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-「アメリカの国民性」(二)-(GHQ焚書図書開封第175回)

2022-07-17 09:30:42 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第175回

-「アメリカの国民性」(二)-

目次

 日本の臣道

アメリカの国民性

 1. アメリカ国民性の基調としてのアングロ・サクソン的性格

 2. アメリカへの移住

 3. アメリカに於けるホッブス的性格の展開

 4. アメリカに於けるベーコン的性格の展開

 5. 開拓者的性格

 

 『あらゆる人と人との間の戦争』がある。これが自然状態である。ここではいかなる行いも自然の権利に基づいてなされるのであるから不正ということは存しない。戦争状態における徳は力と詐欺とである。

しかしこのような自然状態は、自己の生命を保持するには最も都合が悪い。人は常に生命の危険にさらされ不安を感じていなくてはならぬ。従って人は理性によって、この悲惨な性格からの脱却、生命の安全保障を要求する。そこに自然法(lex naturalis)が見出される。即ち生命に害ある行為を禁ずる一般的法則である。ここに初めて人の行為に対する拘束、即ち義務が現れる。

・ ・・・・

自然法の第二則は、右の平和の要求が当然含意すべき内容を展開する。人が自然の権利を行使しあらゆる物に対して自由に振舞うならば、当然人々は戦争状態に陥り、惨苦不安を甞めなければならぬ。従って平和を要求する者は自然の権利を行使するわけに行かない。『人が他の人々と共に、平和と自己防衛とを欲するならば、彼はあらゆる物への権利の放棄を必要と認め、己に対して他者に許容すると同程度の自由を他者に対して己が保持することに満足しなくてはならぬ。』・・・・・・

 この自然法に基づいて契約が可能になる。人々は自然の権利を放棄した上で、限定された権利を互いに認め合うのである。ここに初めて人々は戦争状態を脱し、人間社会の成立する緒が開かれる。

 自然法の第三則はこの契約の保障である。『人々は結ばれた契約を守らなくてはならぬ。』これが正義の根拠である。勿論契約は、都合の悪い時に破ることも出来る。しかし破れば味方を失い戦争に負ける。即ち契約は守らなくては損である。これがホッブスにとっては理性の法則たる所以なのである。

ホッブスは・・・なほその他多くの法則を数へるが、それらを総括して『己の欲するところを人に施せ』と云い得るとしている。これは第二則の後半が言い表わしているところで、同時に契約の基礎をなすものである。従ってホッブスの自然法は契約を中軸問題としていると言って良い。近代における自然状態の説及び契約社会説はここに始まり、この後ヨーロッパの思想界を支配した。

 3. アメリカに於けるホッブス的性格の展開

  前に言及したスペイン人のペルー・メキシコ等の征服は、基督の名において行はれた。たとひ中部アメリカの土人が高度に発達した人倫的組織や壮麗な宗教的儀礼などを作り出していたとしても、それらは皆基督の福音を接受する以前のものである。

  それは内容的には基督の福音に合致するものと云えるであろうが、しかしそういう立派なものを福音の伝わる以前に実現しているとすれば、そこに何か警戒すべきものがある。恐らくそれは悪魔の策謀であろう。

  悪魔は福音の伝はるのを邪魔するために、先手を打って、予め同じような内容の組織や制度を教え込んでいた置いたのである。従ってもし土人が即座に基督教への回収を背んじない

 ならば、これを殺戮することは悪魔の弟子を殺戮することに他ならぬ。悪魔の所業を破壊して福音を広めるためには、どんな手段を用いても残酷ということはない。これが彼らの土人殺戮の原理であった。11:34

しかしアメリカに植民したアングロ・サクソンの基督教に対する態度はこれとは異なっていた。彼らは少数の例外を除いてローマの教権に背いた新教徒である。

 特にピューリタンやクェーカーなどは新教の徹底的保持のゆえに新しい土地に出てきたのである。彼らにとっては信仰のことは個人の心情の問題であって、教会のために信者を殖やすことではない。況んや基督教のために殺戮を行ふというごときことは以ての外である。クェーカーの如きは戦争絶対反対を固い信条としていた。

しかし開拓を遂行するためには土人と戦いその抵抗を絶滅しなくてはならぬ。特に北アメリカの土人はペルーやメキシコの土人の如き文化を持たず、開拓事業のために労力を提供する如きものではなかった。だからアングロ・サクソンは初めから『死んだインディアンのほかに善いインディアンはない』と考えていたのである。

 土人は殺すほかはない。が彼らは何の名において土人殺戮を行ったのであろうか。

ここに有力な原理を提供したのはホッブス的な自然状態の人間観である。

 人は万物に対して自然の権利を持っている。土人がアメリカの森林で狩する権利を持っているように、移住したピューリタンもこの森林を拓いて耕地となす権利を持ている。ここには正不正の問題はない。その代わり同じ森林について権利を主張して合ふピューリタンと土人とは当然戦争を行わねばならぬ。戦争状態において弱いものが殺されるのは当然の理であって正不正の問題ではない。が土人相手の戦争と雖も決して楽なものではなく、初期の移民はしばしば醜い眼に逢った。

そこでピューリタンたちが適用したのは自然法である。彼らは土人に平和を提議した。平和条約が

成立すれば土人を殺さないですむ。がもし平和の提議に応じなければ、手段を選ばず土人を殺戮する。自然法に従わないような人間は動物と同じように射殺してよいのである、

 殺戮が行なわれたとしても、アングロ・サクソン一抹も良心のとがめを感じなかったのである。

ピューリタンたちに最も大きい成功をもたらしたのは平和条約や和親協約による領土の拡大であった。

ベルーナール・ファイ(本田喜代治訳「アメリカ文明の批判」)の叙述によると、彼らは広い原始林の中の空き地の土人の村で土人たちと会商する。夜、焚火を囲んで談判しながら、彼らは携えてきた大きい酒樽を開いて土人たちに振舞う。土人はだんだん酔って上機嫌にくだを巻き始める。イギリス人は辛抱強く彼らの相手になり、辛抱強く彼らに酒をついでやる。やがて潮時を見て一枚の紙片を差し出し、土人の酋長に署名を求める。

 酋長たちは意味も解らず、酔いにふるえた手で署名する。そこでイギリス人は、持ってきた酒樽全部を抜いて、車座になっている土人たちに飲ませ、自分たちは帰っていく。土人たちは焚火の光の中で踊り狂っている。契約が成立し、彼らはその森林を譲渡したのである。その代償としてウィスキーとラム酒と小銃と火薬と斧とパイプとをもらった。そうしてそれを非常に喜んだ。

しかし所有権の知識のない彼らは譲渡がどんなことであるかを実は知らなかったのである。土人たちはただ自分らと同じくこの森で狩りする権利をイギリス人に与えたと考えていた。然るにイギリス人は契約に基づいてこの土地の合法的な地主となった。後に土人たちが狩りに来て見ると、森林は切り払われて農園が出来ている。彼らは怒って家を焼き幾人かのイギリス人を殺す。すると彼らは契約を守らない怪しからぬ者として徹底的にやっつけられる。イギリス人は自然法の第三則に基づいて、正義の名の下に殺戮を行なうことが出来たのである。がもし土人たちが殲滅を避けたいと思うならば、また少しの火薬と沢山のラム酒とをもらって、新しい紙片に署名すればよかった。

これが、平和条約や和親条約による領土拡大の実相であった。彼らは火薬とラム酒と悪徳と伝染病とで以って土人を殺戮し続けたのであるが、しかし少しでも不正なことは行なわなかったという形になっている。

 自然状態においては正不正はなく、契約関係に入って後は正義を犯したのはいつも土人だったからである。かくして彼らは正義の名の下に土人を駆逐し、殺戮し、奥へ奥へと新大陸を開拓して行った。これは基督教の名の下に土人を殺戮した代わりに改宗した土人と融合し始めたスペイン人よりも、遥かに冷酷、無慈悲で、また悪辣であった。が彼らはそれを堅実として誇ったのである。アメリカ大陸でアングロ・サクソン国のみが強大な国家となった所以はこの堅実性に存すると云われるが、それこそまさにホッブス的性格に他ならない。22:59

  平和を仮装せる土人との戦いは開拓事業と並行してこの後も絶え間なく続けられ、18世紀中頃のベンジャミン・フランクリンの時代にも盛んに行なわれている。

フランクリン自身土人との折衝に当たったこともある。さすがに彼は土人を単純に殺戮してよい動物とは考えていない。彼が北アメリカ土人について書いた短文によると野蛮人(Savage)という一般の考え方を訂正しようとさえしている。我々は我々の礼儀作法が完全なものだと思っている。だからそれと異なった礼儀作法をもった土人を野蛮人と呼ぶ。しかし土人もまた彼らの礼儀作法を完全なものと考えているのである。公平に見れば礼儀作法のないほど粗野な民族もなく、また粗野の跡を残さないほど礼儀正しい民族もない。

 土人の社会には服従を強制するような権力も牢獄も官吏もないが、しかし男は若いときには狩人にして戦士であり、老年には評議員となって弁舌で人を動かす。女は衣食と育児の世話をし、公の議事の記憶役をつとめる。ちゃんと秩序は立っている。また欲望が少なく閑暇が多いから、会話で改善につとめることが出来る。従って彼らから見れば我々の忙しい生活の仕方は奴隷的で卑しいのである。我々の尊重する学問も彼らには無駄なものである。

  ある協約のあとでアメリカ人側から土人の青年の教育を引き受けようと申出たことがあるが、土人はこの申し出を丁重に取扱って、返事を翌日まで延ばした後に、極めて慇懃に次のように答えた。『ご好意は深く感謝するが、教育についての考えがお互いに違うのは止むを得ない。かってカレヂで教育を受けた土人の子が、卒業して帰ってくると、狩人にも戦士にも評議員にも向かなくなっていた。しかしただお断りするのも失礼であるから、代わりに我々のほうからあなた方の子弟の教育を引受ける提議をしたい。』これが彼らの見識なのである。

それほどであるから彼らはその礼儀作法が白人に劣るとは決して考えていない。そうしてそれには尤もな点もあるのである。会話や会議の際の礼儀はその最も顕著なものであろう。弁士が語り始めると聴衆は深い沈黙を守る。語り終わってもなお5,6分は修正の余裕を与える。他を遮って口を出すのは日常の会話の際でさえも非常な無作法とされている。

これをイギリスの議会の騒擾やパリの交際社会の話の奪い合いに比べると非常な相違である。尤もこの礼儀は極端に発達して、話者の面前ではその意見に反対せぬというまでになっている。これでは争論は防げるにしても聞き手の肝はわからない。33:30

  土人への伝道師の一番の苦手はこの礼儀である。あるとき瑞典(スェーデン)の牧師が土人の酋長を集めて説教した。アダム・イブの堕罪から始めて基督の受難まで物語った。

すると土人の弁者が立って感謝の弁を述べた。『あなたのお話は非常によい。林檎を喰べたのは悪かった。林檎酒にした方がよかった。こんなに遠方まで聞いてあなた方の言い伝えを話して下すった好意は感謝に堪えない。ついてはお礼のしるしに我々の方の言い伝えをお話したい』そこで酋長は唐もろこしと隠元豆の起源説を語った。牧師は不愉快になって、『私の話したのは神聖な真理だ。しかし君のは作り話に過ぎない。』土人は怒って答えた。『どうもあなたは礼儀作法を教わらなかったらしい。礼儀を心得た我々はあなたの話を悉く本当だと思った。何故あなた方は我々のを本当にしないのですか。』 39:00

  フランクリンはなおもう一つ重要な相違として土人の主徳の一たる客人優遇の風習をあげている。旅する土人は案内なしに他の村に入ることを決してしない。村に近づくと立ち留まって大声で案内を乞う。村からは 通例二人の老人が出てきて村の中へ案内し、客人のための家へ連れて行く。そうして村人たちに客のきたことをふれて歩く。人々が客人の家へ食物を届ける。客がゆっくりと食事をすませた頃に、煙草が出され、会話が始まる、あなたは誰であるか、何処へ行くのか、などの問いはここで初めて発せられるのである。そうしておしまいに、道案内その他必要なことがあればお役に立とうと申出る。こういう接待に対して土人は何らの代償をも要求しない。これは白人の客に対しても同様である。

 然るに土人が毛皮を売りに白人の町へ出て、腹がへって食事をすると、『お金は?』ときかれる。

 持っていなければ『出てうせろ、犬め』とどなられる。土人から見ると白人は全く人の道を知らないのである。 47:29

フランクリンはこういう話を軽い諧謔の調子で書いているが、我々はその底に土人への同情が流れているのを感ずる。少なくとも彼は教会で説教している牧師たちよりも土人たちの方が道義的に優れていることを認めていると思う。しかしそれにも拘らず彼は土人をしてその所を得しめる方法を考えようとはしなかった。

 新大陸の開拓のためには、気の毒ながら土人は亡びてもらはねばならぬ。これが、彼の態度である。自伝の中で土人との会議の際の土人の乱酔の騒ぎを描いた箇所の終わりに彼は云っている。『誠に地上の農耕者に場所を与えるため、これらの野蛮人を絶滅するのが神の企画であるならば、ラム酒がそのための手段であるかも知れぬということはあり得ぬことではない。ラム酒は、かって海岸地方に住んでいた部族を、既に悉く絶滅せしめたのである。』即ち土人にラム酒を飲ませてその弱点をつくのはアングロ・サクソンの移民ではなくして、おそらく神様だろうと云うのである。しかも、フランクリンはそれがアングロ・サクソンの所業であることは百も承知で右のごとく云っているのである。 50:00

参考文献:「日本の臣道 アメリカの国民性」和辻哲郎、「天皇と原爆」西尾幹二

2018/10/10 18:00公開



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