小泉改革は、結局偽装請負を社会に蔓延させる効果を日本社会にもたらしました。「改革」に「犠牲」はつきものですが、不幸な労働者を大量に発生させたわけです。(そういえば「郵政改革」で日本はどんな利益を得たのでしたっけ?)
最近「金さえ払えば正社員でも簡単に合法的に首を切れるように」という動きが出ているそうです。するとアベノミクスが日本社会にもたらすのは「偽装正社員の群れ」なのでしょうか。ますます不幸な労働者が大量に発生しそうな気がするのですが。
【ただいま読書中】『ロビン・フッド物語』ローズマリ・サトクリフ 著、 山本史郎 訳、 原書房、2004年、1800円(税別)
ロックスリーの独立農民(ヨーマン)ロバート(ロビン)は、腐敗した教会と横暴な権力者によって無法者にされてしまいます。ロビンは仲間たちと〈緑の森〉に逃げ込み、本当に無法者として生きることになります。ただし、ロビン・フッドは「正」と「義」を重んじます。その態度をしたって仲間はどんどん増えていきます。さらに、ロビン・フッドのかつての恋人が、意に沿わぬ結婚を嫌がってロビン・フッドのところに逃げ込みます。
こうして「貴婦人」「貴婦人に忠実な騎士」「騎士の仲間」という英国文学の伝統が、姿形を変えて揃うことになります。もちろん彼らが行なうのは「悪党の行動」ではありません。人々を苦しめる権力者とその手先を懲らしめることに特化しているのです。もちろんそれは懲らしめられる人々からは「極悪非道の行動」なのですが。
十字軍でイギリスを留守にしていた獅子心王リチャードが帰国し、自分の不在中に乱れていた国を糺そうとします。そこで聞いたのが、ロビン・フッドに関する「縛り首にするべき無法者」「忠義に厚く国内最高の弓の名手たちが揃った集団」という相反する噂です。王は自らの目で真相を見極めようとし、「森の仲間たち」に恩赦を出す決定をします。「森の仲間」は解散となり、ロビン・フッドも領主として「森の外」で暮らすことになります……が……
さすがサトクリフだと思いながら読める本です。「その時代」が生き生きと描かれるからこそ、そこで運命に従いながらあるいは抗いながら生きる人たちの姿がリアルに浮き彫りにされます。さらにロビン・フッドは「スーパーマン」ではありません。リトル・ジョンや修道士タックとの出会いでは「いざ勝負」となりますが、それにあっさり勝って相手を屈服させるどころが、負けてしまったり引き分けになったり、それなのに相手はロビン・フッドに心服してしまう過程が実に自然に書かれているのです。しかもすごいのは「単なる過去の物語」ではなくて「現代に通じるエッセンス」が随所に散りばめられていること。「作家の資質」というものの凄さを思い知らされます。