教育再生のため、いじめ対策のため、に道徳の教科化が検討されているそうです。
ところで私が小学生の時には道徳の授業がありました。すると私の世代にはいじめはなかった、ということなんですね。一日一善運動もありました。すると私の世代は善人ばかりということなんですね。ということは、私自身も善良な善人なのです。
いやあ、良かった良かった。
【ただいま読書中】『ヨーグルトとブルガリア ──生成された言説とその展開』マリア・ヨトヴァ 著、 東方出版、2012年、5000円(税別)
ブルガリアは、かつてはソ連の、今はEUの“衛星国”です。常に他国に翻弄される存在でした。しかしブルガリア人の著者がやってきた日本では「ブルガリア=ヨーグルトの国」でした。しかし、それ以上突っこんだ知識を持つ日本人はまれです。
本書では「ヨーグルト」と「ブルガリア」についての“現実”が述べられますが、ヨーグルトを“主人公”に据えて、人はそれに関わる存在として扱う、というちょっと変わった手法が採られます。
草食動物を家畜とすることで、人類は「草」を「食品」に加工することができました。家畜のミルクを摂取することで、家畜を殺さずに持続的に利用することができるようになりました。そのミルクの一つの(重要な)バリエーションがヨーグルトです。ブルガリアでは、ヨーグルトの上澄みの脂肪からバターを作ったり、バターから残ったバターミルクを加熱してチーズを作ります。つまりヨーグルトは単体の存在ではなくて、他の乳製品とも密接な関係を持っているのです。
パスツール研究所のメチニコフは、免疫研究から老化研究に転じ「老化は腸内細菌が産生する毒物による」という仮説を立てました。そして、アルカリ性を好む腐敗細菌を制するのが弱酸性の環境を作る「ブルガリア桿菌」である=乳酸菌を摂取したら長寿となる、と唱えました。日本にメチニコフの『不老長寿論』が紹介されたのは1912年です。免疫学でノーベル賞を受賞したメチニコフの言うことですから“権威”があります。世界中でヨーグルトは一大ブームを起こすことになりました。商品が次々開発され、「ヨーグルトのブルガリア起源説」が唱えられます。
それはブルガリアにも影響を与えました。素朴な手作りヨーグルトが全国で作られていたのが産業化され、さらに「ブルガリア固有の技術」「ヨーグルトは人民食」といった民族主義的な言説が起きます。しかしヨーグルトをめぐる言説が、親ソ連派と反ソ連派双方に利用されるというのには、ちょっと失笑気味になってしまいますが。ブルガリア乳業は黄金期を迎えますが、やがて衰退を始めます。
日本での「ヨーグルト」はデザートとしての甘いハードタイプのものでした。しかしブルガリア大使館を源とする「本場のヨーグルト」が、日本の上流階級を中心に広まっていました。日本初の女性衆議院議員の一人だった園田天光光は自分でも作って食べていて体調が良くなったことから、ブルガリアに調査員を派遣、「ブルガリアには長寿の者が多い」との報告を得ます。園田らは「聖地ブルガリア」言説を広め始めます。そして1970年大阪万博、「ブルガリアの発見」が明治乳業によって行なわれます。「新しい味」を受けいれてもらうための努力、「ブルガリア」をブランドとして使うためのブルガリアへの働きかけなど、興味深い話が続きます。
ポスト社会主義の時代となり、ブルガリアのヨーグルトはEU規格に翻弄されています。国民の嗜好は変化しヨーグルトの消費量は減っています。それでもブルガリア国民にとってヨーグルトはまだ重要な食品です。そしてヨーグルトが日本で受けいれられたこともブルガリア内部では重要な事実です。
ヨーグルトを通しての国際親善、というのはどうも地味な感じがしますが、地に足を着けたつきあいができることは21世紀の国際関係の中では重要なことではないか、と私には思えます。ブルガリアに限定せず、いろいろな国とこうした地道な(そして美味しい)つきあいをしていくことが、これからの日本に必要なことではないかなあ。