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-アジア解放の象徴 ビルマの独立戦争-(GHQ焚書図書開封 第97回)

2018-01-31 18:08:17 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第97回
-アジア解放の象徴 ビルマの独立戦争-

【南京「百人斬り競争」虚構の証明】溝口郁夫著
⑴元朝日新聞記者本多勝一の書いた野田少尉の南京100人斬りは事実無根の捏造記事であった。
⑵刑死した野田毅少尉は南機関所属でビルマ(緬甸)独立に貢献していた。「秘録・ビルマ独立と日本人参謀野田毅ビルマ陣中日記」
南機関は
①昭和15年にビルマにひそかに潜入した鈴木啓司(南益世と改名)大佐を中心とした工作活動をする陸軍(士官学校、中野学校)、海軍からなるBIA(ビルマ独立義勇軍)組織であった。
②ビルマの志士(アウン・サン)達を教育・訓練し、ビルマ独立を支援する任務をもっていた。
「ビルマ民族解放戦」には、日本の戦争は、単に被圧迫民族を解放するだけでなく、抑圧と搾取の非道をなしつつある征服民族の不徳を糾弾し、覚醒せしめんとするものであると記されている。
戦争目的は、当時の新聞に掲載されているように日本がアジアを解放することであった。開戦当日の「帝国政府声明」やビルマ進出時の東條首相声明、シンガポール陥落時の闡明(せいめい)など数多く記録がある。
このような証拠があるにも拘わらず、戦後の知識人、マスコミ関係者(故三宅久之氏、倉山満氏など)は、ことごとく日本のアジア解放思想は、「後出しじゃんけん」とか「後付け」と嘘をついている。いわゆる、アジア解放論でなく戦勝国のアジア侵略論を擁護する立場(東京裁判史観)をとっている。

工作目的は、アメリカ、イギリス、ソ連からの重慶政府(蒋介石政権)への物資輸送ルート(援蒋ルート)の遮断であった。
真珠湾攻撃の前年(昭和15年)には既に米義勇軍フライング・タイガースの基地がビルマにあり、米パイロットが支那戦線で日本軍を攻撃していた。
映画「戦場にかける橋(クワイ河マーチで有名)」で爆破された橋は、イギリスのフォース橋を真似た木橋であったが、これは、泰緬鉄道(全長415km)に架かる日本が設計、資材も日本製であった本物の橋と全く異なる映画専用につくられたものである。
ビルマから英軍、重慶軍を駆逐した昭和17年7月8日、ビルマ独立義勇軍司令官の地位は鈴木機関長からアウン・サンに引き継がれた。そして、昭和18年8月1日にビルマは独立を果たす。
BIAからの鈴木機関長への感謝文の一部には「アジアの前衛たる日本人はインド、ビルマ、中国、マラヤ、フィリッピン、スマトラなどにおいて、政治的にも、経済的にも足かせをはめられて抑圧されていた人達のために闘ったのである。
それがイギリス人、アメリカを急速にこれらのアジアの地から追い払ったあの戦争であったのだ。日本人はこうしてアジア諸国を解放し、新しい近代打ち立てたのである」
と書かれている。
ビルマ軍事政権は、戦前の日本軍の支援に対して理解している。一方、アウン・サンの娘アウン・サン・スーチは、宗主国であったイギリス人と政略結婚した。
日本の報道機関は、民主化運動などで英米よりのアウン・サン・スーチを持ち上げているが、本当のビルマ(ミャンマー)愛国者は軍事政権の中にいる。
陸地で強かった陸軍が、海軍の愚策によって南の島々に送られ補給路を断たれ苦戦を強いられることになった。しかし、ゲリラ作戦により米軍を南の島々に長期間留めておいたお蔭で、その間に東南アジアは次々と独立を果たすことができたとも言える。
日本軍によって独立を果たした国々は①ビルマ(18.8.1)、②フィリピン(18.10.14)、③ベトナム(20.3.11)、④カンボジア(18.3.12)、⑤ラオス(20.4.8)、⑥インドネシア(20.8.17)、インド自由仮政府(20.8.12)である。

参考文献:【南京「百人斬り競争」虚構の証明】溝口郁夫、「秘録・ビルマ独立と日本人参謀 野田毅ビルマ陣中日記」溝口郁夫
引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、「大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった-帝国政府声明の発掘-」安濃 豊


https://www.nicovideo.jp/watch/so27711754

軍艦行進曲の系譜 ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ Myanmar Tot Ya Tatmadaw

 



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