手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

おしゃべり・・・・4  野球

2021-02-12 19:11:36 | 無題

 野球のおしゃべりになると、プロ野球と自分の経験談になる。プロ野球は、千葉ロッテのフアンだから当然パシフイックを応援している話になる。自分の経験となると、職場の野球チームの一員だった話になる。
 戦時中の田舎の学校には野球の道具もなかった。でも校庭にはバックネット作られていた。終戦後いくらもしないうちから野球はできるようになって軟式野球のボールが手に入るようになった。どうなっていたのか思いだせないけれどひどいグローブのようなものも手に入り、一人でバックネットにボールをぶつけ、跳ね返るボールを一番良い位置で捕る練習をしたり、バックネットの板の部分に〇を書き、それを目標にボールを投げて命中させる、いわばコントロールの稽古などをして遊んでいた。そんなことがあり、職場で野球を始めたとき、結構野球のできる仲間の一人になった。練習でピッチャーの練習をすると、とてもいいコントロールなのだけれど、本番になったら全然コントロールきが利かなくなるのです。
 練習でバッティングピッチャーになって投げ込んだら、真ん中にいくらでも投げられるのです。でも打者がみんな打てないのです。真ん中に投げてやっているのにほとんど空振りになるのです。あとで考えると私のボールの投げ方が、ボールに回転をあまり与えない投げ方なのでプレートのあたりで沈んでいた。今のいわゆるホークボールに近い球種になっていたのかもしれません。それが本番になると全くダメになる。そんなことでピッチャーをやることはなく、ほとんどキャッチャーかサードを守っていました。そんな職場での野球も数えるほどしかやっていなく、思い出も少ないけれど、あの練習でのピッチングのコントロールあれはかなり良かったと思うのだけれど、本番になると自分の気持ちのコントロールができず、持っている力を全く出しきれない自分だったことを思いだし、自分の性格と重ねている。、
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おしゃべり・・・3のつつき

2021-02-11 19:03:43 | 無題

 昨日書いた「おしゃべり」スキーのつづきです。小学校時代発電所の水槽の山といわれる今行ってみるとちょっとした丘でしかないけれど、子供にはいいスキー場で、回転を楽しむのではなく、ただ直滑降を楽しむスキーをしていた。スキーもストックも、まともなものはなく、古い単板のスキーての楽しみでした。昭和22年だと思うけれど、軍隊のスキーが出回って、私の家でも一式手に入れた。スキーの楽しみだけ知っていて、第三師範の本科に入学した時にスキー部に入ったのでした。その結果は昨日書いた通りなのですが、そのころ旭川の第三師範はインターハイのスキー大会で一部に入っていました。先輩に菊池さんという方がおられ、長距離、複合などでて得点をして一部に残っていたのです。自分の力も知らないまま、入ったものの継続することができなかった。この時、技術指導をしてくれる先輩でもいればよかったのですが、そんな方にも出合うことなく、ただ勝手に滑ることだけでした。それでも同期会などに出るとスキー部に所属していたと認識されたりもしました。沼田高校に努めるようになってスキーを復活したのですが、一度も指導を受けたことがなく、知らない間にスキー教室などが出来、スキーの指導要領までできていたのです。初めて指導員になっていた同期の方から、ウエデルンの技術を知らされ、愕然としました。又、スラロームの理論も全く無視して滑っている自分をしりました。美唄東に転勤して、初めて講習会に出て、二年目にようやく1級の資格を取得したのでした。講習を受けて、その必要性を実感しました。そのころ同僚の先生方にもスキーを楽しむ方が多くなり、年末にはニセコ比羅夫へ一泊のスキー旅行を毎年やっていました。基礎スキーと競技スキーは別物です。競技スキーは競技で鍛えなければ、わからない実践の厳しさがあります。どの競技でも同じだとおもいますが、頭で考える事と実践はかけ離れています。そんなことでしくじったこともいくつかあります。
 
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おしゃべり・・・3

2021-02-10 18:41:12 | 無題

 自分のダメなところはあまりさらしたくない。駄目なところを売りにすることは無理な話です。でも、自分の至らないところを振り返ってみたいと思う。
 好きでそうなったわけではないけれど、いろいろなことに手を出した。だけどどれも人並みにはならずじまいでした。運動では、スキー、卓球、バスケット、テニス、野球などをたのしんだ。どれも勝手に楽しんだだけで選手はもちろん、教えを受けたわけではない。中で一番得意だったのはスキーです。これも小学校の時まともな道具もないままみんなと遊んでいて、第三師範の本科一年に入ったとき、スキー部に入ればスキーが給付されるというので、入部してみた。しかし、スキーの用具は古い父の履いていたスキー靴があるだけで、ズボンもセーターも買うことができないままの貧相なスキー部員だった。練習にもろくに行くことができなく、一度だけ大会に出場させてもらって一年でやめたのです。
 大学を卒業して最初の赴任先が沼田高校だった。昭和28年に着任。此の当時沼田の街でスキーをやる人は、町からかなり離れた炭鉱の従業員くらいでした。スキー場は町から2Kくらい離れたところの夏は農地になる丘でした。たまたまスキー一式が手に入り、放課後一人で出かけスキを楽しみ始めました。しかし、コーチをしてくれる人もなく、見様見真似の練習をしていました。そのうちに仲間が増えてきて、特に体育の新しい先生がスキーを授業に取り入れることにするので、手伝ったほしいといわれ、体育のスキー授業の手伝いもしたりしました。そのうちに町の体育協会主催のスキー大会が開催されるようになり、私が中心のスキー大会みたいなものになりました。回転のボールのセッティングだとか、ジャンプ台を作ったりして面倒を見たものでした。そのころ、スキーの検定が行われるようになったのですが、たまたま大学の同期の方が深川の方で指導員の資格を取っていて、その方が検定を受けなさい勧めてくれ、体育の先生と二人で見てもらったのですが、きちんと習っていないので、何点か注意され、この次検定を受けてみましょうといわれた。その年に 美唄へ転勤となり、二年目に一級の資格をもらいました。これは頑張ったのですが、肝心な指導者がいなく、正式な練習をしないままま温情でいただいたようなものでした。そのあとそれなりの技術は身につけましたが、きちんと指導を受けていない弱点だらけのスキー1級でした。
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おしゃべり・・・・2

2021-02-09 19:37:59 | 無題

 おしゃべりで「口をすべらせた」というのがあります。話が弾みついつい本音の言ってはならないことを言ってしまうというやつです。
今回の森会長の発言は将にそれでしょう。40分ほどの演説の中で入ってしまったことのようだ。調子に乗って話していて、つい口を滑らせた言葉・・・しかしこれは冗談とかで済ませられない大問題なのだ。公式の場での発言であり、本音を言ってしまったのだ。場面も悪い。オリムピックの会議だ、オリムピック憲章に反する内容の発言になるわけで、そんな考えの方が大会委員長ではまとまるき話もまとまらなくなる。オリムピックが開催できなくなる可能性がある。
友達同士の飲み会などで話を盛り上げるのに口にしたのなら、笑って流すこともできるけれど今回は重い。とんでもないにとんでもない問題を・・・これは森会長の退任しかないでしよう。
 
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おしゃぺり・・・

2021-02-07 19:33:25 | 無題

 おしゃべりは相手がいなければ独りごとになる。コロナの問題が出て、外出しなくなったらおしゃべりが゜全くできなくなった。もともと話上手ではなく、友達も少ない。それでも居酒屋でお酒を飲みカラオケを歌いなからなら時間を忘れておしゃべりを楽しんだこともあった。話題がなくてもカラオケで楽しむこともできた。80歳過ぎまでは何かかにかの対外的仕事があって、その仕事を通しての友達との交流もあったけれど、そのような仕事もくなると考えることもすることもなくただ寝てばかりいる。是では病人ですね。部屋には書籍がまだ読まれいまま本棚にを埋めている。退職後ゆっくり読もうと思ったのに、暇はあるものの目が疲れて精がつつかない。今や読書は、詩吟の教材に関することを拾い読みするくらいだ。詩吟の稽古は一人でできるのだけれど、二階の部屋に火を入れて温めるのが面倒でそれもしない。将に半病人の暮らしです。、/div>
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立春  待っていました

2021-02-02 19:12:56 | 無題

 今日は立春。冬至を過ぎると、早く来い豆まき・・立春。あの冬至に近づく頃の日の暮れ方の早さ。本当に心の底まで暗くなる感があります。それが、冬至となって極まれりと思い、早く来い立春と取り替わるのです。この数年前くらいからはその感じが一際強くなっています。雪撥ねに耐えきれない体力になったことに依ります。それが私の体力の低下に合わすかの如く、雪が遅く少なくなってくれているのです。最近、冬台風みたいな予報がありましたが札幌は避けていってくれました。立春の近辺で猛吹雪が来て生活道路に40センチくらい積もることが多く、私は勝手に春一番と読んでいました。それがこの数年ないのです。今晩、石狩北部からその嵐に見舞われるようです。ということになれば、来週あたりから、春の気配を感じることができるのかも知れません。日の暮れるのも確かに遅くっています。本州では二月を梅見月というそうですが、一番先に春を知らせてくれるのが梅の花なのですね。衣更着の名の如く、寒さは厳しくても自然は目覚めてくれるのですね。
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コロナ ワクチン接種が近くなった

2021-01-27 19:25:29 | 無題

 ワクチンガ日本でもスケジュールに上ってきた。世界ではかなりの国が動き出してる。しかし、世界中の人が対象なのだから、途方もない時間が必要になる。れも二度打たなければならないのだから大変だ。日本も特に今年のオリンピックを成功させるためにも急ぎたいのだけれど、製薬会社は需要に追い付かないみたいだ。日本では2月の末から始まるようだけれど、いきわたるのはオリムピックが終わってからみたいだ。
今一番先を走っているのがイスラエルだという。多分、自国でワクチンの開発に成功しているのでしよう。日本でも治験中の薬が3本ほどあるみたいだけれど、日本の検査基準は厳しいので、かなり遅れるのでしょう。
それでも先が見えてきました。国内の終息は後二年くらいかかるのかもしれません。でも、来年にはいろいろな規制も解除されてくるのでしょう。長いこと巣ごもりが続きました。終息しても出て行く先もなくなっているのじゃない・・・。
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春を思わせる今日の天気

2021-01-21 19:13:29 | 無題

 天気予報通りだけれど、最高気温が4度くらいあり、強い陽の光は春を思わせるものでした。一昨日ブルが置いて行った車道の固い雪、ロードヒーティングの効く玄関前と車庫前に落として敷き詰めておいたのですが今日の天気でほぼきれいになりました。まだ立春まで暫くありますが、今年の冬の峠は越えたように思います。この冬、雪撥ねどうしようかと心配していましたが、これでほぼ乗り切れたといえそうです。それにしても、我ながら頑張りました。夜中雪の降りそうな日はロードヒーティングを自動運転にして入れておき、車道の雪は酸素ボンベを引きずりながらロードヒーティングで顔を出している舗装の上に落とし込む形で何とか乗り切れました。まだ何回か苦労しなければならないと思いますが、峠を越えた気持ちの良さが頑張らせてくれると思います。
 振り返ってみると、昨年は入院から帰ったばかりだったのに、酸素ボンベもつけずに乗り切った、家内が何ぼか手伝ってくれたのでした。去年も今年と同じように雪が少なかったのでした。気候変動が私の病気を応援してくれるように雪を少なくしてくれているのです。感謝!!
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コロナ・・・・   

2021-01-14 19:24:14 | 無題

 コロナが騒がれ出してもう1年になる。この蔓延の早さは驚きだ。今や世界中が犯されている。ワクチンガいくつか承認されて使われ始めている。日本でも来月から使われる予定になったようだ。アメリカではワクチン注射のため、野球場などが使われだしたらしい。一人二人でない、何びゃくにんもの待機者がいるのだから、病院だけでは対応しきれないのでしょう。世界中の人に行き渡るまでには、気の遠くなるほどの時間がかかるはずです。何年かかるでしょう。
 私は肺気腫を60歳の時診断されて、今日まで比較的元気で来ています。一昨年というと遠いようですが、一昨年の12月ですからまだ1年しかたっていないのですが、化膿性肺気腫で3週間入院したのです。10月ころから咳がひどく、痰が絡んで困っていました。咳止めの薬をあちらこちらの病院からいただいて試しても効き目がなく、11月には咳がひどくなり救急車で運ばれたこともありました。しかし、病名も定かにならず苦しんでいました。私は、皆様が風邪にかかるころかからなくて、風邪のはやりが済んだ頃に咳で苦しめられることが多く、最後はたいてい抗生物質を飲むと収まる状態が続いていたのです。そのことを話したけれど、どこも処方してくれませんでした。最後に、昔世話になった耳鼻咽喉科へ行ったら、抗生物質の点滴をして、手紙を書くので、行きつけの呼吸器科にできるだけ早く行きなさいといわれ、帰宅後すぐ木曜日が定期診察日でまだ時間ありますので、特別診察をお願いして出かけました。すると、いつもの地担当の先生が休みで、別の先生の診察を受けることになった。随分待たされて、レントゲンを撮った。するとすかさずCTの検査が指示された。そして、車いすのまま待機させられ、診断かあり、大変な肺炎です。このまま入院していただきますといわれ3週間の入院となったのです。あとで分かりましたが、咳込んで、咳込んで肺に傷が付き、そこが化膿し始めていたのです。24時間の点滴を二日続けました。点滴には別の薬の点滴も同時にやられました。一週間くらいで点滴が終わりましたが、その時の感じは、病気という重荷がそっくり取り払われたような身が軽くなる感じがありました。その間、肺炎患者の6人部屋で、隣の方とおしゃべりすることもなく、三週間頑張りましたが、一度、凄い咳込む声がきこぇ、しばらくしてスット聞こえなくなったことがあった。あれは多分、肺炎の最後の声だったのだと思います。そんなことがあって退院したら間もなくコロナでした。今の私には、コロナは命取りだと思います。一年間、詩吟の教室はやっていますが、カラオケの遊びには一度もいっていません。ワクチンは早い順番になると思いますが、待ち遠しい。
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身体がひどく固くなっている

2021-01-09 19:55:59 | 無題

 一昨年の12月に化膿性肺気腫で3週間入院して、新しい年を迎えたら、たちまち新型コロナの問題でそれまで毎週一度はカラオケに行っていたのに行けなくなり、本業の詩吟も大きな大会などができなくなり、力が入らなかった。
 入院で悪くなっていた部分は回復したのだけれど、歳は90を超えることになり、体力がそれでなくても落ちるのに、詩吟の力も入らない、カラオケは全くやらなくなったで、声が出なくなるのは当たり前です。やはり、長時間の外出には酸素ボンベの助けを借りなければなりません。二階が私の仕事部屋なのです。12段の階段をゆっくり上がっても息が切れ、暫く呼吸を整えなければならないのです。そんなこともあり、詩吟の稽古をしなくちゃと思いつつも二階に上がることが億劫で下のソフアでごろごろしてしまう。そんな生活の結果、正座も胡坐もかけなくなりました。足腰が硬くなってだめなのです。それでも少し努力しようと座る稽古をしてみましたが、足腰が痛くなって続けられないのです。
 リハビリーの運動を少し頑張るといいのはわかり切っているのにやれないのです。まだ家の中ではほとんどの時間酸素を使わないで生活出来ているのだから、少し頑張れば声を出すことも容易になるとおもうのです。もうひと踏ん張り頑張ってみようと、今励ましていますが出来るかどうか。
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