【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

味覚

2020-02-26 06:49:50 | Weblog

 私たちは、味覚細胞だけで味わっているわけではなくて、嗅覚や視覚、温度や触覚(舌触り)などもフル動員して食べものを味わっています。さらに「言葉」も動員されます。「松阪牛」とか「野菜は○○県産」とか「シェフはフランス帰り」とか聞くだけで「美味しさ」がアップしません? ということは、私たちがもしも「舌」だけで料理を食べたら、そこにはどんな「味」がするのでしょう?

【ただいま読書中】『ペルシア王は「天ぷら」がお好き? ──味と語源でたどる食の人類史』ダン・ジェラフスキー 著、 小野木明恵 訳、 早川書房、2015年、2200円(税別)

 本書は著者の友人夫妻の娘さん(当時7歳)が発した「トマト・ケチャップって、どうしてわざわざ『トマト』が付いているの?」という疑問から始まったそうです。さらに著者の香港出身の友人から「keは広東語でトマト、tchupは広東語でソース」と聞いて著者の疑問はさらに深まります。実は中国で最初に作られた「ケチャップ」は、魚醤でした。それをイギリスやオランダの商人が持ち帰り、材料を魚から別のもの(マッシュルームや胡桃)に変えて味わっていましたが、一番人気がトマトを使ったものでした。それがアメリカに持ち込まれ砂糖が加えられ、現在の「ケチャップ」になったのです。
 「ケチャップ」一つでこれですから、食べものを言語学的に解析する、というのは非常に面白い試みであるという予感がします。実際にそれを実行するのは大変でしょうけれどね。著者に感謝しながら、私は読むことにします。
 まずは「メニュー」。メニューに「高級な言葉(長いスペルの単語)」や「形容詞」「産地」「エキゾチック」「お客さまの好み」といった言葉が使われると、それにほぼ比例して料理のコストは上昇するそうです。ただし上昇するのは「料理の価格」で「美味しさ」とは本書には書いてありません。なお、本当に高いレストランでは、客はメニューから選択する権利を行使できなくなる(シェフに任せることになる)そうです。
 6世紀中頃のササン朝ペルシア帝国の「王の王」ホスロー一世は「シクバージ」という肉の甘酢煮込みが好物でした。この具沢山の料理は人気が高く、それから300年様々な物語で言及され、やがて魚のシグバージも生まれました。13世紀エジプトのレシピでは、魚を揚げて香辛料入りの甘酢ソースをかけています。さらに地中海沿岸に広まるにつれ特にキリスト教徒の住む地域で「魚のシグバージ」は「魚を揚げたもの」を意味するようになりました。名称も料理もバリエーションが豊かになり、フランス語には「アスピック(冷めたシクバージのゼリー状になったスープ)」、スペイン語には「エスカベーチェ」や「衣つき魚(衣をつけて揚げた魚に酢と油をからめて冷たくして食べる)」が生まれます。イベリア半島から「シグバージ」は、新大陸に渡って「セビージャ」になりますが、日本に伝わると「天ぷら」になります。そう言えば「南蛮漬け」の「南蛮」は日本ではポルトガル人のことでしたね。なるほど、これが本書の日本語タイトルになったんだ。
 英語で「乾杯」は「toast」ですが、これは「サイダー(cider)」「シケル(イディッシュ語で「酔っ払い」shikker)」と語源でつながっています。そもそも「toast」の語源はラテン語の「tostare(焼く、火で炙る)」です。そして本来の「toast」は「火で炙ったパン」ですが、17世紀くらいまでワインやエールにトーストをひとかけら入れて飲む習慣がありました。また「誰かの健康を祈っての乾杯」が17世紀のイギリスでは盛んに行われ、その「誰か」に選ばれた貴婦人はワインの中のトーストにちなんで「社交界のトースト」と呼ばれるようになりました。ここから話は後期ラテン語の「sop」に飛び、世界のあちこちを移動してから「献酒」の習慣についても教えてくれます。時空間と言語の世界の特急旅行です。ちょっと目まぐるしいけれど、楽しい旅です。
 「デザート」の章も面白い。「コース」とか「デザート」の概念があるのは、古代ペルシア料理や中世以降の欧米の料理、そういった概念がないのは古代ギリシア料理や中国の料理。アメリカで中華料理も「デザート」を出すようになりましたが、そこに「日本」が一役買っている、なんて面白い指摘もあります。