未来の足跡
「賞」とか「勲章」は、いわば「その人の過去の足跡」を褒め称えたものです。もしももらった本人がそこで立ち止まって振り返り「自分の過去の足跡」をつくづく鑑賞してしまったら、もう「新しい足跡」は生まれないことになってしまいます。
【ただいま読書中】『新版 遠野物語』柳田国男 著、 角川ソフィア文庫、1955年(2004年新装初版、13年25刷)、476円(税別)
岩手県の遠野で著者が聞き書きをした民間伝承の数々が列挙された本です。
本書によく登場することばに「恐れ」「恐ろしい」があります。当時の山は人が支配できない領域で、自然の恵みを得ることはできましたが、人が行方不明になったり死んだりする恐ろしい領域でもあったのでしょう。そういった「恐ろしさ」が具現化したものが、たとえば、山男、山女、ザシキワラシ、天狗、人をだます狐、人を襲う熊や狼、化け物、幽霊、山姥などだったのでしょう。
ザシキワラシは、私が知っているのは童の姿をしている家の守り神で、子供たちが遊んでいるといつのまにかその中に気づかれずに混じっている、というものですが、本書ではしっかり認識できる「見慣れぬ童子(男児または女児)」の姿となっています。ちょっと恐いのは、「福の神」だから「この神の宿りたまふ家は冨貴自在なり」なのですが、出て行かれるとその家はあっさり没落してしまうことです。
オシラサマは民間伝承と言うより神話に近い物語です。遠野の曲がり屋は人家と厩がくっついています。で、ある家の娘が馬を愛して毎晩厩で寝ていたら、馬と夫婦になってしまいます。父親は馬を桑の木につり下げて殺しますが娘は切り落とされた馬の首に乗って昇天して、そのときオシラサマという神が生まれ、馬の首の形の白い虫(お蚕様)が生じた、と言うのです(遠野物語拾遺にはまた別の由来が載せられています)。
本書を読んでいると、昔の日本人は奇怪な民間伝承とともに生きていたんだなあ、とまず思います。そして次の瞬間「ともに」ではなくて「中で」……「私たちから見たら奇怪な民間伝承の世界の中で生きていたのだ」ということに私は気づきます。彼らにとってはおそらく“それ"が“リアルな世界"だったのでしょう。
ということは、21世紀の私たちもまた“奇怪なリアル世界"に生きているのかもしれません。