「朝(あした)に辞す白帝彩雲の間」李白の詠んだ詩です。この詩で「白帝城」が有名になったといっても過言ではありません。
今コロナの発祥地として騒がれる湖北省と四川省の国境の山を突き抜ける三峡の入口にある。私も三峡ダムができたら三峡も水没するという話を聞いて、その前に一度見てみたいと思い、家内と二人で、平成16年に「三峡クルーズ」に参加してみました。
白帝城は三国時代、蜀の劉備がここで亡くなり、諸葛孔明に息子のことを頼み、もしも息子が凡庸ならお前があとを取れといって死んでいった地でもあります。重慶を出発して二日目、「間もなく白帝城です」との船内放送があって皆様とともにデッキに走りました。しかし、白帝城は山の中にそれらしい姿を確認できただけで、しっかり見届ける暇もなく船は三峡へと入ってしまうのでした。「白帝瞬時にして三峡に入る/瞿塘の双崖天を摩して壮なり」という書き出しの絶句一題を作りました。
長江の水は澄んでいるものと思っていたのに、泥水に等しいのに驚き、もしも澄んでいたら感動は何倍も強かったと思います。底知れぬ青さは恐怖さへ感じらせたと思いますが、泥水で、その上クルーズの船が3000トンもあるのですから、長江最大の急流のはずが、それを感じさせなかったのは残念でした。
「軽舟已に過ぐ万重の山」この実感は味わえなかったのです。
三峡を出ると湖北省、ここに出ると景色は一変します。長江が長江らしくなるのです。長江ダムは完成まじかでした。クルーズは「千里の広陵一日にして還る」承句に歌われている江陵まで2日かかって下りました。そのあとバスでコロナウイルスの発生源ということになっている武漢で、黄鶴楼を見て終わるのですが、このころの中国と今の中国は全く比較しょうもない大変貌を遂げているようです。高速道路はできていたけれど走る車はほとんどなかった。道路に信号もなく、数少ない自動車が人浪をかき分けるように走っていた。そんなことを思いだしています。</div>
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