瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

サティのキレが再び

2006年12月01日 | 瞑想日記
昨日のサティは、散々だったが、今日はサティのキレが戻りつつある。朝起きてから出かけるまでの動作にもラベリングとともにかなりサティが入っていた。想念が生じてもすぐにサティが入る。

駅から職場までの歩きの間も、昨日までとは明らかに違う。言葉にしてしまえば単純なことで、要するに「今」の感覚に気づきが入り、想念の連鎖が生じないだけのことだ。それがスムーズにできるのと、なかなかできないのとでは、どのような条件の違いがあるのだろうか。

職場でも、カップにお湯を注いだり、それを持ち上げたり、飲んだりという動作に苦もなくサティが入っていく。すれ違った人について、かすかによぎる感情の動きや想念にならないような想念にも気づく。動作などの感覚にクリアにサティが入るから、その間に浮かぶ想念にも的確にサティが入るのだろう。当たり前のようだが、その変化が、努力してそうなっているのとは別のところで起きた感じで、それが不思議なのだ。朝起きたらそうなっていた感じ。

夕方、職場でひとつ重要な問題が生じ、帰りの歩きの間は、それをめぐる思考が続いた。「なんだ、これぐらいでサティが乱れるのか」と思った。電車の中は本を読んでいた。駅を降りたとき、来週直面する仕事のことを思った。「いやだと思った」とサティを入れた。「やりたくない」とサティが入った。そうやって、自分の状態にサティを入れると、それからは「今」の感覚にスムーズにサティが入り続け、家でのドアの開け閉めも、階段の上り下り、着替えの一つ一つの動作にも自然にサティが入っていった。

サティができないときや、思考に埋没しているときや、調子が悪いときなどに、そういう自分の状態に素直にサティを入れると、スムーズに「今」の感覚のサティへと移行していくようだ。

サティの調子が崩れても、あきらめずにいろいろ工夫しながら続けていくことが、やはり大切なのだろう。
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