コロナが始まって家に居ることが多くなり、テレビを見ることが多くなった。中でもお笑い番組が幅をきかせていて、ついつい見てしまうことが多くなっている。困ったことに、これも歳のせいで耳が遠くなっていて、テレビの音声が良く聞取れないのです。でも今まで知らなかった名前を覚えたりしています。昔の漫才師とか講談師、落語だとかはとても良く笑わせられたり、泣かせられたりしたものでしたが、今の若い漫才師の話は私を笑わせるような中身でない。今一番の笑いは笑点です。 昨年だったと思いますが、娘が札幌落語シリーズの入場券を持ってきてくれた、札幌芸術劇場での落語でした。3階の席でした。身振り手振りはもとより声も聞こえない何ともつらい時間でした。落語は小劇場でなきゃだめですね。笑ったといえば、もう何十年か前てすが、当時文化講演会などを町が企画し、小説家とか、作曲家だとか、有名人を招いての講演会が年一度くらい開催されていた。この人たちの話は、いろいろなエピソートを盛り込んだリアリティのある話が多く、涙を流しながら笑って聞いたものでした。今のテレビのお笑いでは笑うこともありません。歌手のホテルでのデイナーショウなども何回かいったことがありますが、お客を前に鍛えてきた方たちです。やっぱりトークが人をひきつけ楽しい会にしてくれます。中央区にいれば機会があるのでしようが、手稲だと一年中目を凝らし新聞の広告を見つめていれば素晴らしい機会にも恵まれるのでしょうが、それも面倒になっています。
コロナが始まって家に居ることが多くなり、テレビを見ることが多くなった。中でもお笑い番組が幅をきかせていて、ついつい見てしまうことが多くなっている。困ったことに、これも歳のせいで耳が遠くなっていて、テレビの音声が良く聞取れないのです。でも今まで知らなかった名前を覚えたりしています。昔の漫才師とか講談師、落語だとかはとても良く笑わせられたり、泣かせられたりしたものでしたが、今の若い漫才師の話は私を笑わせるような中身でない。今一番の笑いは笑点です。 昨年だったと思いますが、娘が札幌落語シリーズの入場券を持ってきてくれた、札幌芸術劇場での落語でした。3階の席でした。身振り手振りはもとより声も聞こえない何ともつらい時間でした。落語は小劇場でなきゃだめですね。笑ったといえば、もう何十年か前てすが、当時文化講演会などを町が企画し、小説家とか、作曲家だとか、有名人を招いての講演会が年一度くらい開催されていた。この人たちの話は、いろいろなエピソートを盛り込んだリアリティのある話が多く、涙を流しながら笑って聞いたものでした。今のテレビのお笑いでは笑うこともありません。歌手のホテルでのデイナーショウなども何回かいったことがありますが、お客を前に鍛えてきた方たちです。やっぱりトークが人をひきつけ楽しい会にしてくれます。中央区にいれば機会があるのでしようが、手稲だと一年中目を凝らし新聞の広告を見つめていれば素晴らしい機会にも恵まれるのでしょうが、それも面倒になっています。