GHQ焚書図書開封第196回
-司馬遼太郎の小ざかしい人間解放-
横井庄一氏帰還にみる1972年(昭和47年1月24日)の新鮮な驚き
わかったような知的な言葉で乃木将軍をからかった司馬遼太郎の「殉死」における表現
西南戦争で軍旗を奪われ、天皇に対する忠誠を失ったと思いつめ自決しようとした乃木将軍を庇護意識を誘う人と悪評した司馬の解釈。
乃木将軍妻返しの巻
国家の行く末に対する不安を持っていた人々
司馬遼太郎は日清・日露までの歴史とそれ以降の歴史を分け、日清・日露までは正しかった、それ以降は間違っていたと説明が便利な歴史観を作り上げている。これは、リヒャルト・カール・フライヘア・フォン・ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領のナチスが支配した期間はドイツでなかったと言い切り、前史を無視する歴史観と同じである。
歴史は連続性のものであり、ある時期から突然変わっという非連続性のものでない。非連続性を認めることは、自分たちのプライドと自己反省を同時に満足させるものであるが、悪いことも良いことも全て自分たちの歴史であるという基本をないがしろにするものである。
2019/5/15に公開
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