大岡昇平の『ながい旅』という本を読みました。
久しぶりに大岡昇平の小説でも読むかと思って手にとってみたら、これが小説じゃありませんでした。
大岡は戦争体験をもとにした戦記的作品でも有名ですが、この『ながい旅』もその系統です。
ただしテーマは戦争そのものではなく、戦後に行われた戦犯に対する裁判。
B級戦犯として起訴された岡田資中将という人についての記録です。
B級戦犯のなかではかなり有名な人らしいですね。
太平洋戦争末期、日本に空襲にきたB29は何機かが日本側の迎撃で撃墜されていて、脱出したパイロットが捕えられるケースがいくつかありました。そのパイロットをきちんとした法的手続きを踏まずに処刑したということで関係者が起訴されており、岡田中将もその一人です。
中将は、この法廷闘争を“法戦”と位置付け、処刑に関する責任を一身に背負いつつ、検察や裁判官側たちと堂々とわたりあいます。その姿勢に、大岡は惹かれたようです。
裁判の内容それ自体については、どうなんだろうなあ……と思う部分が多いですね。
「戦争をしている当事国が敵国の人間を自分たちの法理で裁く」という構図自体がまず話をわかりにくくさせているわけですが、日本側が戦時中に捕えた米兵に対してとった措置も、結局はそれと似たようなことになっていて、どっちの主張もブーメランのように自分に返ってくる……そんな印象でした。
裁判そのものよりも、この本を読んでいて印象に残ったのは、責任者たちの無責任さですね。
大岡は、責任を負うことから逃げない岡田の姿勢に感服したわけですが、それは裏を返せば、そういう人が非常に珍しいということでもあります。大岡自身、この本のなかで『レイテ戦記』執筆中の感想として「軍人は上級になるほど政治的になり、ずるくなる」といっています。「が、軍司令官クラスには立派な人もいることを知った」ということで岡田中将について書いたわけです。
無責任……の例として挙げていいかどうかはわかりませんが、この本の中ではO法務部長という人物が出てきます。
問題となった米パイロットの処刑について、このO法務部長は、自分は聞かされていなかった、後になって知った、と主張します。法務部長という立場上、処刑というものに関与していたと考えるのが自然で、他の関係者たちも多くが「彼が知らなかったはずがない」と証言しており、知っていたことをうかがわせる記録もあるのですが、それについては「そういうことにしておくようにいわれて断れなかった」というようなことをいいます。まあ、事実そうなのかもしれないので彼が嘘をついていると断言はできませんが……では確かめようとしても、戦時中の行政記録は終戦時に大量に焼き捨てられていて確かめようがない、真相はやぶの中ということになるのです。
なんだか、いま政官界で起きていることとそっくりじゃないでしょうか。
上に行くほどずるいという体質を、日本はずっと引きずっているんだなあ、と思わされます。
記録がない、記憶はあいまい……そのなかで責任がうやむやにされてしまい、結局だれも責任を負わない。そんな感じだから、ああいう無茶な戦争に突っ走っていったという部分があることは否定できないでしょう。無責任体質を放置していたらこの国はまた滅茶苦茶なことをやってしまうんじゃないかと、そのことが気がかりです。