今、讀賣ジャイアンツの若手だけが問題とされていますが、若手だけなのか、ジャイアンツだけなのか、なんてことも思います。“上の方”では適当なところで問題を終了させたいところでしょうが。
そういえば大相撲でも野球賭博が問題になったことがありましたね。あれ、ちゃんと解決したんでしたっけ?
【ただいま読書中】『巨人軍の巨人 馬場正平』広尾晃 著、 イースト・プレス、2015年、1852円(税別)
表紙の写真は、ダイナミックな投球フォームのピッチャーのアップです。『巨人の星』の星飛雄馬のように脚が天を指すように伸ばしてびゅんとほぼ垂直に振り上げられています。で、ジャイアンツのユニフォームをまとったその顔は、若き日のジャイアント馬場。
ジャイアント馬場がプロレスラーになる前はジャイアンツのピッチャーだった、というのはけっこう有名な話ですが、では実際の所どの程度の選手だったのか、はあまり知られていません。本書は、馬場正平の出身地新潟県三条市から話を起してプロレスラーになるまでの人生について語っています。
小学校入学時、馬場正平は小柄でした。しかし、脳下垂体腺腫が成長ホルモンを過剰に産生し、そのため馬場は巨人症になってしまいます。巨人症になった人は、世間の好奇の目にさらされ、引きこもったりうつ病になったりする人がいます。しかし馬場は近所で評判の孝行息子だったせいか、地域でのびのびと生きていたようです。
かつて巨人症になった人が生きる道は「見世物」でした。欧米だと見世物小屋ですが、日本だと相撲です。江戸時代の番付には「看板」と呼ばれる「取り組みはしない力士(つまりは見世物)」が存在しています。著者の調査では、そこに巨人症の人が多くいるそうです(巨人症の人は、下垂体腺腫が視神経を圧迫するため視野が狭くなり、成長ホルモン過剰の影響で運動能力(敏捷性)が落ちるため、あまり格闘技には向いていません)。しかし馬場は「アスリートタイプの巨人」だったせいか、スポーツが得意、特に野球が大好きでした。
中学生の時にモルモン教の宣教師と出会い、馬場はモルモン教に入信します。冬の五十嵐川に全身を浸しての洗礼は大変だっただろうと思いますが、彼の内面に何かそれを求めるものがあったのでしょう。のちに彼は信仰から離れますが、モルモン教は入るも出るもわりと自由、という“ゆるい宗教”で、かえってモルモン教へのシンパシーを馬場はずっと持ち続けていたようです。
野球をやりたくて三条実業高校工学科に進学。ところが足に合うスパイクがなくて断念、って、本当ですか? バスケットボール部からの勧誘もありましたが、こちらも足に合うシューズがなくて断念。しかたなく美術部に入っていたそうです。大相撲は盛んに勧誘しましたが、馬場は相撲は嫌いで、スカウトから逃げ回っていたそうです。野球部監督が馬場の才能を惜しんでスパイクを特注してくれ、2年で野球部に入ることができ、初めて硬球を握ります。直球しか投げられないのにすぐにエースになり、春の大会に出場。それまで弱小校だったのに、なんと決勝まで進んでしまいます。夏の甲子園地方予選は1回戦で敗退。そこにプロのスカウトが声をかけます。条件は支度金20万円・初任給1万2千円。巨人軍の基準では最低ランクですが、馬場からしたら見たことがない大金です。球団としては、1951年からの連覇が「3」でストップし、世代交代が迫られている時期なので、若い選手をとりあえず拾っておこう、ということだったのでしょう。55人の球団で54年になんと20人も新人を獲得しているのです(その中には国松彰、森昌彦などが含まれています)。
当時の讀賣巨人軍では「一軍選手」と「二軍選手」は「別の階級」でした。馬場は当然のように二軍です。その二軍でも、馬場の評価は高くありませんでした。中学から野球経験があるにしても、強豪校で揉まれたわけではありません。硬球を握ったのは3箇月だけ。スカウトは「巨体ゆえの可能性」に賭けたのでしょうが、足腰が弱くて敏捷性にも欠けているので、基礎から鍛える必要があります。著者が記録を見た限り、初年度に登板したのは3試合だけです。6回2/3を投げて自責点2、勝敗はつかず、でした。
2年目には、二軍監督になった藤本英雄をはじめとして錚々たるメンバーが熱心に馬場を指導します。巨体だけではなくて、素直な性格が愛されたのかもしれません。カーブも覚え、登板試合が増えます。「よし、これから」と思ったところで、馬場は文字通り目の前が真っ暗に。下垂体腫瘍によって視力が急激に低下したのです。馬場は手術を決心します。当時「脳の手術」は「死を覚悟して受けるもの」でした。手術を受けた人の、3~4人に1人は死ぬか重大な後遺症が残る時代だったのです。幸い手術は成功。9日後には退院し、3度目のキャンプインを迎えます。手術の後遺症もなく、球速が増し、3年目のシーズン(二軍戦)では4~5日ごとに登板するようになります。結局57年は(記録で確認できる限りでは)17試合に登板して4勝2敗でした。そこでついに一軍に。初登板は敗戦処理でしたが、阪神相手に好投します。そして、優勝決定の翌日、若手主体の先発メンバーで馬場は先発を命じられます。200勝がかかる杉下茂相手に好投しますが、なぜか5回にあっさり交替。チーム内の派閥争いが影響しているのではないか、と著者は推定しています。
58年、長嶋茂雄が巨人軍に入団します。マスコミは大騒ぎをします。しかし馬場は「二軍のヒーロー」という扱いでした。地方のファンがつき「客が呼べる選手」になっていたのです。成績も良いものを残します。しかし一軍に呼ばれることはありませんでした。59年には王貞治が入団。馬場は王のバッティングピッチャーを率先して務めます。しかし、身長と体重はどんどん増え、右肘や右肩を痛め、プロ野球選手としてはもう限界でした。自由契約となり、テストに合格して大洋に移籍。ところが浴室で転倒して大怪我をし、左肘の腱が切れてしまいます。怪我はすぐに治りましたが、 馬場は野球そのものをあきらめることにします。そのとき週刊文春から受けたインタビューの誌面が掲載されていますが、著者と同じく私が意外に思うのが、馬場の表情の明るさです。
力道山に入門し、レスラーになってニューヨークを歩いたとき「身をすくめて歩かなくても良いこと」「特注でなくても服や靴が手に入ること」がとっても幸福だったそうです。馬場はやっと「自分自身(巨体)を生かす職業」に出会えたのです。
さしかかった交差点で、青信号をスムーズに通過できたときには特に意識しませんが、赤で止められたら「やれやれ」などと思って青信号の時よりは強く意識します。それが繰り返されると「やたらと赤で止められる」なんて思うようになります。
そこで、実際にどのくらい自分が赤信号に遭遇するのか、ちょっと数えてみることにしました。あまり数が多いと数え切れないので、自宅から郊外のある地点まで10kmの行程で、行きに8つ、帰りは7つ信号がある経路を選択。信号での右折は一箇所だけです。すると、行きでは赤が7つ・青が1つ、帰りは赤が6つ・青が1つでした。統計的になにか言えるほどのサンプル数ではありませんが、なんだか赤の方がやたらと多くありません? 車は走っているよりも止まっている時間の方が長いんじゃないかしら。
【ただいま読書中】『ブチハイエナ(下)』H・クルーク 著、 平田久 訳、 思索社、1977年、1800円
ハイエナ特有の体型や体構造はその社会行動と密接な関係があります。首と上体は頑丈でよく発達しており、大きめの肉塊を加えて走るのに向いた機能と構造をしています。外性器は雌雄でよく似ています(雌のクリトリスは雄のペニスにそっくりで勃起もするし、繊維組織で満たされた陰嚢にそっくりの二つの膨らみも持っています)。成熟した雌は雄よりも大きくなるので区別ができますが、未成熟の場合外見から雌雄の区別をすることは困難だそうです。ハイエナどうしが出会ったときに、この勃起が重要となります。出会いの儀式として、お互いにまず相手の頭や顔をかいだ後、つぎに相手の生殖器をかいだりなめたりするのですが、その時ペニスもクリトリスもしっかり勃起しているのだそうです。仔と成獣の間でもこの儀式は頻繁に行われますが、仔のペニスやクリトリスも成獣とほぼ同じ大きさだそうです。儀式のために発達しているのかな? 「お互いの体をできるだけ近づける」「お互いの武器(歯)を意識させない」を両立させるための儀式ではないか、と著者は考えています。そしてハイエナは群れを作りますが普段は単独行動も多いから、お互いの関係を再結合させることが重要になっているのだろう、という推察を述べています。すると、群れの中で一番不安定な立場にある仔が積極的にこの儀式に参加しなければならないわけもわかります。
社会的行動として「匂いづけ」があります。草の茎を倒しながら跨いで進み、その茎に肛門線からの分泌物(人間でもわかる悪臭だそうです)を塗りつけます。これは縄張りを示す行為ですが、攻撃的な気分になっているときにも肛門線が膨れあがるそうです。
子育てでハイエナに特徴的なのは、仔は巣穴にずっといて乳だけで育てられることです。肉食動物でよくある吐き戻しでの給餌は著者には観察できませんでした。ハイエナが吐き戻すのは、消化できなかった毛や骨片の塊だけですから、これは仔のエサにはならないようです。雌は自分の仔にだけ授乳します。巣穴と狩り場が遠い場合、仔は空腹になりますし母の乳房はぱんぱんになって、どちらもしんどい思いをしているようです。他の成獣が巣穴に近づくと、仔は穴に逃げ込み、母は相手を追い払います。この「保護」は、共食いをする習性があるハイエナには絶対に必要なもののようです。そのとき「雌の方が雄よりも大きい」ことも重要です。
ハイエナは、水泳が好きで木には登りません。あまり「ネコ」らしくありません。遊びは大好きで、ハイエナ同士でふざけあったり、あるいは他の動物(たとえばサイやライオン)にもちょっかいを出して遊びます。そして、そのなわばりをめぐる行動から著者が連想するのは「人間のなわばり行動」です。出会いの儀式とかなわばりをめぐる闘争とかに、人とハイエナはけっこう似たことをしているのだそうです。そんなことを言われたら、人もハイエナも不本意な思いかもしれませんが。
私が子供の頃に見ていたディズニーアワーなどで紹介される「アフリカ」で、ライオンは百獣の王であり、ハイエナはライオンなどの食べ残しをこそこそと食べる「軽蔑されるべき腐肉あさり」でした。当時の私は進化論も生態学も知りませんからそんなものか、と思っていましたが、今は違います。腐肉あさり専業で種の保存ができるのか?という疑問は持ちますし、そもそも腐肉あさりが軽蔑されることか、にも疑問を持ってしまいます。だって「百獣の王」ライオンだって、他の肉食獣が倒した獲物を横取りしに行きません? というか、食物連鎖に貴賤の価値観は似合わないような気がします。食えるものは何でも食って種の保存を図るのは当然の行為ですから。食えるものでも平気で捨てる人間が異端なんでしょう。
【ただいま読書中】『ブチハイエナ(上)』H・クルーク 著、 平田久 訳、 思索社、1977年、2300円
1964~68年にセレンゲティ国立公園とゴロンゴロ火口でブチハイエナの行動を追い続けた動物学者のレポートです。
今から半世紀くらい前、アフリカは「開発」によって野生動物が住みにくくなっていました。その個体数を人為的にコントロールする必要も言われるようになっています。そんな時代に「肉食獣による個体コントロール」を研究することは「時代の要請」だったのです。
ハイエナには、著者が研究したブチハイエナ以外に、チャイロハイエナとシマハイエナがいます。この時代、イヌ上科とネコ上科は別のものでしたが、著者は「ハイエナはジャコウネコ科と類縁がある」と述べています。イヌ上科とネコ上科は今はネコ目(食肉目)にまとめられていますが(で、ハイエナ科はイヌ亜目ではなくてネコ亜目に入っています。あらら、ハイエナってネコだったんだ。下巻に系統図がありますが、中新世にハイエナ科はジャコウネコ科から分岐しているように描いてあります)、若い頃に刷り込まれた知識があるせいで、私はどうも「ネコ目」という名称がすっきりしたものには見えません。いや、どうでも良いことですが。さらにハイエナはどう見ても「イヌ」なのにネコとは……ますます私はすっきりしません。
著者の研究態度は科学的です。群れ(クラン)の個体をそれぞれ識別し、その行動範囲と行動パターンをなるべく詳細に記録します。生命表を作成し、死因をなるべく特定しようとします。こうして個体群についての概要を得て、次に草食獣の群れとの関係、さらには別の捕食者の群れとの関係を見つけようとしています。著者が見つけたのは、ハイエナはヌーの群れを好んで後を追う、ということでした。ここでは統計が活用されています。「目撃」によって得られた、ハイエナと草食獣との密度に相関関係があるかどうか、というデータなので、直接的な証拠とは言えませんが(直接証拠を求めるなら、ハイエナを解剖してその胃の中を調べる必要があるでしょう)、それでも「ヌーの群れのそばにハイエナがいることが多い」と統計的に言えたらそれはそれで一つの「事実」になります。実際に狩りをしている場面の目撃や殺されたハイエナの胃の調査から、草原の草食獣だけではなくて、魚・ダチョウの卵・人・ライオンなどもハイエナが食べていることがわかっているそうです。
ハイエナは特定の場所を「便所」として、そこで排便をする性向を持っています。本書では便中の「毛」の分析が行われていますが、何を食べているか、をきちんと解明するためには、今だったら便のDNA分析でしょうね。
そうそう、ハイエナは腐肉あさりもしますが、「腐肉あさり」で言えば、ライオンはハイエナ以上です。ゴロンゴロ火口ではライオンはハイエナに殺されたシマウマの26%、ヌーの31%を盗んでいたのです。盗まれたハイエナは、仕方なくまたせっせと殺しに走り回ることになります。著者の推計では、ゴロンゴロ火口で年間にヌーの群れの11.1%がハイエナの餌食になっているそうです。ただ、ヌーの個体数は年を超えて安定しているので、食物連鎖はうまくつながっている、と言えるのでしょう。著者は「草食動物の数」「草地の状態」によってハイエナが獲物を得る容易さが変化し、それによって「草食動物の数」が調節される、と考えています。なお、ハイエナの食事後には、骨さえ残っていません。彼らには骨を砕く歯があって骨まで食べ尽くしてしまうのです。
他の肉食動物との関係はいろいろ複雑ですが、私が面白く読めたのはハゲワシとの関係です。ハゲワシはハイエナの猟を上空から見ていて獲物が倒れたらそのおこぼれに与ろうと首を突っ込んできます。しかし、ハゲワシが屍体を見つけて急降下したら、その音を聞きつけてハイエナはその地点に全力でダッシュします。つまりハイエナとハゲワシは、競争相手であり利用しあう相手でもあるのです。
ハイエナが狩りをするときに、相手によってどのように行動が変わるかの観察記録もあります。面白いのはその成功率がそれほど高くないこと。逃げる方も必死だからでしょうね。
最近のマラソン大会では、複数のペースメーカーを主催者が用意し、1km3分とかの時間設定をしてレースを作ろうとします。私はあまりこういった“競走”が好きではありません。30kmまでは「レース」ではなくて「こなすべき作業」になってしまうし、ペースメーカーの腕(足?)が悪いとペースが安定せずにかえって選手のペースが乱される恐れがある可能性があるからです。
どうせ「ペースメーカー」を走らせるのだったら、「人型ロボット」をペースメーカーとしたらどうでしょう。これだったら機械的にペースがきっちり設定できます。さらに「赤のペースメーカーは1km3分」「青のペースメーカーは1km3分3秒」とかいくつかの設定時間で走らせて、選手が「前半は青についていって、折り返し点から追い上げよう」とか自分でレースの設定ができるようになったら駆け引きももっと生じてレースが面白くなるのではないでしょうか。
【ただいま読書中】『イマジネーションの戦争(コレクション戦争と文学5)』集英社、2011年、3600円(税別)
目次:「桃太郎」芥川龍之介、「鉄砲屋」安部公房、「通いの軍隊」筒井康隆、「The Indefference Engine」伊藤計劃、「既知との遭遇」モリ・ノブオ、「烏の北斗七星」宮沢賢治、「春の軍隊」小松左京、「おれはミサイル」秋山瑞人、「鼓笛隊の襲来」三崎亜記、「スズメバチの戦闘機」青来有一、「煉獄ロック」星野智幸、「白い服の男」星新一、「リトルガールふたたび」山本弘、「犬と鴉」田中慎弥、「薄い街」稲垣足穂、「旅順入城式」内田百、「うちわ」高橋新吉、「悪夢の果て」赤川次郎、「城壁」小島信夫
「イマジネーションの戦争」とは見事に名付けたものです。まさに“その”本です。「戦争」を「文学」というフィルターを通して表現する全集ですから「イマジネーション」があることは当然なのですが、本書では特に戦争をイメージして見る“視点”が複雑に設定されています。殺す側や殺される側、見物する視点、くらいはふつうに思いつきますが、本書には「兵器からの視点」なんてものまであって、その着想のすごさに私は驚きます。あるいは、世界では戦争が起きているのにそれとはまったく無関係に生きている人たちの世界、なんて捻ったものも。
取り上げられた作家も、芥川龍之介、内田百、安部公房、筒井康隆などでは驚きませんが、宮沢賢治や星新一をとりあげた編者に私は感心し、さらに伊藤計劃や秋山瑞人までちゃんとカバーしていることにまたまた私は驚きます。
ひからびた脳みそで観念的に「戦争」を論じている人は、この本の爪の垢でも煎じて飲めば良いのに、なんて過激なことも思ってしまいました。もしかして私の心は“好戦的”?
先々日読書した『たったひとつの「真実」なんてない ──メディアは何を伝えているのか?』(森達也)に「松本サリン事件」も取り上げられていましたが、あのときのメディアの狂騒(と無反省)はひどいものでした。当時はネットではなくてコンピューター通信に私はつながっていましたが、たしかメディアの尻馬に乗っての発言はせずにいたはずです。記憶が編集されているのかもしれませんが「農薬からサリンが合成できるのか? 合成して漏らしてしまったのだとして、回りでばたばた人が死んで本人が生き残ることがあるのか?」と思ったことは覚えています。
ともかく別の角度からあの事件を“読んで”みることにしました。
【ただいま読書中】『サリン事件 ──科学者の目でテロの真相に迫る』ANTHONY T. TU(杜祖健) 著、 東京化学同人、2014年、1800円(税別)
著者は「化学兵器」の歴史をまず簡単に振り返ります。第一次世界大戦で毒ガスが大々的に使われましたが、第二次世界大戦では日本軍が中国軍相手に使ったくらいで欧米の各国は備蓄はしていたものの使用は控えました。中国軍は防毒装備が貧弱だから毒ガスは有効でしたが、欧米諸国はお互いが防御できることがわかっていたから使わなかったわけです。
松本サリン事件(1994年6月27日)では、患者の症状から、長野県衛生公害研究所はまず有機リン系の農薬を疑いました。検出されたのはサリンとメチルホスホン酸ジイソプロピル(サリン製造時の副産物)。衛生公害研究所は目を疑います。そんなものが日本で検出されるはずがない、と。確認のため国立衛生試験所にも検査を依頼。そこでもサリンが検出されます。さらに確認のため、別の化学試験と生物試験を行って、これはもうサリンに間違いない、ということで大騒ぎになりました(それでも「そんなものが日本に存在するわけがない」と調べもせずに否定する人たちがいたのですが。「調べたら別の化合物だった」と主張するのならわかるんですけどね)。ついでですが、警察の科学捜査研究所は、衛生公害研究所の分析結果をもとにして検査をして「サリンだ」と“特定”し、それを受けて長野県警は「サリンだ」と発表しています。このとき「第一発見者(通報者)」の河野さんが警察やマスコミによって「犯人」扱いされたことを私はよく覚えています。化学(科学)知識も論理も持たないが思い込みが強くて声だけはでかい人間がいかに社会に害をなすか、あのとき私は学びました。
実は松本サリン事件の前に、小規模なサリン噴霧が行われていました。93年11月に創価学会の幹部殺害を目的に八王子市の創価学会施設をオウム真理教の新見智光が噴霧器片手に襲います。しかし警備員が「原因不明の縮瞳」を起しただけでした。93年12月18日には改良した噴霧器で新見がまた襲撃を試みますが、サリンが逆噴霧してしまい、新見の方が瀕死の状態になってしまいました。
そして松本サリン事件。直後に東京化学同人から著者に雑誌「現代化学」にサリンについて書いてくれ、という依頼があります。2日で原稿を書きファックスで送信。8月15日に現代化学9月号が出版されましたが、この本は多くの人(日本の科学警察研究所やオウム真理教の土屋正実を含む)に読まれることになりました。この時警察が著者に問い合わせた「土中でのサリン分解生成物」の知識が、上九一色村の土の検査で「オウム真理教がサリンを合成した」と特定できる決め手になります(著者は米陸軍にも問い合わせをして、有用な知識を日本警察に提供してくれました)。ところがオウム真理教ではこの本を参考に次の段階(VXガスの合成)に進もうとしていました。サリンの中間生成物を出発点として「最強の神経毒」であるVXが合成可能なのです。「化学(科学)の知識」は、使う人間次第で善用も悪用もできることがよくわかります。
結局、警察やマスコミがトンチキ勘違い路線を全速で走っている頃、こんどは東京で地下鉄サリン事件が起きました(95年2月28日)。松本では自分が不利になりそうな裁判を妨害するため、でしたが、こんどは本部への強制捜査を大事件を起こして妨害することが目的だった、と言われています。松本では純度が高いサリンが使われたため、屋外の開放系だったのに大きな被害(死者7人)が生じました。しかし地下鉄サリンでは、準備を急いだため未精製(純度35%)のサリンが使われ、さらに噴霧ではなくて自然揮発によったため空気中の濃度が低くなり、そのため閉鎖系だったのに被害は少なめだった(それでも死者13人)のだそうです。これが純度が高いものを噴霧されていたら、もっととんでもない被害が出ていたことでしょう。
著者は聖路加病院を訪ねました。“あの日”5000人が病院に運ばれましたが、そのうち1000人以上の被害者を治療した病院です。礼拝堂まで開けて被害者を収容しましたが、ここは換気が悪く治療に当たる職員が次々二次中毒を起こしたそうです。ここにも「この次にはどうすれば良いか」のヒントが転がっています。
警察の強制捜査は2日後でした。警察には防毒マスクや防護服がなく、自衛隊から貸与を受けて使い方の訓練をするのに時間がかかったのだそうです。さらに毒ガス検出器もなかったため「カナリア」を代用に用いました。もっとも、カナリアの方が人間よりサリンに敏感かどうかのデータはなかったのですが。
著者は、死刑囚の中川智正と4回面会し手紙のやり取りもして、サリン合成の現場について詳しく聞きました。オウム真理教の方でも著者の名前や論文はよく知っていたため、会話はスムーズだったそうです。それにしても、第7サティアンがサリンを70トン製造するためのプラントだった、と聞くとぞっとします。しかし、いきなりの大量生産にはやはり無理があり、生産途中の化合物が外に漏れて94年の「異臭事件」となりました。95年1月読売新聞が上九一色村の土から有機リンが検出されたことをスクープ、驚いた教団は証拠隠滅を図りましたが、この時大量に残った中間生成物が、のちに地下鉄サリン事件でのサリンの原料として利用されることになりました。
アメリカ政府にとって地下鉄サリン事件は「対岸の火事」ではありませんでした。自分たちがいつ同様のテロ攻撃を受けるかわからない、と真剣に対策に取り組みます。そういえば96年のアトランタオリンピックで、警備員の腰にサリン対策の薬物キットも取り付けられていましたっけ(たまたま行った講演会でそのスライドを見せてもらいました)。
オウム真理教は、サリンやVX以外にも、タブン、ソマン、シクロサリン、マスタードガス、青酸ガス、ホスゲンなどさまざまな毒ガスを製造していました。ただし未使用なので、犯罪として大きく取り上げられてはいません(ちなみに「サリン」も当時その製造を禁じる法律がなかったので、製造しただけでは罪に問えませんでした。人を殺したから犯罪とできたのです。今は毒ガスは作るだけで違法です)。教団は生物兵器もいろいろなものにトライしていますが、世界にとって幸いなことにすべて失敗しています。非合法薬物も製造していました。自白剤や儀式用として用いています。こういったものの原料を、大量に入手できないようになにか手が必要です。しかし、テロを確実に予防することは困難です。だったら起きたときに適確に対応できるような準備をしておく必要があります。さて、今の日本、“準備”はきちんとできていますか? まさか「喉元過ぎれば熱さを忘れる」になってないでしょうね?
私の感覚では「和解する」とは「お互いにちょっと譲って相手の価値観を尊重する態度を見せる」とほぼ同義です。しかし今回の日本政府と沖縄県との「和解」は「ちっとも譲らない」「相手の価値観は尊重しない」と同じ、という実に不思議な「和解」です。せいぜい言うなら「相手が存在して何か言っていることくらいは認めてやろう」程度。これって本当に「和解」と呼ぶに価するんですか?
【ただいま読書中】『もしも8歳のこどもが大統領に選ばれたら』加納眞士 著、 ボビー・オロゴン 画、ポプラ社、2010年、952円(税別)
『こどもの大統領』というタイトルで2002年に刊行され、その後絶版になっていた本です。復刊嘆願書が1000通以上届き、さらにこの物語を読んだボビー・オロゴンさんがディンガティンガ(アフリカン・アート)で挿絵を描いて復刊されました。
「タチツトット国(別名ヒ・イズルクニ)」で初めて大統領が選ばれることになりました。選ぶのは、全国民のデータを入力された光量子解析コンピュータ「ガイア」。発表された名前は「ミックモック」。なんと8歳の男の子。
てんやわんやが起きます。特に政治家たちの間で。しかし、幼帝の先例だってあります。大統領が8歳で、実際の所、何が問題?
「大統領」が最初に決めたのは、「国会の生中継」でした。次は「軍隊の解散」。どちらも大騒ぎを巻き起こします。ミックモックは無邪気に尋ねます。「敵って、誰のこと?」。タチツトット国ではとりあえず「軍隊の(仮の)解散」をすることにします。
「敵」は驚き、しばらく様子を見ることにします。軍隊も驚き、クーデター計画が進行しますが、その動きをなんとか押さえる人たちもいました。軍隊を本当になくしたら、軍人とその家族は生活に困ります。軍需産業も困ります。それを知って大統領も困ります。そこでミックモックが思いついたのが、軍隊を「国際救援隊」にすることでした。国際救援隊は世界中で大活躍、そして……
夢物語です。だけど、夢や理想を持たずに現実だけで生きていくのはちょっと辛い。できたら子供の頃の夢は忘れずに、きちんと生きていきたいものだ、なんてことを思いながら読める本でした。
この前写実絵画がいくつか並んでいるところをぶらっと眺めてきました。行く前は「写実絵画でたとえば風景を描くのだったら、写真で良いじゃないか」なんて思っていたのですが、行って実際に見て、写真では駄目なところもある、ということがわかりました。たとえば「省略」が絵画だと可能です。たとえば京都の名所の絵では、観光客が一人もいません。こんなこと、普通の写真では不可能です。絵画には絵画の意味があり、フィクションにはフィクションの意味がある、と思いながら帰宅しました。やはり、実際に見ないとわからないことがありますね。
【ただいま読書中】『たったひとつの「真実」なんてない ──メディアは何を伝えているのか?』森達也 著、 筑摩書房(ちくまプリマー新書221)、2014年、820円(税別)
「メディア・リテラシー」の本です。
まず登場するのは「北朝鮮」です。著者は実際に行ってみたそうですが、北朝鮮が国交を樹立している国は世界で151ヶ国(平成14年)。「世界で孤立している」わけではなさそうです。国民が最高指導者を本気で敬愛しているらしいことを実際に感じて著者は戸惑います。しかし「異常な国だ」と切って捨てたりはしません。戦前の日本もそうだった、と思うのです。たしかに私が親に聞く限りでは、御真影などに対する扱いは、今の北朝鮮の最高指導者に対する態度とそっくりな部分があります。では、戦前の日本と戦後の日本のいちばんの違いは何か、と立問し「メディアだ」と著者は答えます。
メディアは人の「知りたい」という気持ちを満足させるために働いています。しかしメディアは情報を加工します。一番重要視されるのは「わかりやすさ」。それと「刺激」。情報を受け取る人が少しでも関心を持ち、あっさりチャンネルを変えたりしないように努力します。そのとき情報は歪められ、場合によっては間違った印象を世に広め、間違った方向に人々を誘導することがあります。たとえば戦争が始まるときにそういった動きは顕著です。だから必要なのが「メディア・リテラシー」。メディアが伝える情報を丸呑みするのではなくて、まず自力でしっかり咀嚼して味わってみる態度。なぜなら、メディアは情報を取捨選択し、編集し、間違えるからです。それは、個人が個人に何かを伝えようとするときと、まったく同じです。
「中立」とか「不偏不党」とか「両論併記」の危うさが、実にわかりやすく表現されています。そして「たった一つの真実」などというものを信じることの危うさも。
陰謀論に走れ、という主張ではなくて、もっと健全に懐疑の心を持ち続けろ、という主張の本です。せっかく頭があるのですから、使わないと損ですよね。そうそう、メディア・リテラシーの“練習問題”として「スーザン・ボイル」が取り上げられています。これ、“解いて”みるとご自分のリテラシー度がある程度自覚できるかもしれませんよ。
VTRが普及し始めたとき、普及の原動力となったのがエロビデオだった、と私は聞いた覚えがあります。嘘か本当かは検証不能ですが、いかにもありそうな話です。さすがに今はビデオテープは廃れましたが、エロの方は今ではネットでAVがふつうに鑑賞可能になっていますね。エロは永遠に不滅です、てか?
私が若い頃にお世話になったのはエロ本です。ところで現在は出版不況だそうですが、もしかしてエロ本を読んでいた層がそっくりビデオテープ経由でAVに流れてしまったことも、本が売れなくなったことの原因の一つでしょうか? もしそうだったら、エロの効用、おそるべし、なんですが。
【ただいま読書中】『人妻泥棒』赤松光夫 著、 徳間書店、1980年、980円
なんというか、昔懐かしい官能小説です。ただ久しぶりに読んで見て、エロの描写は割と淡白であるように感じました。性行為そのものの描写は、バリエーションが限られてしまうのかな? 偏差値30代なのに東大を目指している予備校生を主人公に、著者は、さまざまなシチュエーション(いろいろな人妻との出会いとつかの間のアバンチュール)を次々提示することを楽しんでいるのか、といった感じです。これで色っぽい気持ちになるためには相当読者の側に想像力と努力が必要そうで、これだったら、エロに関して本が気軽に入手可能になった映像作品に負けたのだとしても、仕方ないなあ、と思えました。
しかし、こんなものを読んでいたら、川上宗薫・宇能鴻一郎・富島健夫など懐かしい名前が次々脳裏に蘇ってきました。さて、図書館にあるかな?(読みあさる気なのか?>じぶん)
「長財布でお金が貯まる」という風説があるそうです。私はその意見に賛成です。ただし「その財布を使う人」にではなくて「その財布を作ったり売ったりする人」の方にお金が動く、という見方をしているだけですが。
【ただいま読書中】『最初の礼砲 ──アメリカ独立をめぐる世界戦争』バーバラ・W・タックマン 著、 大社淑子 訳、 朝日新聞社、1991年、3398円(税別)
1776年11月16日西インド諸島オランダ領セントユーステイシャス島に入港しようとするアメリカ船アンドリュー・ドーリア号が外国船の儀礼をして放った礼砲に対し、オレンジ砦から答礼の大砲発射が行われました。これはオランダが「アメリカ」を「国家」として認めたことを示していました。独立革命以後、外国の官吏がアメリカ国旗と国家を承認した初めての(とアメリカ大統領が認識している)行為でした。
独立戦争で植民地軍は弾薬の欠乏に悩まされました。オランダ商人がセントユーステイシャス島を中継基地として密貿易を行ったのが植民地軍への唯一の武器供給ルートでした。イギリスは当然強硬な抗議をオランダに行います。しかし、スペイン支配に抵抗した歴史を持つオランダにとって「反乱者」に肩入れするのは当然のことでしたし、何より「自由貿易の儲け」は莫大だったのです。オランダ商人たちは危険を冒して密貿易を続けます。そして、77年にサラトガの戦いに勝利することで植民地軍が優勢となり、78年にはフランスがアメリカと同盟を組んで参戦します。デ・グラーフ総督が撃たせた答砲は、そういった歴史の流れの前触れだったのです。
ワシントン総司令官は海軍の重要性を認識しており、編成された「アメリカ海軍」の最初の4隻の内の1隻が改造商船アンドリュー・ドーリア号でした。そしてアメリカは、戦争を有利にするために「世界」を上手く巻き込もうと画策します。海軍は、英国海軍だけではなくて、世界に対する“武器”としての機能を期待されていたのです。
英国の海上覇権(諸国への無理のごり押し)は、あちこちで反感を買っていました。ロシアの女帝エカテリーナ二世もその一人で、英国に対抗するために武装中立国際連盟を構想します。ポーランドの1/3を入手した女帝は、オスマン帝国の転覆と地中海の不凍港入手を夢見ていました。同時に、英国によって傷つけられたエゴの回復も。「傷つけられたエゴ」と言えば、英国も「植民地で反抗する不忠で不逞の輩(と、それにこっそり味方する諸国)」によってエゴを傷つけられていました。イギリスはボストンでの教訓を忘れて露骨なプレッシャーをオランダにかけますが、それによって怒ったオランダは武装中立連盟に加入することを決意します。最終通告を拒絶されたイギリスはオランダに宣戦布告。戦争の原因としてノース卿は議会での演説の中で「セントユーステイシャス島での礼砲」についても触れています。この戦争はオランダにとって高くつきました。貿易中継基地としてオランダに莫大な富をもたらしていたセントユーステイシャスは没落し、オランダの国力は削がれ、最終的にナポレオンによってフランスに併合されてしまったのです。セントユーステイシャス島を攻略したイギリスのロドニー提督は、敵を罰することと略奪に忙しくて、フランス軍艦がアメリカに向かうのを看過してしまいました。実はアメリカへの物資輸送の主力は、すでにオランダからフランスに移行していたのです。さらに、島から英国に略奪品を輸送する船団はフランス艦隊に拿捕され、ロドニー提督は略奪について非難され裁判沙汰になってしまいます。
当時の「海」は荒っぽい世界でした。「敵」の商船は拿捕する権利が法的に保障され、拿捕したら捕獲賞金法に従って艦長以下全乗組員が獲得できるシステムがあったのです。「国のため」よりも「自分の財産形成」のために海に乗り出す人が多くいただろうと想像できます。で、英国としては、正規の海軍の予算は削減したくなります。放って置いてもせっせと働く艦長たちがいるのですから。これはイギリス海軍を弱体化させました。さらに「戦闘教本」の絶対視(少しでも違反したら艦長は軍法会議)が艦長や司令官を縛り上げてしまいます。
それにしても本書で描かれる各国の海軍事情は、「いかに戦争に勝たないか」にどの国も熱中しているかのように見えて仕方ありません。個人的欲望や内部での権力闘争にかまけて、いかに戦争に勝つかへの努力をおろそかにしている人ばかりなのですから。
ともあれ、サンドウィッチ海軍長官はやっと本気になり、ロドニー提督とその艦隊をジブラルタルに派遣します。スペイン相手の海戦は大勝利。イギリスは増長します。しかしフランスは、これまでの古い恨みにプラスして新しい恨み(カナダを取られたこと)があり、さらにアメリカを援助して革命の戦争を長引かせることで大英帝国を弱体化させようという狙いから、アメリカに援助を続けます。これがやがて自分たちの「旧体制(アンシャン・レジーム)」をひっくり返す動きにつながることも知らずに。
アメリカ植民地軍は劣勢で、イギリス軍は勝利を確信していました。しかし実はこの戦争は消耗戦で、イギリスはゆっくりと痛めつけられていたのです。派遣する戦力も足りなくなり、イギリスはドイツの傭兵も使っています(この傭兵の残酷な振る舞いがまた“アメリカ人”の憤激を買いました)。もっとも、ジョージ・ワシントンにとっても事態はじり貧で、破滅の日へのカウントダウンが始まっていました。そこに、フランスから、陸海軍の援軍が到着します。さらにサントドミンゴのスペイン総督が自分の兵を合流させます。イギリスは「アメリカ「オランダ」「スペイン」「フランス」と戦わなければならなかったのです。なるほど、「世界戦争」です。
唯一、ワシントンの意図を見抜いていたロドニー提督は、病気のため本国に帰還。フランス艦隊の重要性を認識しないイギリス軍は、見当外れの戦場を設定してしまいます。ワシントンは「フランス艦隊との合流」という唯一勝ち目のある賭けに出ます。そしてその賭けに(イギリス軍の“協力”もあって)勝ってしまいました。まずはチェサピーク湾の海戦(援軍を上陸させたあとのフランス艦隊とイギリス艦隊の戦い)。損害は五分五分でしたが、イギリス艦隊はニューヨークに撤退。ヨークタウンにこもるイギリス軍に、米仏連合軍が襲いかかります。「最初の礼砲」から6年後、ヨークタウンで響いた砲声が「アメリカの独立」を確定したのです。
アメリカ「独立」が「革命」であり、同時に「世界戦争」でもあり、最終的にはフランス革命など地球規模での変革を呼び起こしてしまったことがわかります。ワシントンがそこまで夢見ていたかどうかはわかりませんが。
敵の敵は味方になることもありますが、三すくみになる場合もあります。
【ただいま読書中】『街角の書店 ──18の奇妙な物語』中村融 編、創元推理文庫、2015年、940円(税別)
目次:「肥満翼賛クラブ」ジョン・アンソニー・ウェスト、「ディケンズを愛した男」イーヴリン・ウォー、「お告げ」シャーリイ・ジャクソン、「アルフレッドの方舟」ジャック・ヴァンス、「おもちゃ」ハーヴィー・ジェイコブズ、「赤い心臓と青いバラ」ミルドレッド・クリンガーマン、「姉の夫」ロナルド・ダンカン、「遭遇」ケイト・ウィルヘルム、「ナックルズ」カート・クラーク、「試金石」テリー・カー、「お隣の男の子」チャド・オリヴァー、「古屋敷」フレドリック・ブラウン、「M街七番地の出来事」ジョン・スタインベック、「ボルジアの手」ロジャー・ゼラズニイ、「アダムズ氏の邪悪の園」フリッツ・ライバー、「大瀑布」ハリー・ハリスン、「旅の途中で」ブリット・シュヴァイツァー、「街角の書店」ネルソン・ボンド
よく知った作家が並んでいるのに、作品の方は知らないものが並んでいるなあ、と思ったら、本邦初訳が7篇、雑誌やアンソロジーに一度載っただけであとは忘れられていたのが9篇、現在は入手しにくいのが2篇、だそうです。よくもまあ、集めたものです。さらに内容が、編者が「奇妙な味」で大好きな「肥満翼賛クラブ」「お告げ」「街角の書店」を無理なく一冊のアンソロジーに収めるために、「現実」→「非現実」→「シュールレアリスティック」と“グラデーション”をかけて作品を並べてあるのだそうです。いやいや、そこまで工夫をしてくれたアンソロジーだったら、こちらはもう黙って楽しむしかありません。
とにかく「奇妙な味」が満載です。あまりに濃厚な味付けで、「奇妙な味」が本からぽたぽたとしたたり落ちています。こんな奇妙な本(最大級の賛辞です)を与えてくださって、著者と編者に感謝です。特に編者は、自分で新訳を起したり改訳をしているので大変だったことでしょう。こういった苦労に対して正当に報いられていれば良いのですが。