「去年今年貫く棒のごときもの」確か虚子の句だったと思うのだが・・・。
年末になるとこの句が頭をよぎる。俳句一筋に生きた人のゆるぎない姿がある。
芭蕉は、「才なければ、この一筋につながる」といっていたと思う。
私も詩吟が生甲斐だけれど、その一筋に掛けているとはいえない。自分の力量の足りなさを痛感しながら、なお努力を重ねない自分なのです。
多趣味で、いろいろのことに手を出し、それなりの力はつけたけれど、どれも中途半端だった。年とともにそぎ落とされて、今は詩吟が中心で、此れだけは一応やっていると人に言えるのだけれど、そういって胸を張るだけの集中はしていない。
詩吟の教室を五つ持っていて、それでまだほかの趣味も続けている。1930年生まれという歳は、殆ど支障になっていない。此れは自分でも不思議だ。
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