【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

靖国参拝

2013-12-27 06:57:44 | Weblog

 政治家が政治目的で神社に参っているのだったら、それは宗教の政治利用ですから、神に対してずいぶん失礼で不敬な態度だということになります。
 伊勢神宮を作ることで政祭分離を実行した(「同床共殿 (祭事と政治が同じ場所で行なわれること)」を改革した)垂仁天皇が聞いたら、耳を疑うかもしれません。

【ただいま読書中】『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利 著、 文春文庫、2006年(13年16刷)、600円(税別)

 ポツダム宣言・広島・ソ連参戦・長崎……戦争の帰趨はすでに決せられ、あとはいかに終わらせるか、が問題となっていました。しかし日本国内では「戦争を終わらせたい人」と「戦争を終わらせたくない人」の衝突が起きていました。天皇制を守るためなら現天皇を排除してでも聖戦完遂を、とまで思い詰める人までいたのです。しかし天皇は決意を固め、「お召しによる御前会議」を招集します。
 1945年8月14日正午、日本のいちばん長い日が始まります。
 話は突然昭和3年に戻ります。代々木練兵場で行われた陸軍特別観兵式で天皇が詔書を読む声が、何かのはずみで50m後方のマイクに入って実況放送されてしまったのです。これは当時としてはとんでもないことで、日本放送協会の矢部放送部長の責任が問われました(結局、思いがけない方向から救いの手が伸ばされたのですが)。それが終戦の詔書を天皇自らマイクの前に立って読み上げる、という「前代未聞の衝撃的事態」です。しかしそこまでしなければ、思い詰めた人々(特に軍人)はおそらく納得しないでしょう。「納得できない」と軍が暴発したら、それは内戦となります。ぼろぼろになった日本の傷が深くなり、ソ連が北海道に侵攻する恐れもあります。タイマーが隠された時限爆弾を解体するような、慎重な手際が必要とされるのに絶対的に足りない時間に追われる切迫感と焦燥感が14日には溢れています。彼らが行っていたのは、「時間と競争」というよりも「運命と競争」だったのかもしれませんが。
 14日の真夜中近くになって、「録音」が行われます。レコード盤へのダイレクトカッティングですからやり直しはききません。緊張の中、録音、再録音が行われます。録音盤を明日正午まで保管する任は、徳川侍従に託されました。彼はあっさり承知し、事務室の軽金庫に保管します。
 同じ闇夜の中、クーデターの試みも進行していました。宮城を守るべき近衛師団で、そして、厚木302航空隊でも。
 「玉音放送」については、実際にラジオで聴いた人に話を聞いたら「言葉が難しくて、結局何を言っているのかわからなかった」とのことでした。実際にその原稿を当夜読んだ新聞記者も、一度では頭に入らず何度も読み返していることが本書にあります。
 15日午前一時、決起に反対していた近衛師団長が殺害されます。クーデターの開始です。皇居は封鎖され、電話線は斧で切断され、放送局員たちは全員監禁されます。叛乱の目的は「玉音放送の阻止」。放送をされてしまったら「敗戦」が既定の事実になってしまうから、まずはそれを阻止、それで時間を稼いで……稼いだ時間で一体何をしようというのでしょう? 日本国内の全軍の決起、そしてそれに続く本土決戦がクーデターの目的でした。
 他人を殺す人もいれば、自決を静かに決意する人もいました。陸軍大臣阿南です。しかし彼は、若者には生きよと言います。死ぬよりも辛いことだろうが、生き残る人がこの戦争での大量の生と死についての問いに正しく答えられることができたとき、日本は救われるだろう、と。
 激変の時期には「天皇争奪戦」が行われるのが日本の“伝統"ですが、今回は「録音盤争奪戦」でした。「放送さえ阻止できたら、戦争に負けたことにはならない」と。しかし、宮内省に突入した兵隊たちは、迷路のような構造に途方に暮れます。
 首相官邸も襲撃されました。首相私邸も襲撃され、火をかけられます。放送会館を襲った将校は「天皇の放送の前に、自分たちの思いを放送しろ」と局員に強要します。
 なお、14日には空襲はありませんでした(連合軍は「日本軍が降伏」と聞いて、手を緩める気になったようです)が、あまりに正式な返事が遅いため疑心暗鬼となったのか、15日に日付が変わった瞬間に熊谷などの空襲を行っています。本当だったら不必要だったはずの犠牲がここでも生じています。
 ラジオ放送の電波は出力を下げられていましたが(米軍に位置情報を与えないためです)、15日には10キロワットを60キロワットに上昇させ、昼間停電地域にも特別送電が行われました。全国に電波を届かせようとの努力です。平常番組は軒並み中止となり、朝から「畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午おんみずから御放送あそばされます」と厳かな口調で予告が何度も行われました。そして10時半、最後の大本営発表が行われます。「我が航空部隊は8月13日午後、鹿島灘東方25浬(カイリ)において航空母艦4隻を基幹とする敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し、航空母艦一隻を大破炎上せしめたり」。
 そして、日本中ですべての人が「待ち」の時間を過ごします。米軍は攻撃中止命令を出します(ただし索敵と防衛は継続)。ソ連軍は猛進撃を続けます。
 そして、放送局では最後の事件が。スタジオ外の廊下に立っていた警備の将校が軍刀に手をかけてスタジオに乱入しようとしたのです。
 なお、「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以ッテ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」で始まる終戦の詔書は、815文字だそうです。
 本書の特徴は数多くの「証言」に基づいていることです。現在でも戦前のことが語れる人はまだ残っています。彼らからの証言は少しでも残しておきたいものです(私も折に触れ、親などから話を聞いています)。自分たちの“過去"がどのようなものか、きちんと知っておくために。「いちばん長い日」を再び迎えないために。