【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

大晦日

2013-12-31 07:29:56 | Weblog

 2013年最後の読書日記です。明日は日記を書けるかどうかまだ未定ですので、とりあえずここでご挨拶を。こんな日記を読み続けてくださってありがとうございました。来年も暇を見ては読書(読みと書きを)し続けるつもりですので、よろしくおつきあいくださいませ。
 それでは、良いお年をお迎えください。

【ただいま読書中】『兵士の革命:1918年ドイツ』木村靖二 著、 東京大学出版会、1988年、4600円
 1914年8月の開戦がドイツ第二帝政の決定的変容をもたらすと予想している人はいませんでした。開戦当初、戦争が長引き総力戦になると思っている人もいませんでした。しかし戦争は長引き「戦時体制」が確立します。著者はその時期を1916年後半以降としています。戦時体制は軍事独裁となりますが、皇帝の信任ではなくて戦争の勝利を望む国民の希望にその基礎を置いていました。しかし、戦争の長期化と前線からの悪い噂、さらに国内状況の悪化により、厭戦気分が盛り上がってしまいます。18年には、軍からの脱走だけではなくて、部隊の集団的な前線への移動拒否も起きるようになってしまいました。さらに戦時社会秩序も解体の様相を示し始めます。工場ではストライキが起き、国会では政権交代の動きが始まります。かくして、戦争の講和と国内の民主化を求めるうねりがドイツを洗い始めました。ここで「講和の障害」となるのが、軍部と皇帝である、と国民の目には見えるようになります。
 そして、海軍に不穏な空気が生まれます。「革命」「海軍」と並べると私は「戦艦ポチョムキン」を思い出しますが、よく似た事情があります。(「身分」ゆえに下士官や将校に出世できない)水兵の食事は劣悪で、優雅な生活をする将校とのあまりの格差の大きさに対する不平不満がたまっていたのです。「身分による露骨な待遇の違い」は陸軍でもありましたが、海軍が抱える問題点は「同じ艦の中、すぐ見えるところに格差が同居している」ことでした。陸軍だったらある程度空間的に“隔離"することができるのですが。“違う事情"もあります。連合国と進められている講和の条件が無条件降伏に近いものであることを知ったドイツ海軍は、「まだ戦う余力がある」とイギリス海軍との「(自殺的な)最後の決戦」を望んだのです。『日本のいちばん長い日』で軍部が「まだ戦う余力はたっぷりある」と「最後の決戦」を望んだことを私は想起します。もっとも「そんな余力があるとは、出し惜しみをしていたということか?」という疑問も感じますが、それはともかく、水兵にしてみたら、自殺的出撃なんか縁起でもありません。
 散発的な離隊や反抗や集団的な抗議やデモが繰り返されていましたが、1918年11月4日、キール軍港で相互に関係のない個別的な兵士の蜂起が始まります。午前中は散発的な行動でしたが、午後に“叛乱"は拡大し連帯し始めます。海軍の秩序は崩壊し、政府の対応は遅れます。しかし“無秩序"は蜂起した側も同様でした。きちんとした指導もなく、“騒動"を起こすには十分でしたが公然とした戦闘行為は望めない状態だったのです。
 派遣された鎮圧部隊は少数で、列車からおりるなりあっさり武装解除されて送り返されてしまいます。政府からの交渉団は歓迎されましたが、そこで水兵たちから突きつけられた条件は、言論の自由・皇帝の退位・選挙権の拡充・拘置者の釈放と免罪・水兵の武装解除の拒否、などでした。著者は「水兵に秩序回復への関心があること」に注目しています。その「関心」の原動力は「日常生活の維持(まともな飯をちゃんと食わせろ! 真っ当な生活をさせろ!)」です。ということは、アナーキーな「革命」ではなかった、ということなのでしょう。水兵側の要求をまとめた「キールの14箇条」をおおざっぱに言うと、平和と安全と真っ当な生活、となります。政府から派遣された社会民主党のノスケは、指導者不在でカオスとなった“叛乱"を管理するために自らが総督に就任して政府との交渉に当たることにします。こうしてキールに“運動"を封じ込めることができれば、ことは収まるはずでした。しかし、新聞報道や各自の判断で移動をした水兵によって情報は各軍港に広まります。水兵が持っている不満はどこの軍港も共通でした。かくして各地で火の手が上がります。水兵が各地で現地の部隊を味方につけ、それを機に労働者も運動を始める、という展開がドイツ各地で見られたのです。そしてその動きは、陸軍にも広がります。当時ドイツ陸軍は600万と言われていましたが、そのうち400万は西部戦線に配置されていました。厭戦気分が広がっているところに、水兵蜂起と皇帝退位の知らせが届きます。そこで起きたのは「本国への秩序だった撤退」を求める動きでした。
 政府から見たら「社会主義者がひそかにオルグをした」と思えるかもしれません。しかし、少なくともドイツ軍の中では、政治とは無関係に「休戦と革命」を求める雰囲気が醸成されてしまっていたようです。これって結局「失政の結果」ということですよね。だとしたらこの場合権力者は「叛乱を起こした兵士」を責める前にするべきことがありそうです。