気がします。それで、後になってつじつま合わせに腐心するという……
「自由のため」というのが、いろいろの細かい議論をご破算にして血沸き肉踊らせる効果を持ってしまってるんじゃないか。そして、反戦の立場にあってさえ、アメリカで育った人の心の底にはそういう心性が潜んでいるのではないか。ジョーン・バエズが共和国賛歌を歌うというのは、その表れのように私には見えます。
おそらくアメリカの人がそういわれると、「いや、それとこれとは話がちがう」「これは一種の比喩のようなものであって……」みたいな反応をすると思うんですが、そのこと自体が、「自由のため」という言葉が戦争を容認、正当化する“水戸黄門の印籠”的に機能し続ける要因ではないでしょうか。

平昌オリンピック終了で、朝鮮半島情勢はどうなる?

2018-02-26 15:44:43 | 時事
平昌オリンピックが閉幕しました。

日本の選手は健闘し、だいぶ盛り上がりをみせましたが……

五輪閉幕後の韓国とその周辺地域には、一つの懸念すべき問題が待っています。
それは、朝鮮半島情勢です。

オリンピックのために、毎年この時期に米韓が行っている合同軍事演習は延期されていました。
しかし、これはあくまでも延期であって、五輪終了後には行われることになっています。そして、この軍事演習がはじまれば、また半島情勢が緊迫しはじめるでしょう。
おそらく、アメリカと韓国が合同軍事演習をはじめたら、北朝鮮もまた相次いでミサイルを発射し始めると思います。
で、「北朝鮮の融和姿勢は見せかけだった」というような話になるでしょう。
でも、はたして本当にそうなんでしょうか?

これはむしろ逆なのでは?
むしろ、米韓の軍事演習が北朝鮮を刺激してミサイル発射を誘発しているのではないか……そんなふうに私にはみえるのです。
こういう見方は、決して突飛なものではないと思います。
同意する人も少なくないでしょう。
そして、そうだとしたら、米韓が北朝鮮への“けん制”あるいは“抑止”と銘打って行っている軍事演習は、実際には逆効果でしかないということになります。

真剣にこの構図を考える必要があります。

というより、実は、アメリカの側も本当はわかっていると思います。
昨年末、米軍は、日本や韓国との軍事演習の情報を公開しないという方針をあきらかにしました。軍事演習の情報を公開すると、それが北朝鮮を刺激することになるから、というのがその理由です。つまり、軍事演習が実際には相手を刺激してより状況を緊迫化させるということは彼らも認めているわけです。
“けん制”や“抑止”のためだというなら、相手にはっきりとデモンストレーションしなければ意味がありません。しかし、そうすると相手を刺激してさらなる行動を誘発するからそれはできない……となると「じゃあ、軍事演習っていったい何のためにやってるの?」という話になってくるでしょう。関係者も、本当はその矛盾がわかってはいるけれど、過去の慣習にとらわれていて、それを直視することができないのではないかとわたしには思えます。

今から5年ほど前にも、朝鮮半島情勢がかなり危機的な段階にいたったことがありましたが、そのとき米韓は軍事演習を中断しました。表向きにそうはいいませんでしたが、これ以上軍事演習をやって北朝鮮を刺激したら本当にやばいと考えたからでしょう。そういうことなんです。情勢が緊迫しているからこそ、軍事演習なんかはしないというのが正解だと思うんです。土壇場のところで、冷静にそう考えて“現実的”な判断をくだし、その結果最悪の事態が回避されたのだと思います。しかし、トランプ大統領という人が冷静な判断をしてくれるかどうか……そのことを考えると、不安は増すばかりです。

地震のあとには戦争がやってくる by忌野清志郎

2018-02-23 15:56:50 | 日記
ここしばらく、このブログは忌野清志郎ヘビーローテーションということでやってきました。

その締めくくりに今回は、楽曲ではなく、清志郎の名言を紹介しようと思います。

地震のあとには戦争がやってくる

というものです。

この言葉は、深いですね。

ひとつ注釈をつけておくと、これは東日本大震災のことについていっているわけではありません。
2011年には清志郎はすでにこの世を去っていたので。
直接には、阪神大震災のあとの世相を指していっているものです。

そして、その奥にあるのは、関東大震災の歴史です。

関東大震災の後には、日本が団結してこの大災害から復興しようという連帯意識の高揚がみられました。
それは、素晴らしいことでしょう。
しかしながら、この“連帯意識”が、その後の戦争に突き進んでいく全体主義的な空気を醸成する一つの伏線になっていたとも指摘されます。

「みんなで団結しよう」という意識が「団結にくわわらないやつは社会の敵だ」となり、それがいつしか「お国の方針に反対するものは非国民」というふうになっていったという指摘です。
そんなふうに考えると、「地震のあとには戦争がやってくる」という言葉は、実に鋭く、深く、響いてきます。

関東大震災なんて100年近くも前の話じゃないかと思われるかもしれません。

しかし私は、そんなふうに一蹴してしまうこともできないんじゃないかと思っています。

地震のあとには戦争がやってくる

この言葉は、なんだか奇妙にリアルな感触をもって響いてくるのです。
こんな時代にこそ、忌野清志郎がいてほしかった……
そんなことを思ってしまう今日この頃でした。

RCサクセション「空がまた暗くなる」

2018-02-22 16:23:42 | 音楽批評
今回は、音楽記事です。
前回このブログは忌野清志郎ヘビーローテーションだといいましたが、それをもう少し続けて、いよいよRCサクセションについても書きたいと思います。なにしろ、RCこそが清志郎の出発点であり、レジェンドのはじまり……そこは避けて通れないでしょう。というわけで、RCの曲を一つとりあげて紹介したいと思います。

RCの有名な曲はいくつもありますが、そのなかで私が今回ピックアップしたのは、「空がまた暗くなる」。
1990年、3人になったRCサクセションが活動休止前に最後にリリースしたアルバム『Baby a Go Go』に収録されている曲です。

 

このブログではときどき政治のことなんかも書いていますが、そういう話題で書いていることともこの歌はつながってくるように思えます。
こんな歌です。



  おとなだろ 勇気をだせよ
  おとなだろ 知ってるはずさ
  悲しいときも 涙なんか
  誰にも 見せられない

  おとなだろ 勇気をだせよ
  おとなだろ 笑っていても
  暗く曇った この空を
  かくすことなどできない

  ああ 子供の頃のように
  さぁ 勇気をだすのさ
  きっと 道に迷わずに
  君の家にたどりつけるさ

「おとなだろ」といいながら「子供の頃のように」勇気を出せといったり、泣いちゃだめだといいながら笑ってちゃだめだいったりするのはなんだか矛盾しているように聞こえますが、こういう相反するようなことを同時にいう表現は清志郎の作品によく見られます。
たとえば、ソロでリリースした『GOD』というアルバムに「愛と平和」という曲があって「待ってるのは愛と平和のラブソング」と歌ってますが、その同じアルバムに収録されている「KISS」という曲では、「愛とか平和とかどうでもいいのさ」といってたりします。
以前ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の記事で書いたような感覚があるんじゃないのかな……と私は勝手に推測しています。まあ、前出の『GOD』の例は、それとはちょっと違う気もしますが……


  おとなだろ 勇気を出せよ
  おとなだろ 知ってることが
  誰にも言えないことばかりじゃ
  空がまた暗くなる

「家に帰る」というような表現は清志郎の歌によく出てきますが、これは、「本来あるべき姿に戻る」「あるべき方向に進む」というようなことを表すものと思われます。ふたたびビートルズを引き合いに出すと、「ゴールデン・スランバー」みたいな感じじゃないでしょうか。その「あるべき場所」というのが、「愛と平和」ということなんだと私は解釈しています。

おとなはやっぱり、現実に向き合わなきゃだめなんです。
暗い現実に目を背けていちゃだめなんです。
清志郎がいいたかったのは、そういうことなんだと思います。だからこそ清志郎は、社会的なメッセージを込めた歌を発表し、また、アースデーコンサートに出たりもしていました(そこで突然、予定になかった「あこがれの北朝鮮」や君が代パンクバージョンを歌い出してラジオ中継を混乱させたりしたわけですが……)

私も、清志郎をリスペクトする一リスナーとして、そこはやっとかなきゃいかんなと思っています。
なので、たまにこのブログで世の中のことを書いたりしているわけです。

もちろん、オリンピックもいいでしょう。
小平選手の金メダルは素晴らしいし、女子パシュートの金メダルも感動でした。でも、それはそれとして、大人なら世の中のことも考えなきゃいけません。
今の世の中、ほんとうにこれでいいのか。
法案の根拠になるデータが間違ってました、でも法案はそのまま通します……なんてことでいいのか。そういうことをきちんと考えないと、世の中どんどんひどくなっていくんじゃないか。オリンピックの話題が、暗い現実から目をそらす逃げ道になっているのだとしたら、空がまた暗くなっていくばかりです。

ザ・タイマーズ「あこがれの北朝鮮」

2018-02-21 17:10:47 | 音楽批評
最近このブログでは、忌野清志郎のことをたびたび書いています。

私はRCサクセションをリアルタイムで聴いていた世代ではありませんが、そうであっても、清志郎の歌声は普通に生活していれば耳に入ってきますし、一度耳にすれば忘れないわけです。私が清志郎を本格的に聴くようになったのはソロアーティストとしてで、そこからRCやその後に彼が作ったいくつかのバンドにいきました。
今回は、清志郎ヘビーローテーションの延長として、そうしたバンドの一つである、ザ・タイマーズについて書こうと思います。

一応、覆面バンドということになっているのですが、清志郎であることは誰でもわかりますし、タイマーズでカバーした「デイドリーム・ビリーバー」をソロのライブでやったりもしているので、覆面バンドというのは有名無実です。

タイマーズにいたるまでには、アルバム『COVERS』発表をめぐる騒動があり、また、「FM東京事件」など、とにかくタイマーズの活動には清志郎のロックなところが炸裂しています。清志郎は、日本では実に稀有な、リアルをみせてくれるロックンローラーだったのです。しかも、こんなことをやっておいて、清志郎は業界から消えることもなく、その後NHKの番組にもふつうに出てますし、「デイドリーム・ビリーバー」は今でもコンビニのCMソングとして使われています。まさに、日本ロック界のレジェンド、GODとしかいいようがありません。

そんな清志郎がタイマーズとしてリリースした3枚目のアルバム『不死身のタイマーズ』に収録されているのが、「あこがれの北朝鮮」です。

 

発表は、1995年。
94年の朝鮮半島危機も記憶に新しいころに出されたこの歌で、Zerryこと忌野清志郎はこう歌っています。


  北朝鮮で遊ぼう
  楽しい北朝鮮
  北朝鮮は、いい国
  みんなの北朝鮮
  キム・イルソン
  キム・ジョンイル
  キム・キム・キム・ヒョンヒ
  おーい! キムって呼べば
  皆が振り向く
  北朝鮮で遊ぼう
  あこがれの北朝鮮

ふざけたような歌と思われるかもしれませんが、ふざけているだけではありません。
また、北朝鮮が拉致を認めた後にはさらに不穏当な歌詞に変えて歌ったりもしていましたが、北朝鮮をコケにするだけの歌でもありません。
実はこの歌は、ラブ&ピース的な価値観に根差しているのです。

もともと清志郎は、若いころにはピーター、ポール&マリーなんかを聴いていて、60年代ラブ&ピース的なフォークを一つのルーツとして持っています。RCサクセションも、当初は3人組のフォークグループでした。それが、70年代半ばごろから、KISSをイメージしたような5人編成のハードロックバンドに生まれ変わったのです。

しかし、RCで『COVERS』を出したころぐらいから、清志郎はラブ&ピース的な傾向をみせはじめます。
もっとも、PPMのような感じではなく、パンクの体験を経てアナーキズムの色で染められたものではありますが……

そして、そんなアナーキーなラブ&ピースをもっとも端的に見て取れるのが、「あこがれの北朝鮮」なのです。

ふざけたような歌でありながらも、最後はこんなふうにしめくくられます。


  いつかきっと皆
  仲良くなれる
  いつかきっとそんな
  世界が来るさ
  差別も偏見も
  国境も無くなるさ

これが、清志郎ふうの、ひねりのあるラブ&ピースなんです。
あまり正面から愛や平和を口にするのは抵抗があるので、こんな表現にならざるをえないということでしょう。

この歌が発表されたのは今からもう20年以上も前ですが、残念ながら、清志郎のいうような世界はやってきていません。
この手の歌について書く時にはいつも同じようなことをいってますが……
北朝鮮をめぐる情勢も、先が見通せません。こんなときだからこそ、ただ強硬姿勢をエスカレートさせていくばかりでなく、ユーモアも交えたしなやかな姿勢が必要なんじゃないかと思いました。