手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

もともとの会名「碌峭会」として今日から発足です

2017-04-03 19:54:18 | 詩吟関係

 13年前、 象堂流を退会して「碌峭会」を立ち上げ、北詩連に加盟させていただいたのでしたが、その折約40名ほどの会員がいて、教室を三つに分けて教えてました。その折私は「碌峭会」として一つの会として入会したいと希望したのでしたが、教場毎に分けて入会しなさいという指導があり、私の処遇で新しく名目上の碌峭会本部という会も作ることになりました。そして数年はそのままま経過したのですが、会員が減少して本部を置くことがむつかしくなりました。

 それで本部をなくして、私の所属を手稲第一教場にしたのですが、とても不自然な形になっていました。昨年は手稲の教室二つの会員も激減したので、手稲を一本化し、さらに平和も含めて本来の「碌峭会」に今年から戻させていただくことにしました。随分不当な扱いもされました。たとえば北詩連の活動の一環として年間5名新人を獲得した時は本部表彰をするということがありました。その折碌峭会としては5名の会員を獲得しているのに、教室がばらされていて碌峭会の成果として認めてもらえないといったことかあったりしました。

 まあそんなことはどうでもいいのですが、私の作った会で今も私が指導している会が、私の会と認知されないようなあつかいをうけなければならなかったことは何か残念な気がします。

 今日二つが合併した「手稲」の初めての教室でした。梶尾君が体調を崩して、欠席でしたが7名での稽古となり、教室らしい教室となりました。碌峭会会員数は今日現在17名です。独立したことになっている加藤君と、市橋さんは傘下教場としてともに教室には名前を置きますので19名での活動となります。

 他に健幸くらぶ5名、福祉センター会員20名ほどいますから、45名くらい今教えていることになります。新しい気持ちでこれからも頑張って行きます。

 

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