ファーストフードばかり食べていると、和食の繊細な味わいがわからなくなる、という危機感を抱いている人々がいます。
ネットでの露骨な悪口の応酬や街宣車でのがなり立てやヘイトスピーチに関する報道を見聞すると、そんなことばかり言っていたら日本語の繊細な味わいがわからなくなるぞ、と言いたくなることが私にはあります。
それともこの国では、文化的な「日本らしさ」はもうどうでもよいことに分類されてしまっているのでしょうか。
【ただいま読書中】『窓を開けなくなった日本人 ──住まい方の変化六〇年』渡辺光雄 著、 農文協、2008年、2667円(税別)
「起居様式」という言葉があります。生活様式の一つで、住まいの中で展開される諸行為の特徴を言います。著者は、日本人の起居様式が最近非常な速度で変化しているのではないか、と関心を持ったことがきっかけとなって本書を執筆したそうです。
60年前の人気連載漫画「サザエさん」と「ブロンディ」の比較が行われます。「縁側」と「地下室」の“対決"です。さらに「庭に塀があるかないか」「赤ちゃんはどこでハイハイをするのか」といった“問題"も取り上げられます。そして、かつての「サザエさん」は少しずつ「ブロンディ」へと変化していったのではないか、と著者は考えます。
この60年間で日本人がやらなくなったことはたくさんあります。たとえば「夕涼み」。実は夕涼み以前に「近隣の人影」が見当たらなくなっていたのです。さらに「普段着で行き来できる生活圏(狭域の生活圏)」が消滅していました。
日本住宅の歴史的な特徴は「ビルトイン」です。たとえば「畳」。はじめは置物や敷物だったものが敷き詰められて畳室になりました。布団箪笥がビルトインしたものが押し入れです。ところがこの60年、家具があまりの勢いで増加したため、新しいものをビルトインしていく余裕がありませんでした。その中で著者が注目しているのは「下駄箱」です。現在日本の住宅の下駄箱の半数くらいはすでに玄関壁にビルトインされています。つまり、私たちは「下駄箱ビルトイン」の“瞬間"に立ち会っているのだそうです。
日本人が現在迷っているのが「床の使い方」だそうです。西洋のように「歩くための床」にするか、これまでの畳のような「複数の機能を持たせた床」にするか。著者は後者を推奨していますが、さて、これからの日本の住宅ではどのような「床」の使われ方が主流になっていくのでしょうか。
そして「窓」。サッシの普及によって日本人は「窓を開けなく」なりました。これはつまり「エアコンの普及」も意味しているのですが。これを著者は「冬夏中心の生活」と言います。「寒いか暑いか」で気候を判断する生活です。しかし著者は「春秋中心の生活」も意識したらどうだろう、と提案します。夏の中でもさわやかな夜、冬でも穏やかな日だまりの日、そんな日には「窓を開けよう」と。窓を開けるかどうかは、「生き方」の話なのです。
ユニバーサルデザインの話も示唆的です。障害者や高齢者だけではなくて、たとえば小柄な人や左利きの人にも現在の住宅(特に火や刃物を使う点で危険がある台所)は使いやすく設計されているか、と。
このまま“住宅の西洋化"が進行すると、どうなるでしょう。著者は「ホテル暮らし」を例に挙げます。あそこで感じるとまどい(どこで靴を脱ぐか、どう入浴するか、ベッドでどう寝るか、エアコンはどうするか、大型トランクをどこで広げるか)が、日常的に延々と続くことになるのだ、と。
「ホテル暮らし」も慣れれば快適なのかもしれません。ただ私は、時々でも良いから、畳の部屋で大の字になりたいな。こんなことを言うのは、もう古いですか?