【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

教訓

2020-02-09 07:31:19 | Weblog

 今回の「新型肺炎」での厚生労働省の後手後手の対応を見ると、以前の「新型インフルエンザ」のときにやった「水際作戦」の失敗から何も学んでいないように見えます。「自分たちは優秀だ」という自負があるから「学ぶ必要」はないのかもしれませんが、人間相手にいくら威張れても、ウイルス相手には通用しないのではないかな。

【ただいま読書中】『ロストフの14秒 ──日本vs.ベルギー 未来への教訓』NHKスペシャル取材班、NHK出版、2019年、1500円(税別)

 2018年夏サッカー・ワールドカップ・ロシア大会、日本代表は一次リーグを突破して決勝トーナメントに臨みました。一回戦の相手はベルギー。場所はロストフアリーナ。日本が2点を先取するも、ベルギーが2対2の同点に追いつき後半のアディショナルタイムに突入。本田圭佑が左コーナーキックを蹴った瞬間からの14秒で、日本は失点、ぎりぎりまでベルギーチームを追い詰めていたはずなのに、敗戦となってしまったのです。
 「史上最も美しいカウンター」と賞賛されるこのプレーは、なぜ生まれたのか、それは日本代表にとって何を意味しているのか、などを追究した本です。
 14年ブラジルワールドカップ。日本は史上最強と思われるチームを送り込みましたが、惨敗。その時の悔しさを知っているベテランがロシア大会でも中心となっていて「おっさんジャパン」と揶揄されることもありました。実際にロシア大会直前のチーム状態はぼろぼろで、大会開幕の2箇月前にハリルホジッチ監督は解任。世界ランキングは61位に低迷していましたが、ベテランらしいしぶとさで一次リーグを突破していました。
 対してベルギーは「赤い悪魔」と呼ばれる強豪で、当時世界ランキング3位。前評判は圧倒的にベルギーでした。ところが試合が始まると、前半はゼロ対ゼロ。それも一方的に攻めるベルギーに日本が耐え抜いた、ではなくて、ほぼ互角の展開だったのです。そして後半開始早々、日本は立て続けに2点を取ります。「このまま日本の勝利」と多くの人が思いました。そこでベルギーは、二人の選手交代、攻撃の選手を二人同時に投入して「攻撃するぞ」という姿勢を「形」でチーム全体に示します。対して日本は「攻撃(攻撃に夢中になるベルギーの裏をついて3点目をねらう)」か「守備(2点をがっちり守り抜く)」かで迷い、結局なんとなく「攻撃」を選択します。このとき試合を観戦していたリトバルスキーは日本チームの集中力が落ちていることを敏感に察知しています。そして、ふらふらとしたクロスボールがそのまま日本ゴールに入ってしまう「不運なゴール」が生じ、試合の流れは明確に変わります。日本選手の証言では「3点目を取りに行く姿勢に変わりはなかった」で一致していますが、ベルギーの選手たちは「日本は明らかに守備的になり、そのおかげでボールコントロールが楽になって、だから2点目が生まれた」と言っています。ベルギーチームには「この点差ならこう戦う」「点差が変わったら戦い方もこう変える」という明確な取り決めがありましたが、日本チームにはそのような「取り決め」がなかったのです。
 さらに吉田選手は「過去にも大きな大会で同じようなこと(リードを守り切れずに逆転を食らったこと)が何回もある」と具体的に(「ワールドカップブラジル大会の初戦コートジボワール戦」「ロンドン五輪の準決勝メキシコ戦」)指摘しています。つまり日本チームは「過去の失敗」からきちんと学んでいなかったようなのです。
 そして「運命の14秒」。コーナーキックを得た日本には二つの選択肢がありました。「ショートパスで時間稼ぎをして延長戦に持ち込む」「ゴール前に蹴り込んで得点を狙う」。チームが選択したのは後者。対してベルギーは、「得点を狙いに来る日本は選手がほとんど前に来ている。ならばその隙を突いての高速カウンターアタックを発動させよう」と準備をします。そして、本田が蹴ったボールがゴール前に届く前に飛び出したキーパーがボールを奪い、そこから(あるいはキーパーがボールをキャッチする寸前から)全員が連動してのカウンター攻撃が発動してしまいました。
 ここでも重要な指摘があります。日本人選手は「がっかりすると一瞬動作が止まる」のです。一瞬視線を落としたりして1秒未満ですが動きが止まりそこで気持ちを切り替えて次の動きを始める傾向がありますが、その「時間の無駄」が致命傷を招くのです。野球でも、打撃でミスをして内野ゴロを打ってしまったら天を仰いで吠えたりバットを地面に叩きつけたりしてから走り出したら、守備がエラーをして、そこで全力疾走に切り替えたけれど結局野手がボールを拾って一塁に送球したためアウトになった(いらないことをせずに最初から全力疾走をしていたらセーフになっていた)なんてシーンを見るのは珍しいことではありません。「自分はがっかりしているんだ」と全身で表現しないと我慢できない人はたくさんいるようですが、そういったアピールは試合中ではなくて試合後にした方が良さそうです。
 私にとって居心地が悪い話題は「意図的なファウル」。きれいなプレイをしてそれで敗戦するのと、イエローカードをもらってでも試合の流れを断ち切ってしまうのと、どちらを選択するか、という究極の場面で、日本文化で育った人間はついつい「きれいなプレイ」を選択してしまうのですが、それで良いのか?という話です。スポーツで人を傷つけるのは論外だし、技術がないから反則で勝負するも論外ですが、反則をしないという自己満足とチームの敗戦とが釣り合うのかと言えば、それは……ああ、私は口ごもってしまいます。

 


長い前置きの価値

2020-02-09 07:31:19 | Weblog

 大したことを言わない人間は、話の前置きが長い傾向があります。だから、長々とした前置きを聞かされている場合、その話は最初から聞く価値が少ない、と判断できます。

【ただいま読書中】『たたら製鉄の歴史』角田徳幸 著、 吉川弘文館、2019年、1800円(税別)

 「日本の製鉄」で有名なのはアニメ映画「もののけ姫」にも登場した「たたら製鉄」で、たたら製鉄で使われる原料は砂鉄です。しかし、実際の日本の製鉄の最初期(弥生時代〜古墳時代)の製鉄炉で使われていたのは、砂鉄ではなくて鉄鉱石でした。日本に製鉄技術を伝えたとされる朝鮮でも、砂鉄ではなくて鉄鉱石を使っていたからそれは当然とも言えるでしょう。採掘された鉄鉱石は拳大以上の大きさでそのままでは製鉄炉に投入できないので熱してから指頭大に砕いて使っていました。そして、鉄鉱石での製鉄が日本で普及したころ、砂鉄の利用も始まっています。
 西日本の初期の製鉄炉は円筒形または楕円形の粘土製で、製鉄が終わると炉を毀して中から鉄(を含む塊)を取りだしていました。だから「炉の遺跡」は破壊された跡しか残っていません。奈良時代に鉄の生産量を増やすために平面図では長方形となる箱形炉が登場、中には長辺が2mに及ぶ大型のものもありました。ただ、大型のものは炉内環境をコントロールするのが難しく、小型炉が人気があったようです。箱形炉に続いて竪形炉(斜面を掘り込んで炉を造る半地下型)が8世紀ころから関東・東北・北陸(と九州の一部)で使われるようになりました。
 律令国家で鉄の主生産地だったのは吉備です。和歌で「吉備」の枕詞である「まがねふく」は、当時の吉備が「鉄の国」であったと人びとに認識されていたことを示します。「出雲国風土記」にも鉄に関する記載があり仁多郡の各郷で製鉄がおこなわれたことを示し、砂鉄精錬の跡も発掘されています。中世には年貢米の代わりに鉄をおさめた荘園がいくつもありますが、それらはすべて中国地方に限られています。中国地方は6世紀〜20世紀まで一貫して製鉄が行われた点で日本では特異な地域です(それにほぼ匹敵するのは陸奥の7世紀〜19世紀で、他の地域はもっと短いか断続的となっています)。その特徴が「たたら」でした。
 「たたら」は古代には「蹈鞴」「多々羅」、平安時代中期には「太々良」と表記され、本来は「鞴(ふいご)」を意味していたようです。室町時代には鉄の生産設備を「たたら」と呼ぶようになり江戸時代には「鑪」「鈩」「高殿」などと表記されました。「たたら」は「高殿(たかどの)」と呼ばれる建物で覆われた「高殿炉」と高殿を持たない「野だたら」とに分けられることがあるそうです。さらに学術的には「地下に防湿施設の床釣りを備えた高殿」「大鍛冶場(錬鉄を仕立てる場)」がそろったものが「たたら製鉄」と呼ばれるそうで、そういった大規模なものが登場したのは17世紀から。私は「たたら製鉄」と言ったら室町時代くらいのイメージを持っていましたが(実際に「たたら」自体は昔からあったのですが)、現在のイメージでの「たたら製鉄」はけっこう最近のもののようです。
 たたら製鉄の特徴は「砂鉄」と「木炭」です。ただ、炭になりきっていない生焼けの木も用いられました。これは不完全燃焼をすることで発生する一酸化炭素が砂鉄(酸化鉄)に対して還元剤として働くことでよい鉄が得られたから、と考えられているそうです。
 たたらが分布するのは主に中国山地ですが、日本海海岸にもずらりと並び、さらには隠岐の島にも存在しています。山のたたらでは、山の伐採が進んで木炭が入手困難になったら炉を移転する必要がありますが、それなら最初から船での大量輸送が可能な島に炉を構えてそこに砂鉄と木炭を大量に送って製鉄をしよう、という発想なんだそうです。同じ発想のたたらは海岸や江の川の沿岸にも存在していました。
 明治になると洋式の製鉄が行われるようになりましたが、海軍は不純物の少ない特殊鋼を求め、砂鉄にはリンなどの不純物が最初から少ないことから、たたら製鉄は海軍のおかげで生き延びました。
 「たたら」と言えば「玉鋼(たまはがね)」がセットで語られることが多いのですが、意外なことにこれは明治以降の言葉で、それも最初は中級の鋼である「頃鋼(ころはがね)」の小さなものを意味していたのが、軍刀の制作を始めるようになってから「最高級の鋼」の意味で用いられるようになりました。
 「日本の伝統」と言っても、あまり無防備に「イメージ」だけで語るのは、気をつけた方が良さそうです。