言葉の内容はとても真っ当なことを言おうとしているのはわかるのですが、全体の調子がなんだかとっても薄っぺらく感じるのは、そこに満ちているのが自慢と自己愛と全能感だからかな。
【ただいま読書中】『決定版 切り裂きジャック』仁賀克雄 著、 ちくま文庫、2013年、950円(税別)
1887年、大英帝国ではヴィクトリア女王在位50周年の祝典で盛り上がっていました。ヴィクトリア朝は絶頂で、大英帝国は世界に覇を唱えていました。しかし、爛熟と退廃も“お盛ん"となっていました。人口300万のロンドンに売春婦は1万人、殺人事件は毎日起きています。
そして1888年、ロンドンのスラム街イースト・エンドに「切り裂きジャック」が登場しました。彼(彼女?)の犯行の全貌は不明ですが、著者はその「第一の殺人」を1888年8月31日未明のメアリ・アン・ニコルズの殺人としています。死体発見現場はイースト・エンドのバックス・ロウ(事件以降あまりに悪名が高まってしまったため、のちにダーウォード・ストリートと改名されています)。第二の殺人は9月8日。犯人が人体解剖または動物の解体に手慣れた者であることを示唆する、死体の状態でした。
「売春婦」と簡単に言いますが、殺された女たちは「プロの売春婦」というよりは、食い詰めて手っ取り早く稼げる“内職"として売春もする貧民でした。男から声をかけられたら当然“商売"ですからついて行き、そのへんの路地や裏庭ででも用を済ませます。犯人としては自分が有利な状況を選びたい放題だったのです。
事件が評判となり、恐いもの見たさの人々がイースト・エンドに押しかけます。便乗商法として、小さな蝋人形館の主は、女性の蝋人形を血まみれにして展示し、小銭を儲けますがすぐに閉鎖を命令されてしまいました。しかし、一番の便乗商法は、マスコミでしょうね。あることないこと書き立てて新聞を売りまくったのですから。
ロンドン警視庁は別名スコットランド・ヤードと呼ばれました。1829年に内務省の直属機関として創設されましたが、ロンドンの官庁街ホワイト・ホールの、スコットランド王族がロンドンで滞在するための離宮中庭跡地に庁舎が置かれたのが名前の由来です(東京警視庁を桜田門と呼ぶのと同じ感覚ですね)。近代的な捜査を志向するスコットランド・ヤードですが、マスコミや世論は容赦なく「とにかく犯人を、それが無理なら犯人らしいやつを捕まえろ」とプレッシャーをかけます。そのため、何の証拠もないのに「犯人」が逮捕されました。ユダヤ人、刃物の扱いに慣れている、残忍そうな人相、前科持ち、あだ名が「レザー・エプロン」(新聞が当時切り裂きジャックにつけていたあだ名)、が決め手でした。すぐにアリバイが立証されると、散々あおり立てた新聞社は責任をスコットランド・ヤードに転嫁します。時代は変わってもマスゴミはかわらない、ということなのでしょうか(当時の日本にも「羽織ゴロ」と呼ばれる新聞記者がいましたっけ)。
そして、第三・第四の殺人が9月30日夜に連続して起こります。最初の殺人では喉をかききったところで邪魔が入って解剖までできなかったために、続けて別の売春婦を殺して“きちん"と解剖をしたものと思われます。問題は管轄がスコットランド・ヤードとシティ警察に分かれてしまったため、捜査上無用の対立や混乱が生じてしまったことでしょう。
そして、新聞通信社への投書(犯人からの挑戦状?)から「切り裂きジャック」の名前が定着します。連続凶行と犯人のふてぶてしい態度に対して世論は沸騰しますが、同時に、悪戯目的の「予告状」が大量に新聞社や自警団などに送りつけられるようになります(スコットランド・ヤードに88年10月中に届いたものだけで1400通)。皆さん、楽しんでます?(ついでですが、1930~50年代には、「実は自分が切り裂きジャックだった」という遺書が次々発見されて、また一騒ぎになりました) こういった投書や遺書の中に、実は“本物"が混じっている可能性はあるのですが、警察は数の多さからまじめに取り合ってはいなかったようです。
ヴィクトリア朝時代は、道徳を強調し、経済的な繁栄を享受していましたが、その内側には貧困と腐敗と悪徳が蔓延していました。街に溢れる売春婦は、そういった時代の“腐臭"だったのですが、上中流階級の人に必要なのは「臭いものには蓋」政策でした。切り裂きジャックは、その「蓋」をも切り裂いてしまったのです。(マルクスは社会主義、穏健な知識人たちは啓蒙主義でそういった「社会」に対応しようとしていたことも本書には描かれています)
“無能な警視総監"は首になりますが、そこで第五の殺人が。これまででもっとも酸鼻な現場状況でした。死体の写真が載っていますが、気の弱い人は見ない方が良いでしょう。
結局「ジャック」は捕まりませんでした。様々な推理が展開され、様々な人が犯人と名指しされました。被害者よりも“犯人"の方が数が多いのではないか、と私には思えるくらい。
著者も、独自のプロファイリングをしたり、他の連続殺人者を取り上げたりしてくれますが、結局「切り裂きジャックは誰で、なぜこのような凶行に走ったのか」は謎のままです。ただ、彼(彼女?)の犯行によってヴィクトリア朝の暗部がしっかり“標本"として歴史の舞台に貼り付けられたことは確かでしょう。これは「教科書的な歴史」が好きな人には忌々しいことでしょうけれど。