ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』

2024-05-28 21:51:17 | 映画

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観ました。


昨年公開の新作アニメ映画。
最近アマプラに追加されたということなので、視聴してみました。


正直、最近よくあるいじりすぎリメイクみたいなやつかと思ってあまり期待はしておらず、それで劇場にもいかなかったんですが……その予想はいい意味で裏切られました。

これは、ものすごい作品です。

6期鬼太郎の美麗ビジュアルをベースにしつつ、戦後間もない日本を舞台として、切なくも美しい物語が展開します。そこで描かれるテーマは、戦後日本史を俯瞰するようなものにもなっています。
奇しくも昨年はゴジラの新作があったわけですが、そこに通ずるものがあるでしょう。ゴジラ同様、戦後日本とともに歩んできた鬼太郎だからこそといえます。

冒頭部分の映像がYoutubeで公開されているので、載せておきましょう。

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』本編映像(冒頭シーン)

この動画でわかるとおり、映画は現代から始まります。
物語そのものは戦後間もない頃を中心として展開しますが、冒頭部分とエンディングは、現代パート。
この構造が、先に述べた「戦後日本史を俯瞰する」ということにつながってきます。戦後、焼け跡から復興しつつある日本で語られる、未来の夢……そして、それから70年後の現代復興の頃の希望とは程遠い現実。そういう、戦後史を総括するような視点があるのです。クライマックスで主人公が口にする「ツケは払わなきゃな」というセリフは、まさに近代日本にむけられたもののようにも感じられます。
といっても、単に、戦後日本の歩みをニヒリスティックに突き放してみているわけではありません。
希望に満ちた幸福な歴史でなかったとしても、その道を歩んできた人々の足音がたしかにある。それを踏まえて、ここから先の未来を見据える、そんな力強さを感じさせるエンディングとなっているのです。


一応簡単にあらすじを説明しておきましょう。

「帝国血液銀行」に勤める主人公の水木は、龍賀製薬の本拠地である「哭倉村」を訪れます。そこでは、龍賀一族の当主であった時貞翁が死去し、その後継者をどうするかという問題が持ち上がっていました。ところが、弁護士が公開した遺言状によって選ばれた新当主は何者かに殺され……と、序盤は横溝正史の小説のようなかたちで展開しますが、そこに「ゲゲ郎」なる人物が現れ、中盤からは魑魅魍魎の世界へと話が展開していきます。
ネタバレを避けるために詳細は伏せますが……決してハッピーエンドとはいえないものの、深い印象を残す結末でした。PG12指定となっていることからも推察されるとおり、グロテスクな描写も結構ありますが、それでいて、美しく切ない物語となっているのです。

そして、映画に付された音楽も素晴らしい。
懐かしさを誘う山村の風景に流れるピアノ。
そして、往年の鬼太郎ファンとしては、かつての主題歌をアレンジした曲が要所要所で流れてくるのもポイントです。

前にも書いたように、本作は、水木しげる生誕100周年記念プロジェクトの一環ですが、実にそれにふさわしい作品となったのではないでしょうか。




『フウムーン』

2024-04-28 22:12:15 | 映画


映画『フウムーン』を観ました。

手塚治虫先生の漫画『来るべき世界』を長編アニメにしたもので、1980年の作。アマプラに入っていたので、視聴してみました。


“映画”として書いていますが……厳密には、本作は劇場で公開された作品ではありません。24時間テレビで放映するために作られたスペシャルアニメです。この頃の24時間テレビでは手塚治虫原作アニメを毎年やっていて、そのうちの一作となります。
その冒頭部分がYoutubeの手塚プロ公式チャンネルにあがっているので、載せておきましょう。


フウムーン

南太平洋に浮かぶ馬蹄島で、生物学者・山田野博士は新人類フウムーンと遭遇。彼らは高度な科学技術を持ち、遠い宇宙から迫りくる暗黒ガス雲の存在を察知し、このままでは地球は滅びるということで、宇宙への脱出を計画していた。一方、人類は暗黒ガス雲を迎え撃つための計画にとりかかる――といったストーリーです。

いかにも手塚治虫、という要素がつまった作品といえるでしょう。
環境問題が一つのテーマになっているところは、チャリティ番組にふさわしいともいえます。
そしてこのテーマが、やはり手塚漫画に頻出するモチーフである“人間の愚か”さという文脈で描かれるのです。
美しかった馬蹄島を奪い合い、戦争のすえに荒廃させてしまった二大国。彼らは、人類滅亡の危機がせまるなかにあってさえ、いがみあい、ついには再び戦争を始めてしまいます。そして、金儲けのことしか頭にない人間や、誤った情報に扇動されて暴動を起こす群衆……
数年前なら、さすがに人類もそんなに愚かではないだろうと思えたでしょうが、コロナ禍やウクライナ戦争を経たいま見ると、その考えはあらためなければいけないのかもしれません。手塚治虫という漫画家の根底にある人間不信というか、人間に対する冷めた目……その透徹した視線は、やはり人間というものの本質を鋭く見抜いていたのではないしょうか。


しかしながら、結末は決してバッドエンドではありません。
ネタバレとなるので詳細は伏せますが、24時間テレビのスローガン「愛は地球を救う」にもつながる結末でしょう。いろいろツッコミたくなるところもありますが、これもまた、手塚治虫という人のもう一つの重要な側面なのです。


手塚治虫先生といえば、このブログではたびたび話題になります。
去年はAIで新作なんていう話もありましたが、つい先月も博多マルイでブラックジャック関連イベントが行われていました。また、三池崇史監督がiPhoneのみで「ミッドナイト」を撮るなんていう話題もありました。
その普遍的なメッセージのゆえに、手塚作品が色あせることはないということでしょう。




映画『シン・仮面ライダー』

2024-01-25 20:29:15 | 映画


映画『シン・仮面ライダー』を観ました。

今日1月25日は、石ノ森章太郎生誕記念日。

ということもあって、今回はこの映画について書こうと思います。

いまさら説明するまでもないでしょうが、『シン・仮面ライダー』は、庵野秀明さんが指揮する「シン」シリーズの第三弾で、昨年公開された作品です。
その予告動画を貼っておきましょう。


『シン・仮面ライダー』予告

前半は、正直ちょっと方向性が見えない感じがしました。

過去のヒーローもの特撮やアニメをリメイクするときによくある、設定のいじりすぎ、現代風にアレンジしすぎ……という感じでしょうか。同じ石ノ森作品でいうと、『009ノ1』(『サイボーグ009』のセルフパロディみたいな作品。過去にドラマ化、アニメ化され、2013年に映画化されている)の映画版のような……
その手の作品はしばしば厳しい批判に遭いますが、『シン仮面ライダー』もちょっとそういうにおいがあります。シンゴジラやシンウルトラマンに比べてあまり評判にならなかったように思えるのは、そういうところなんじゃないでしょうか。
そことからんでもう一つ感じたのは、庵野さんのカラーを出しすぎている部分もあるのかな、というところです。
設定や特殊用語をあえて説明せずに話を進めたり、ショッカーが人類補完計画みたいなことをやっていたりするのも、やや庵野さんのカラーを出しすぎているように思われました。ラスボスまわりの美術も、非常にエヴァっぽい感じがします。あるいは、『ふしぎの海のナディア』に出てくる皇帝ネオがこんな感じだったような……
庵野カラーは、シンゴジ、シンウルトラマンではそれなりに抑制されていたように思いますが、ここにきてちょっと逸脱しているのではないかと。
結果、ゴジラシリーズでいうファイナルウォーズのようなことになっていると思われます。もとの作品とのギャップという点では、ゴジラ、ウルトラマンと比べて、往年のファンの反感を買う部分がかなりあったんじゃないでしょうか。そういうこともあって、私も前半はかなり微妙な感じで観ていました。

しかしながら、ラスボスとの最初のバトルあたりからの後半は、面白くなってきたと思います。
ネタバレを避けるために詳細は書きませんが……ああいうかたちで終わるというのも、憎々しい強敵をやっつけてすっきりという安易なカタルシスではなく好感がもてました。


さて……石ノ森作品といえば、最近『変身忍者 嵐』というドラマを見ています。

変身忍者 嵐 第01話[公式]

70年代に放送された特撮歴史ヒーローもので、Youtubeで週一話ペースで期間限定配信されており、視聴してるんですが……
やはり、ヒーロー特撮はこうあってこそだと思います。変に現代風にするよりも、このテイストをいかしてリバイバルしたほうがよいのではないかと。




映画『ゴジラ-1.0』

2023-11-19 22:21:17 | 映画


『ゴジラ -0.1』、観てきました。

これは、なかなかすごかったと思います。

あんまりヨイショするようなことは書きたくないんですが……しかし、シリーズ屈指の傑作といってもよい作品ではないかと思います。
私の中ではゴジラシリーズでは第一作が別格の最高傑作というのは揺るがないというのがあるんですが、『-0.1』は、その第一作の存在に正面から向き合い、それに恥じない作品となったのではないでしょうか。


「第一作に向き合う」というのがどういうことか、少し詳しく書きましょう。


以前どこかで書いたと思いますが、第一作『ゴジラ』が別格の存在という感覚は東宝の制作陣にもあったようで、以後シリーズ作品が多数作られていくなかで、第一作に触れるのはタブーのようになっていたといわれます。
そんななかにあって、果敢に第一作と向き合った作品が、たとえば『ゴジラVSデストロイア』でした。これは東宝の枠組みの中でゴジラの終わりを描いた物語でしたが、禁忌に触れるのはむしろ外部の監督のほうがやりやすいということはあるでしょう。そこで、大胆な挑戦をしたのが庵野監督の『シン・ゴジラ』。『シン・ゴジラ』では、『ゴジラの逆襲』以降のゴジラシリーズではじめて、ゴジラの存在を前提としない作品でした。すなわち、ゴジラというものが認知されていない世界に、「謎の巨大生物」としてゴジラが登場するわけです。
そして、今回の『ゴジラ -0.1』です。
この作品も、ゴジラの存在を前提としていません。そもそも時代設定がゴジラ第一作よりも昔に設定されており、「続編」ではなく「リメイク」に位置づけられる作品となっています。
これは、相当に勇気のいることです。
なにしろ70年の歴史を持つ、日本を代表するばかりでなく、世界でもっとも有名といってもいい怪獣映画。大向こうでは、ゴジラシリーズをすみずみまで知り尽くした観客たちが鋭い目をむけています。そこに新たなゴジラを提示する……一歩間違えれば大炎上となりかねない、そのリスクは決して低くないなかでの登板なのです。たいへんな覚悟のいることでしょう。

この作品の大きなポイントとして挙げたいのは、ゴジラを完全に「恐怖」の存在として描いたこと。

本作におけるゴジラの熱戦はシンゴジラと同レベル、あるいはそれ以上の威力を持っており、キノコ雲のような爆炎をたちのぼらせ、しかもそのあとには「黒い雨」が降ってきます。ここには、あきらかに原爆のイメージがあります。核の恐怖という、ゴジラ本来の姿……庵野ゴジラでは設定変更がこの点にまで及んでいましたが、『-0.1』では、そこは踏襲しています。核、そして戦争の恐怖としてのゴジラをここまで徹底して描いたのは、実に第一作以来のことではないでしょうか。


もう一つのポイントは、人間ドラマとのかかわり。人間側のドラマが、丁寧に描かれているという部分です。
ゴジラシリーズ映画では、しばしば人間側のドラマは添え物であり、見る側もまあ、そこには多くを求めていないという部分がありました。
しかし、『ゴジラ -0.1』では、人間のドラマのほうも、きっちりそれ自体で一つのドラマとして成立するように描かれています。そして、そのドラマがゴジラとの戦いという部分と有機的に結びついているのです。

そのドラマの出発点といえるのが、「特攻」。

このあたりのことについて詳しく書くとネタバレになってしまうので詳細には触れませんが、このテーマの取り上げ方についても好感をもてました。
じゃあ第一作のあれはどうなんだ、という意見も出てくるかもしれませんが……芹沢博士は別に「特攻」したわけではないということは、申しあげておきたいと思います。


最後に、劇場で買ってきたグッズを。

一つは、アクリルスタンドです。


キーホルダーでもありますが、チェーンをはずしてアクリルスタンドにもできます。

そして、シャープペンシル。
尾部にゴジラのフィギュアがついています。



非常に小さいものですが、結構作りこまれています。


もう70周年を迎えるゴジラシリーズですが、『シン・ゴジラ』、そして今回の『ゴジラ -0.1』と、力の入った重量級の新作が続いたことで、まだまだゴジラは終わっていないな、と感じさせられます。新時代のゴジラに、今後も期待大です。






『ゴジラ2000 ミレニアム』

2023-09-22 23:06:35 | 映画

今回は、ひさびさに映画記事です。

このカテゴリーでは、ゴジラシリーズ作品を紹介するというのをずっとやっていて、前回は『ゴジラFINAL WARS』をとりあげました。
FINAL WARSは、いわゆるミレニアムシリーズの最終作。順番は前後することになりますが、そのミレニアムシリーズの第一作である『ゴジラ2000 ミレニアム』が今回のテーマです。

『ゴジラ2000 ミレニアム』 | 予告編 | ゴジラシリーズ 第23作目

ちなみにこの作品は、先日の東京ブギウギの記事ともちょっと関係してきます。

服部良一さんの服部家が音楽家一族で、そのなかに服部隆之さんがいるわけですが……この隆之さんは、ゴジラシリーズでも音楽を手がけています。
一つは、第二シリーズの『ゴジラVSスペースゴジラ』。
当初はゴジラ音楽の大家である伊福部昭にオファーしたものの、脚本を読んだ伊福部さんがこれを断ったため、別の作曲家に依頼しなければならないということで服部隆之さんに話がいきました。これはいわばピンチヒッターということだったわけですが、その数年後、ふたたび隆之さんにゴジラ音楽のオファーがきます。それが、『ゴジラ2000』だったのです。


個人的な話になりますが、これは私がリアルタイムで観た最後のゴジラでもあります。
なぜこれが最後なのかというと……これを観て、以降のゴジラ作品を観る気がしなくなったからということです。
それぐらい、その当時の私にとっては評価が低かったのです。

しかしながら、いま観返すと意外と悪くないと思います。

観ていると、ちょっとエヴァを意識したようなところがあるのは、時代でしょうか。
この頃は、エンタメのあらゆるジャンルにエヴァンゲリオンが大きなインパクトを与えていて、ネコも杓子もちょっとエヴァっぽい演出を取り入れてました。そして、ゴジラ2000における「エヴァっぽい演出」は、その種の演出の多くがそうであったように、いささか中途半端で、上滑りしているようにも感じられるのです。

しかし、こうした演出は、新時代の新たなゴジラ像を作り出すという制作側の意欲を感じさせるものでもあります。
大河原孝夫監督は、「造型も、シナリオも出来るだけ見つめ直して、今まで見たことの無い絵を盛り込んでやろうと、新しさを最大の武器にしようという思いでしたね」と語っています。
「今まで見たことの無い」という点に関しては、たしかに監督の意図は達成されているといえるでしょう。

造型という点に関しては、実際かなり変わっています。
参考として、ミレニアムゴジラのソフビの画像を載せておきましょう。



もっとも目立つ変化は、背びれでしょう。見ようによっては、これもちょっとエヴァっぽく見えるのではないでしょうか。



そして、外見だけでなく、ゴジラのキャラクターというか、位置づけにも変化がみられます。

ミレニアムシリーズのゴジラは、よく“台風のような”と表現される存在となっています。
つまりは自然災害のようなものであり、本作の主人公は、トルネードを観測するような役回りになっているのです。

ただし、核の恐怖というゴジラが背負っているイメージは、一定程度踏襲されています。
本作では、根室に出現したゴジラがむかう先が、茨城県の東海村。
くしくも、1999年は、東海村の臨界事故が起きた年です。タイミング的にいって、あの事故が映画に反映されているかどうかはわかりませんが……「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのか」というせりふがあったりして、核の脅威というモチーフは継承されているのです。

その東海村で、ゴジラは謎の岩塊と遭遇し、交戦。

実は『ゴジラ2000』はVSものであり、この岩塊が、今作でゴジラの対戦相手となる宇宙生物です。
はるか昔に地球に飛来し、眠りについていた宇宙生物は、ゴジラの生命力を利用して肉体を得ようとするのです。
そうしてできあがった怪獣が、「オルガ」です。
おそらく、ゴジラシリーズに登場する全怪獣のなかでもっともマニアックなものの一つでしょう。
はっきりいって、噛ませ犬以外の何物でもありません。
新宿における最終決戦では、ゴジラのエネルギーを吸収してゴジラ化しようとするものの、その過程で死滅。いかにゴジラが強大な存在であるかということをしらしめるためだけの存在なのです。

ちなみにこのオルガという怪獣は、1998年版ハリウッドゴジラをモデルにしているといわれます。
98年版のゴジラは日本ゴジラのミレニアムシリーズにおいてちょくちょくネタにされている、と以前書きましたが、オルガもその一つです。ゴジラのエネルギーを吸収しようとしてゴジラになろうとしたけれど、そのエネルギーに耐え切れずに死滅……という展開は、このことを念頭に置いてみると意味深でもあります。そもそも、98年のGODZILLAがファンの間でも不評だったことから新たな日本ゴジラシリーズがはじまったという経緯があったりもするわけです。

そして、ここからのエンディングが本作の斬新なところとなっています。
これまでのゴジラシリーズであれば、ゴジラが敵怪獣に勝つということは、たいていの場合ゴジラが人類の側についているということを意味しているのですが、ゴジラ2000ではそうではありません。
ミレニアムゴジラはあくまでも人類にとって脅威であり、敵の宇宙怪獣を倒してもそのまま海に帰っていったりはしないのです。
オルガを倒したゴジラは、そのまま東京で暴れまわり、その姿を描きながら映画は終了します。
ゴジラが封印もされず、海に帰っていきもしない。なんの解決も与えられず、ゴジラが破壊のかぎりを尽くす状態で終了――これは、ゴジラシリーズ全作品のなかでも唯一のエンディングです。
人間との妥協の余地は一切ない、そういう新しいゴジラ像を打ち出しているのです。
エヴァの90年代を通過した、ミレニアムのゴジラがこれだということでしょう。
後になって俯瞰してみると、そういう意図が浮かび上がってきて、その着想自体は決して悪くはなかったんじゃないかという感想もあります。ただ、それまでのゴジラの歴史というところから考えると、あまりそのあたりに共感してもらえなかったようで……はじめに書いたように、私もまた、リアルタイマーとしては本作を決して高く評価してはいなかったわけですが、世間的にも評判はいまひとつで、興行的には厳しい結果となりました。そして、このときのファーストインプレッションをその後の第三シリーズ作品も引きずっていったように見えるのは、ゴジラ作品にとって不幸なことだったかもしれません。