何事でも「面白い」と感じるのは、その人個人の感性による。現在詩吟に熱中している人でも、興味を感じる感じ方は人それぞれだと思う。
学ぶ楽しさと教える楽しさは違う。言えることは、教える方の詩吟に対するとらえ方次第で面白くもつまらなくもなるということです。
お弟子さんの一人一人をよく理解してあげなければなりません。今やとても少なくなっている詩吟愛好家をさらに好きにさせ、あまり興味のない人でも楽しくなるような教え方をしていかなければならないでしょう。
漢詩を文学として 鑑賞し理解したい人もいれば、詩吟の題材としてとらえ特に深い知識として求めない方もいる。音楽的に完成した吟を求めるる方もいれば、仲間意識が大切で、民謡を楽しむように、細かい技巧的な、一字一句のアクセントにこだわったり、渡りはだめですとかといったことはもちろん注意はしなければならないけれど、もう少しおおらかにゆとりを持って教えていくことが大切です。
漢詩の指導で絶句、律詩、排律などの定型詩の指導では形は直ぐ覚えてもらえるのですが、中国の定型詩の音数律を理解させ、併せて日本の短歌の音数律も五音七音の音数律になっていること、そして、日本語が二語一拍のリズムを持っていることと合わせて折に触れ指導していくことが大切だ。
更に詩文の鑑賞にしても、細かいことを何もかも教えようとすると無理が来ます。教えるというか共感してもらえるような説明で、その説明を聞くだけで
納得してもらえるような、おおらかな指導法を確立すべきだと思います。そんな中で教室自体が生き生きとした活気のある楽しい場にしたいものです。(書きたいことはいろいろあるのですが、中半端なまま終わります)/div>