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-オランダを封じ込めたイギリスの深謀遠慮-(GHQ焚書図書開封第168回)

2022-07-01 07:40:02 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第168回

-オランダを封じ込めたイギリスの深謀遠慮-

オランダの国家財政を支える過酷な強制栽培制度は、蘭領東インド(インドネシア)を苦しめた。フランス革命後、オランダはフランスの支配下に入った。ナポレオンの失脚後、フランスから独立したオランダは、今度は世界の海を制覇しようとするイギリスと対峙することになる。

やがて、息を吹き返したフランスに対抗するため、イギリスは一転して、対峙していたオランダと手を結ぶことになる。まさに、パーマストンが言っていた、国家には「国家には永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益のみ」のとおりである。

 北ボルネオでの統治に成功したイギリスに刺激され、オランダは英蘭ロンドン条約で獲得したジャワ島以外の外領(スマトラ、小スンダ、ボルネオ、セレベス、マラッカ、モルッカ諸島)の放置政策を関与政策に転換したため、国力を削ぐ現地住民との長い戦いの泥沼に引きずり込まれることになった。裏で、イギリスはこれら外領の領主を支援していたのである。

 1824年のアチエ統治に関わる英蘭条約は、オランダ人の権力をイギリスのもとに従属させる目的で結ばれたのである。その結果、困り果てたオランダは1872年イギリスとスマトラ条約を結び、アチエの統治をオランダの自由になるようにしたが、その後、アメリカ、イタリア、ドイツも海路の要衝アチエを狙っている状況になり、さらにオランダはアチエ以外の外領統治のための戦争費用増大で財政難に陥った。

 特に、イギリスにそそのかされて行った1873年~1908年まで続いたアチエ戦争はオランダにとって致命的な打撃を与えた。

イギリスは、オランダが豊かになること、近代化すること、資本主義国家として発展することを阻止することを望んでおり、みごとにその目的を達成したのである。

 参考文献:「蘭印・仏印史」大江滿雄、「蘭印の知識」朝倉純孝

 関連動画:GHQ焚書図書開封13回、160回、161回、163回、166回

2018/06/20 18:00に公開



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