もしも泉の女神様が「お前が落としたのは、この『金でできた鶏』か、それとも『金の卵を産む雌鶏』か、ただしこの雌鶏は老齢だが」と言ってくれたら、どう返事をするべきでしょうか。
【ただいま読書中】『青い薬』フレデリック・ペータース 作、原正人 訳、 青土社、2013年、2400円(税別)
若いときから知っていた女性、知らないうちに結婚して子供を産み、そして離婚したカティ。彼女は(息子も)HIV陽性でした。そしてフレデリックはカティと恋に落ちます。二人がうまくいくことは最初からわかっていました。ただ、どううまくいくのかはフレデリックにはわかりません。
カティとの関係、チビ(カティの息子)との関係、自分の両親との関係、そして、二人のHIV。チビの未来、カティの未来。
そして“それ"は自分の未来にもなってしまいます。セックスの最中にコンドームが裂けてしまったのです。医者は親切に、そして詳細に二人に説明をしてから言います。「ようこそ、エイズの世界へ」。この医者が、いらつくこともあるし余計なことを言うこともあるが、二人にとって実に有能な“パートナー"となります。
そうそう、白いサイやマンモスも重要な“登場人物(?)"です。
一日一日を“驚きながら"過ごしていた著者は、自分の生活を本にします。それが本書です。欧米の漫画は、日本のに慣れた身にはちょっと取っつきにくいものですが、ゆったりと、そして行ったり来たりして読むと、はじめは「個人の未来」「二人の関係の未来」だったものがいつのまにか「家族の未来」に変容(成長?)していったことがわかります。もしかして、多くの人が作者と同じように自分の(そして自分の周りの人の)未来を考えることができたら、人類の未来はもう少し明るいものになるのかもしれません。
「離接的判断」……つかず離れずの判断
「接近」……近いような接しているような
「望遠接写」……レンズが近いような遠いような
「接触」……触を接する
「接客」……客に接触する
「接遇」……接をもって遇する
「官官接待」……官と官が接しながら待っている
「常時接続」……常に接触が続く
「点接」……点で接する
「溶接」……溶けて接する
「継ぎ接ぎ」……継いで接いだ状態
「木に竹を接ぐ」……ハイブリッド接ぎ木
「踵を接する」……気をつけ!
「予防接種」……種が接することを予防する
【ただいま読書中】『罪人を召し出せ』ヒラリー・マンテル 著、 宇佐川晶子 訳、 早川書房、2013年、3000円(税別)
「天国の聖人たちの仕草が見えそうなほど晴れ渡っている」空の下、ヘンリー8世とトマス・クロムウェルたちが鷹狩りをするシーンで本書は始まります。クロムウェルは、自分の亡き妻やなき娘の名前をハヤブサにつけていました。つまり、空から「死」が舞い降りるシーンが本書の幕開けなのです。
しかし、トマス・クロムウェルが主人公とは、なかなか斬新なアイデアです。鍛冶屋の息子から成り上がったヘンリー8世の寵臣ですが、歴史上そこまでのビッグ・ネームではありませんよね。これが清教徒革命のオリヴァー・クロムウェルだったら“見栄えのする主人公"なのですが。
王妃キャサリンとの離婚を望むヘンリー王は、ローマ・カトリックでは離婚が認められていないため、イングランドの宗教家改革を断行し、キャサリンを幽閉、アンと結婚します。
わがまま一杯の国王、イングランドより生国の利益を優先する王妃、王の寵愛をバックに好き放題の寵臣たち、迫り来る飢餓、イングランドと対立するヨーロッパ諸国とカトリック教会……クロムウェルの頭痛の種は尽きません。そんなこんな状況の中、クロムウェルは、貴族からは軽蔑され、ジェントルマンからも軽蔑され、家族からは敬愛されながら、“泳ぎ"続けます。
王は“次の王妃"を夢見ます。クロムウェルは王のため、そしてイングランドのために最善と思われる道を進みます。それはたしかに王とイングランドには利益をもたらすでしょうが、感謝されることの少ない道でした。アンはロンドン塔に幽閉されます。容疑は不明瞭ですが、クロムウェルの立場からは明瞭でした。「国家に対する反逆」です。さらにクロムウェルには別の動機もありました。自分を育ててくれた“師匠"である枢機卿が殺されたことへの復讐です。
しかし、あちらを立てたりこちらを立てたりの微妙な調整をするために、クロムウェルは泥沼の中に論理と分別のお城を組み立てようとします。すべての状況が曖昧なまま、公開裁判が行われ死刑が執行されます。まあこれが政治だよね、とは思いますが、私にはとてもつとまらない任務だなあ、とつくづく思います。
印象的な文体です。文章は短く秘めやかな描写が続くのですが、省略が多く会話は途中でぷつんと途切れて次の場面がすぐに始まります。たとえばこんな感じです。
》「でも、刑執行の延期の可能性はまだあるんでしょう?」「もちろん」これ以上はなにも言いたくない。誰かがエールのグラスを渡してくれた。彼は口元についた泡を拭う。
小説だけではなくて、人生もまた、こういった「中途半端に描写された場面や中途半端になった会話」が“ピース"としてばらばらに並べられ、その間を人の想像力が埋めることで成立しているものなのかもしれません。それだけ省略を多用しても、本書は500頁以上。著者はよく書いてくれました。人生はもっと長いんですけどね。
式の間は仕事をしていませんね。
【ただいま読書中】『図説 世界史を変えた50の機械』エリック・シャリーン 著、 柴田穰治 訳、 原書房、2013年、2800円(税別)
トップバッターは「ジャカード織機」です。パンチカードをセットしたらその通りの模様を自動的に織り上げるという革新的な「プログラム」機械です。ただ、本書に登場する機会の多くと同じく、「個人のひらめきでゼロから作られたもの」ではありません。ジョゼフ・マリー・ジャカールは、古くからある足踏み織機などを土台として改良し、ジャン・ファルカンが初めて織機に組み込んだパンチカードも改良し、結果として“オリジナル"の「ジャカード織機」を誕生させています。
2番目はロバーツ旋盤。「道具を作る道具」です。このあたりでは、産業革命で登場した蒸気機関などが次々登場しますが、私が喜んだのは、バベジの階差機関です。このディファレンシャル・エンジンは、そのものでは歴史を変えませんでしたが、その遠い子孫が文明を大きく変えてしまいました。
ライノタイプは日本人にはなじみが薄いのですが、タイプを打つと同時に金属活字を鋳造する機械です。フレデリック・ブラウンがこれを使っていくつか魅力的なショート・ショートを書いていますね。
電信、電話、映画、機関車、自転車、自動車……たしかにどれも重要な機械ばかりです。そして、電子顕微鏡と自動洗濯機に挟まれて登場するのが、V2ロケット。なんでこんな順番ですか?
日本製のものが一つありました。ソニーのウォークマンです。ここで重要視されているのが「音楽を携帯するというユーザーの行動に関する新しいコンセプト」と「余分なものは徹底的に省く設計コンセプト」です。近年のアップルがそれを受け継いで成功しているように見えますが、ソニーはどうして路線を変更してしまったんですかねえ。
それと、日本人(日本企業)が関係した「世界史を変えた50の機械」を選んだら、どんなラインナップになるのでしょう? ちょっと気になります。
大間のマグロが、昨年は1億5000万円だったのが、今年は20分の1ですって? まあ、それでも“けっこうなお値段"なんですけどね。ところで、日銀は「昨年より2%のアップにするべきだ」と文句を言わないのでしょうか。
【ただいま読書中】『ネジマキ草と銅の城』パウル・ビーヘル 著、 野坂悦子 訳、 村上勉 画、福音館書店、2012年、1800円(税別)
千年の命をもつ王も、心臓のゼンマイがほどけ、寿命はあと一週間とまじない師は見たてます。心臓のゼンマイを巻くことができる薬草ネジマキ草を得るためには何日もかかる旅が必要です。ただ、王が寝る前に胸がわくわくする物語を聞かせれば、一日分は心臓のゼンマイをまき直すことができます。
まじない師は「旅の途中で『王に物語を語ってくれ』と出会ったものに頼みながらネジマキ草を取ってこよう」と銅の城から旅立ちます。銅の城に住むのは、王とノウサギだけ。ノウサギはすでに手持ちの最後の物語を6年前に王に語っていました。もしまじない師が誰にも出会わなかったら、出会ってもその者が銅の城に来てくれなかったら、まじない師が帰ってくるまでに王の心臓は止まってしまいます。
スリリングなオープニングです。
そして、ノウサギの願いに応えて、城を訪れるのは……オオカミ、リス、砂丘ウサギ……次々動物がやって来て話をするとは、「セロ弾きのゴーシェ」ですか? 恐い話、愉快な話、悲しい話……王は一日ずつ生き延びます。でも王は「もうすぐ自分は死ぬ」と言って動物たち(特にノウサギ)を悲しませます。
カモ、ヒツジ、ハナムグリ……動物たちのお話は続きます。王の心臓を止めないために。まじない師は苦しい旅を続けます。
ライオン、マルハナバチ、ドラゴン……少しずつ少しずつ、動物たちが話すお話が、王の心の中で一つの世界を構築し始めます。集まった動物たちが訪れる銅の城の各所で、少しずつ“城の秘密"が明らかになっていきます。
町ネズミと畑ネズミ、ツバメ、あわれなロバ……まじない師の旅はまだ終わりません。果たしてネジマキ草を無事入手できるのでしょうか。手に入ったとして、王が亡くなる前に戻ることができるのでしょうか。そして、小人が「失われた物語」を城にもたらします。
本当に巧妙な仕掛けが施された本です。一歩間違えたら無秩序な寓話集になるところを、実に見事に収束させているのですから。でも、単純に“種明かし"はしてくれません。読者は動物たちの「お話」とそれに対する「王の反応」を“ピース"としてジグソーパズルを組み立てなければなりません。隙間がやたらと多いパズルですが、そこは自分の想像力で埋めるのです。
そして、最後の物語が始まります。
「枠物語」の形式をここまで生かし切った本は珍しい。児童書ですが、子供だけのものにしておくのはもったいない。本好きは年齢関係無しに読むべし、と強く主張しておきます。
(N)泊(N+1)日
ホテルや旅館に泊まる場合「一泊分」の料金は払いますが「二日分」は払いません。連泊したら2をかけての「二泊四日」ではなくて「二泊三日」の「二泊分」の料金となりますがやはり「三日分」は払いません。なんだか計算が合わないような気がします。
【ただいま読書中】『ハリウッド検視ファイル ──トーマス野口の遺言』山田敏弘 著、 新潮社、2013年、1500円(税別)
ロサンゼルス地区検視局でマイケル・ジャクソンの検死解剖がおこなわれるシーンで本書は始まります。
アメリカの検視局は、解剖をするだけではなくて、死体の発見現場の捜査も行います。警察は、死体は直接は扱いません。その捜査権は検視局にあるのです。検視官は、死亡診断書の作成・法廷での証言なども行いますし、事件性がない場合には遺族への死体の引き渡しも行います。
検死制度が生まれたのは1194年イングランドです。プランタジネット朝のリチャード一世は十字軍遠征で捕えられ、身代金を払うために死体にまで税金をかけました。その税金を扱い不審死が殺人か自殺かなどを探る役人が「コロナー(検視官)」です。この制度はアメリカにも持ち込まれ、1912年にマサチューセッツ州で医者をコロナーと定める法律が成立しました。これが現代のアメリカ検視官制度の始まりです。
1963年トーマス野口が登場し、検視官の認知度が高まります。野口がモデルのドラマ「ドクター刑事クインシー」によってメディカル・イグザミナーやコロナーがマスコミで取り上げられるようになり、90年代には「Xファイル」「CSI」がヒットします。
野口は病理専門医の資格を持ちアメリカの大学の助教授にもなっていました。それがロサンゼルス検視局で一番下っ端の助手から検死官のキャリアをスタートさせたのです。当然実力はピカイチ。だから、62年にマリリン・モンローが死んだとき、検視局長がその解剖を命じたのは一番下っ端の野口でした。死因はすぐに特定できました。睡眠薬の過剰摂取。血液分析で致死量を超える睡眠薬が検出されたのです。しかし、自殺か他殺か事故かは分かりません。そこで世界で初めての「心理解剖」が行われました。関係者から広く聞き取り調査をして、生前のストレスなどについて解析をするのです。それによってマリリン・モンローには「境界性の被害妄想人格」という診断がついていたこと、自殺未遂の既往があること、彼女の人生が行き詰まっていたこと、がわかります。こうして検視ファイルは「自殺」で閉じられましたが、「陰謀説」が浮上して野口はそれに巻き込まれることになります。赤狩り、ケネディ兄弟、FBIによるマリリン・モンローの監視、マフィア……当時の「アメリカ」がその「陰謀説」には書き込まれています。
野口は1927年福岡で生まれました。医学生として終戦を迎えた野口は、横須賀のアメリカの海軍病院の図書室に出入りして、アメリカへのあこがれを膨らませます。インターンをしながらアメリカ各地の病院と直接交渉、ついにカリフォルニアのオレンジ・カウンティ総合病院のインターンの地位をゲットします。52年のことでした。英語の壁、医学の違い、病院システムの違い、肺結核の罹患などを乗り越えてアメリカの医師免許を取得し、臨床と病理の二本立てで野口は仕事をします(日本でも医学と法学の両方を勉強していたことを見ると、人の倍の人生を生きるタイプの人のようです)。
野口は40歳でロサンゼルス地区検視局の局長になります。しかしそれは新たな戦いの始まりでした。事件との戦いだけではなくて、強い人種差別との戦いもあったのです。まずは大事件が。ロバート・ケネディの銃撃です。実はJFKの時に、死体がワシントンにすぐに運ばれてしまい捜査がめちゃくちゃになった、という“前例"がありました。これは「検視は現地で」の原則に抵触する事態だったのです。そこで野口は、慎重に(本来は不要のはずの)根回しを行い、病院に収容されたロバート・ケネディが死亡した場合にはロサンゼルスで検死解剖をすることの承諾を取り付けます。この事件がすんでから、野口は「日本人(日系人)差別」の対象として非難の嵐にさらされることになります。いやあ、アメリカの負の面がみごとに噴出しています。
マンソン・ファミリーによるシャロン・テートらへの殺人、ジャニス・ジョプリンの死(麻薬の売人がふだんの10倍量のヘロインを売った結果です。ちなみに彼女と同じ日に同じ売人から購入した8人が死亡しているそうです)……有名人のことについ注目をしてしまいますが、野口の仕事の本領は、日常的な無名人の死にあるでしょう。そこでどのくらいきちんとした仕事をするか、それが「プロの腕の見せ所」のはずですから。
昔だったら「快男児が渡米して世界を変えた」という表現になるかもしれません。ともかく、なんともすごい日本人がいたものだ、と思います。同時に、この人が日本にとどまっていたらここまで“大きな仕事"ができただろうか、とも。こういった人を受け入れてともかく仕事をさせたアメリカはやはり“すごい国"だったのではないかな。
見張りを見張るのは誰か、ということばが古くからありますが、秘密を守らせる人に秘密を守らせるのは誰なんでしょうねえ。
【ただいま読書中】『維新政府の密偵たち ──御庭番と警察のあいだ』大日方純夫 著、 吉川弘文館、2013年、1800円(税別)
権力者が入手したい機密情報の代表は公安情報です。ところで明治政府が警視庁と内務省警保寮(のちの内務省警保局)を設置したのは1874年(明治7年)です。では、それ以前の情報収集はどこが担当していたのでしょうか。つまり「御庭番と警察をつなぐものがあったのか」「あったとしたらそれは何か」が本書のテーマです。
著者は、大隈重信が残した「大隈文書」の中に「監部」の記述がいくつもあることに気づきます。そして「監部」が隠密警察であることを知ります。さらに浮かび上がってきたのが、日本で最初にプロテスタントの洗礼を受けたという熊本藩の「荘村省三」という人物です。明治維新の裏側でそれなりの活躍をしていた彼は結局棄教をし、不平士族の動向を探る密偵となっていました。関信三(安藤劉太郎)は偽装入信をしてキリスト教の動静を探るための密偵でした(なお関信三は密偵から足を洗った後、日本の幼稚園教育の先駆者となります)。
明治政府は人心が動揺しているため、律令制で置かれていた弾正台を1869年に復活させました。弾正台の任務は、旧幕府側の残徒や政治的な陰謀者の摘発でした。2年後に弾正台は廃止されましたが、陰謀・暗殺が横行したため「監部」が置かれ、大隈重信がその長となりました。監部の主任務は、官吏本人の行状や官吏の家庭の様子の探索でした。そこで働く密偵は、三職(太政大臣、納言、参議)直属とされます。中央と地方の役人の動向監視が、政権安定のためには必須だという認識だったのでしょう。
1874年には「時態人情ノ変遷ヲ速知」すること、つまり社会情勢や国内状況の偵察が監部の任務とされます。
なにしろ「秘密」を扱う部署ですから、公開情報はそれほど豊富ではありませんが、残された史料を見ると「官吏の動向を知る組織」そのものもまた「官僚組織」であったことがうかがわれて、ちょっと笑えます。
潜入捜査も行われています。役所へは偽名を用いて潜入しますし、キリスト教会へも密偵が潜入しています。宣教師たちの活動を密偵は危ぶみ、偽装洗礼まで受けて報告書を上げ続けますが、信者は増え続け、政府は外国の圧力に負けてキリスト教の禁教を解きます。「異宗徒掛諜者」の存在意義は失われてしまったのでした。地方でも密偵は活躍します。士族層の動向、県の統治状況、四民の状況などを探り中央に報告します。そういえば当時は「ひどい県令の免官」なんてことがけっこう行われていましたが、密偵の報告もその一助になっていたのかもしれません。
やがて密偵組織は廃止されます。その活動は警察に吸収され、反政府運動の内部に潜入して探索する隠密警察は「国事警察」と呼ばれました。西南戦争前後から反政府運動(特に自由民権運動)内部への潜入捜査は、監部の密偵から警察配下の密偵の仕事になります。警視庁の中で国事警察を担当したのは内局でした。その“活躍"は、国立公文書館の密偵報告で読めるそうです。1885年に国事警察は高等警察に呼び名を変え、さらにのちの特別高等警察、さらには戦後の警備公安警察に引き継がれていくことになります。
そういえば「密偵」というとなんだかいかがわしい響きですが「秘密探偵」というとなんだか格好良いですね。
高速道路で「15kmの渋滞」にはまったとき、「こんなにとろとろ進んでいたら、注意力が散漫になりそうだ」と言ったら、「だったらふだんは6万?」と言われました。我が子ながらこんな突っ込みをしてくれるとは、嬉しいような悔しいような。
【ただいま読書中】『生活に溶けこむ北欧デザイン』萩原健太郎 著、 誠文堂新光社、2008年、1800円(税別)
まずは「北欧を代表する10人のデザイナー」がまとめて紹介され、それからデンマーク・スウェーデン・フィンランド・ノルウェー各国のデザイナーと企業が次々紹介されます。「これが“北欧デザイン"の典型」というものがあるのかどうかは知りませんが、なかなか魅力的なフォルムの作品が次々登場して、目を飽きさせません。
本書で特に私が興味を持ったのは「椅子」です。ソファにしてもチェアにしても、まあこれだけいろんなデザインができるものか、と感心します。感心するだけではなくて、実際に座ってみたくなります。現代美術館とか工芸技術館だったらこういった椅子が並んでいそうですが、いっそ「近代的な椅子専門の博物館」なんてものがあっても面白そうですね。
「まるで地獄絵のようだ」とは言いますが、「まるで極楽絵のようだ」とは言いませんね。この世は結局地獄のようなもの?
【ただいま読書中】『わらの女』カトリーヌ・アルレー 著、 安堂信也 訳、 創元推理文庫、1964年(97年64刷、2006年新版)、800円(税別)
ハンブルクの爆撃ですべてを失い戦争で青春をめちゃくちゃにされた34歳のヒルデガルデは、貧しい生活からの脱出を夢見て、新聞の求縁広告に応募します。名前も明かさず姿も見せない大富豪にヒルデはカンヌに招待されます。
ホテルで腹の探り合いが続きます。ヒルデの側は話が簡単です。目的は貧乏からの脱出。しかし、大富豪の側は、一体ヒルデに何を求めているのでしょう? ヒルデはそれを探ろうとします。相手を怒らせて話が潰れてしまわないように慎重に、しかし率直に。示されたのは、ちょっときな臭い条件でした。でも、違法行為ではありません。
大富豪のリッチモンド、その秘書アントン・コルフ、そしてヒルデの間で、複雑で微妙なやり取りが続きます。このあたりは、サスペンスと言うより心理劇のようです。サスペンスも心理劇の一種なのかもしれませんが。
ヒルデは首尾良く結婚します。そして、夫の急死。さあ大変です。まだ遺言状は書き換えられていないのですから。ヒルデは財産を手に入れるためにじたばたとし、そして夫殺害容疑で逮捕されます。そしてそこから、ヒルデを心理的に追い詰めるさらなる追及の手が。
極上のクライム・ノベルです。私はもうすれっからしの本読みになってしまっているので、今だったらストーリーをもう一ひねりか二ひねりしたくなりますが、50年前の世界にはこれで十分衝撃的だったはず、というか、十分以上に衝撃的でした。そして、意外なことに今でもけっこう楽しめます。未読の方はぜひ楽しんでください。
「探検」……検を探る
「私立探偵」……個人が立って偵察機を探す
「電探」……電子探偵の略
「超音波探傷法」……毛を吹く代わりに超音波を使ってみました
「草の根を分けてでも探し出す」……超音波はたぶん使えない
「探り箸」……箸に目はついていない
「露探」……露わになった探偵
「あら探し」……魚のあらを探す
「鉦太鼓で探す」……うるさい捜索隊
「痛くもない腹を探られる」……早期発見
【ただいま読書中】『柿渋』今井敬潤 著、 法政大学出版局、2003年(05年3刷)、2800円(税別)
この手の本(と言ったら失礼になるかもしれません)が三刷までいくとは、それだけでちょっと嬉しくなってしまいます。
「柿渋」は、未熟な渋柿を潰し圧搾して得た液を発酵させて造られた褐色の液体です。その製造法や利用法については、中世からぼちぼちと文献に登場していますが、しっかりした文献がそろうのは近世になってからです。
柿渋には強い防水効果があるため「柿油」とも呼ばれました。漁網や釣り糸を長持ちさせるためにタンニン染めがおこなわれましたが、ここで柿渋の出番です。本書には「四百尋の地引き網を染めるためには青柿が1.5トン必要」という試算があります。昔は自家製でしょうから、漁業を維持するのは大変です。なお、柿が入手困難な地域では、カシワやシイ、あるいはヤギの血液などが用いられています。
「渋下地」と呼ばれる、漆塗りの下地に柿渋を使う手法もあります。素地に漆が過度にしみこむことを防止して高価な漆を節約でき仕上げは堅牢になるそうです。
布の染色にも柿渋は用いられました。江戸時代には「柿衣」と呼ばれ酒屋の手代などのお仕着せに用いられたそうです。「平家物語」にも「柿の衣」が登場するので、おそらく鎌倉時代には柿渋染めがあったのではないか、と著者は推定しています。なお「日葡辞書」に「渋染」がありますが、文献上はこれが最古の出典だそうです。(『全国アホ・バカ分布考 ──はるかなる言葉の旅路』でも「日葡辞書」は重要な役割を果たしていましたが、古い辞書って、本当に貴重なものなんですね)
柿渋を接着剤として用いて作られた厚紙を「渋紙」と呼び、行商人などが丈夫な包装紙として重宝しました。風合羽・染色用の型紙など柿渋と紙の相性は良いものですが、やはり「和傘」を忘れてはいけないでしょう。それと(七輪の火をあおぐのに使う)渋団扇。これは丸亀団扇が有名ですが、使う柿渋は対岸の尾道産だそうです。
木造住宅の防腐目的で、外壁や板塀に柿渋を塗る工法もありました。渋塗りと呼ばれ、昭和の初期まで日本では広く行われていたそうです(やがてペンキ塗装にかわっていきました)。
ちょっと変わったところでは「風船爆弾」。こんにゃく糊に柿渋が混ぜられて接着力を増していたそうです。
民間薬としても柿渋は用いられていましたが、毒蛇に噛まれたときにすぐに柿渋を塗るというのは、どうも医学的根拠があるもののようです(少なくともタンニンは蛇毒と結合します)。一度体内に入った毒を中和するのは困難でしょうが、もしかしたらそれで助かった人もいるかもしれません。
「渋柿」と言えば、私は一度かじって口が曲がったことがありますが、つるし柿とか干し柿のためのものと思っていました。しかし「日本の産業」に非常に大きな役割を果たしていたことを本書を読んで知ることができました。だからこそ日本中にあれだけの渋柿が植えられているわけです。「ブラジルの熱帯雨林に新しい遺伝子を探しに行く」のも良いですが、“足許"に活用されていないせっかくの“資源"があるわけです。なにか新しい活用法が見つかったら良いんですけどね。