ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』

2019-10-06 12:45:12 | 映画

今回は、映画記事です。

 

前に宣言したとおり、このカテゴリーでは、ゴジラシリーズの全作品について書こうと思います。

 

ということで……順番をちょっとさかのぼって、飛ばしていた第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』について書きます。

 

 

 

公開は、1967年。

この作品は、昭和ゴジラの方向転換を決定づけた作品といえるでしょう。

 

ゴジラシリーズ第一期は、さらに細かく区分することができると思ってるんですが……

私としては、第79作を、一つのまとまりとしてとらえています。

 

その前の第3作『キングコング対ゴジラ』から第6作『怪獣大戦争』までは、「順風期」といったところでしょうか。『キングコング対ゴジラ』という空前のヒットを出し、その後も、映画業界自体が縮小に向かいつつあった背景を考えれば、まあそれなりにうまくいっていた時代です。

 

しかし、『怪獣大戦争』の後に、いったん方針転換がはかられます。

 

スタッフの大幅な入れ替えがあり、本多猪四郎、円谷英二、伊福部昭というゴジラ映画を支えたベテランたちが制作陣からはずれました。円谷英二は特技監督にクレジットされていますが、これはある種“名義貸し”のようなもので、実質的には彼の弟子筋にあたる有川貞昌特技監督補が特撮現場を仕切ったといいます。

世代交代ということのようですが、子供向け路線への方向転換を見据えてという意図もあったのでしょうか。これまでの作品から考えて、本多猪四郎、伊福部昭という組み合わせからは、あまり子供向けなものは出てきそうではありません。そこで、福田純監督となったのではないか。福田監督は、ライトタッチに定評があり、そこを見込んでということかとも思われます。

 

悪く言えば時代への迎合というか、日和ったということですが……仕方ない部分もあったかもしれません。

 

音楽のたとえでいえば、大ヒットしたバンドも、十年以上活動していれば、時代の変化に直面し、その対応を迫られる。あくまでも自分たちのやり方を貫こうというバンドもあるだろうし、時代の変化にあわせてちょっと違う音楽をやろうとするバンドもある。そういうことです。

ゴジラの場合、「順風期」にも時代の波がしのびよってきていました。『キングコング対ゴジラ』は大ヒットしましたが、ここをピークに、それ以降は観客動員数を減少させていたのです。具体的には以下のような数字になります(初回興行時の成績)。

   

  1962年 『キングコング対ゴジラ』 1120万人

  1964年 『モスラ対ゴジラ』 351万人

  1964年 『三大怪獣 地球最大の決戦』 432万人

  1965年 『怪獣大戦争』 378万人

 

第一作、第二作は、900万、800万という水準の数字を出せていたことを考えると、だいぶ低くなっています。その背景には、邦画自体の停滞傾向があったわけですが、そうであればこそ先行きの不安は大きかったともいえるのではないかと思います。

今はまだいいとしても、今後このままで大丈夫か――スタッフ刷新の裏には、そういう焦りもあったのでしょう。

こうして、新たな陣容で1966年の第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』が制作されます。

しかし、結果としてはこの作品は観客動員数345万人と、また減少しました。

 

ただ、この作品は、もともとキングコングを主人公とするつもりで書かれた脚本を流用するという、いささかイレギュラーなかたちで制作された経緯があります。そういう点で、そもそもゴジラ映画として不自然な点も多々ありました。

で、次の8作目で、本格的な路線転換が図られたのではないか……

 

具体的には、ゴジラシリーズにおける方向転換は、子供向け路線に向かうものだった――というのが衆目の一致するところでしょう。

そもそも怪獣映画は子供向けのものであり、怪獣同士の格闘をメインに据えるようになったゴジラは、ますます大人は見ないものになっていった。であれば、子供向けを前面に押し出そうというわけです。

 

子供向け路線のもっとも端的な表れとして、『ゴジラの息子』は、そのタイトルのとおり、ゴジラの息子が登場します。

 

その名前は、一般公募され、「ミニラ」に決定。

 

親という存在になることで、ゴジラは完全に過去と決別しました。

“核の脅威”というような意味合いはだいぶ前から薄れていましたが……もはや人類にとっての脅威という側面自体がなくなっていきます。それ以降 “正義の味方”化していくのも、やはり親という存在になった今作が転換点でしょう。

 

その予告の映像を貼り付けておきましょう。

 

【公式】「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」予告 ミニラが初登場するゴジラシリーズの第8作目。

 

後から振り返ってみると、結果としては、この子供向け路線が失敗だったんだと思います。

 

前作『南海の大決闘』も、興行成績は落ちていましたが、まあ、まだそれなりであって、浮き沈みの波の範囲内におさまっているともみなせたでしょう。

しかし、この『ゴジラの息子』は、『南海の大決闘』からさらに急落します。公表されている初回興行時の観客動員数は248万人。実に、100万人近くの下落です。東宝側も、この路線は失敗だったという認識にならざるをえなかったんじゃないでしょうか。

 

これは別に、ディスろうということではないんです。

 

ふたたび音楽のたとえでいえば、ゴジラはビーチボーイズみたいな道をたどったんじゃないかと思います。

時代の変化にあわせようとしたものの、うまくアジャストしきれず、迷走していく。無理に時代にあわせようとしてもぎこちなさが出てしまって新たなファンはなかなかつかない。その一方で、それまでのファンが愛想をつかして離れていくという……変化のベクトルは逆のようでもありますが。

 

そういうわけで、ゴジラシリーズの第7作~第9作を、私は「迷走期」と位置付けています。

 

ジリ貧状態を打開しようと打ち出した路線転換が、逆にさらなる商業的不振という結果をきたしてしまう。

このことが、シリーズ完結を見据えた次作『怪獣総進撃』につながっていくわけです。

企画段階では『怪獣忠臣蔵』というタイトルも考えられていたという『怪獣総進撃』は、東宝特撮怪獣たちをオールスター出演させた最後の打ち上げ花火という意味合いがあったようで……その『怪獣総進撃』において本多・伊福部コンビが戻ってくるのは、やはり第78作の路線が失敗だったという認識によるのではないでしょうか。

 

その『怪獣総進撃』が一定の成功をおさめ、いったんは打ち切りが既定路線とも見られていたゴジラシリーズがその後も存続することとなった……というのは、以前書いたとおりです。

 

 

――と、なんだか作品の中身に関係ないことを長々と書きましたが……

 

実際のところ、第一作ゴジラをリスペクトする平成ゴジラ世代である私からすれば、この作品をみて肯定的に評価できる部分は正直言ってほとんどありません。

 

一応ストーリーを書いておくと……

きたるべき食糧危機に備え、気象コントロールを目指す“シャーベット計画”がゾルゲル島なる島で進められていた。その島には巨大な卵があり、その卵が孵化してミニラが登場。ミニラを保護するためにやってきた親ゴジラが、島に生息する怪獣たちと戦う……といったような話です。

 

見るべきところがあるとすれば、カマキラスやクモンガといった、着ぐるみでない怪獣が登場したというところでしょうか。特に、巨大蜘蛛怪獣であるクモンガは、使いようによってはもっと存在感を発揮できたのではないかと思います。この作品が初登場だったことが不幸でした。

 

豪華キャストも、ミニラが登場する映画において果たして意味があったものか……

「高島忠夫が出てる! 平田昭彦が出てる! 土屋嘉男が出てる!」などというのは歴戦のマニアのみが持ちうる感想であって、子どもからすれば「誰? このおっさん……」でしかないわけです。そして、歴戦のマニアたちは、おそらくミニラという存在を容認できなかったんではないかと思われます。

 

ただ、東宝サイドとしては、子供向け路線のキーとしてミニラに未練があったんじゃないかというふしも。

 

ミニラは、次作『怪獣総進撃』にくわえ、さらにその次の『オール怪獣大進撃』にも登場。

『オール怪獣大進撃』では、人間の言葉を話し、人間の少年と友達になりさえします。このあたり、なんとかしてミニラという怪獣をポピュラーにしたいという思惑が透けて見えるんじゃないでしょうか。

しかし、結果としては、この努力も空回りに終わったといえるでしょう。

以前も書いたように、『オール怪獣大進撃』を私は決して低く評価していませんが……世間的には、ここがおそらく限界でした。いかな夢の中の話とはいえ、ミニラがしゃべるという設定に、多くのゴジラファンがもうついていけないとなったんでしょう。『オール怪獣大進撃』を最後に、ミニラはぱったりと姿を消します。どこに行ってしまったのかも謎です。その次作にあたる『ゴジラ対ヘドラ』からは、もうはじめから存在しなかったかのように抹消されてしまってます。時代のあだ花であったとでもいうかのように……

 

しかしながら……話はまだ、そこで終わりません。

“ゴジラの息子”というアイディアは、形を変えて、その後の第二期シリーズ、第三期シリーズにも登場します。やはり、怪獣映画をシリーズとして何作か続けていくと、自然にそういう方向に流れていく圧が働くみたいです。

そのあたりについては、またいずれ書きたいと思います。