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-太平洋に嵐を呼ぶ日本人とオランダ人-(GHQ焚書図書開封163回)

2022-06-13 17:18:02 | 近現代史

GHQ焚書図書開封163回

-太平洋に嵐を呼ぶ日本人とオランダ人-

寛永元年(1624年)スペインとの通商が禁止され、寛永16年(1640年)には、オランダ、支那を除く国に対して鎖国令が出された。

その年、オランダのバタビア総督は、エンヘル号とフラフト号を派遣し、クアストとタスマンの両名に日本近海の北海を探検させていた。

 徳川幕府の独占貿易は御朱印船により行われていた。四代将軍(徳川家綱)のとき、佐倉藩主の苛斂誅求な税の取り立てに抗議して、佐倉惣五郎事件が発生した。

 鎖国令が出された前後、進取の気風に富んだ日本人は、台湾、フィリピン、シャム、安南へと渡航し活躍した。原田孫七郎(ルソン)、呂栄助左衛門(ルソン)、小笠原貞頼(小笠原)、松本七郎兵衛(安南)、山田長政(暹羅)、荒木宗右衛門(安南)、濱田彌兵衛(台湾)などが有名である。

 鎖国時代、海外との人の出入りは抑制されたが、南蛮情報については、軍事技術、軍事問題は幕府のみに限定入手でき、天文学其の他のものについては自由に入手できた。持ち前の知識欲、勤勉性、研究熱心のお蔭で、この時代に独自の民族文化が醸成された。ただし、キリスト教、イスラム教、韓国儒教など原理主義的なものは、ある程度以上は受け入れないと言う選択的な受け入れ方をしていた。

 1975年。フランスがオランダに侵攻すると、オランダ王ウィリアム5世はイギリスへ難を逃れた。オランダ王となったルイ・ボナパルト(ナポレオン)は、ヘルマン・ウィレム・デンデレスを東インド総督に任命し、統治させた。デンデレスは熱心なナポレオン崇拝者であったが、極端な圧政を敷いたため、後に失脚することになった。

  イギリスの巧妙な戦略は、両方の力を削ぐための代理戦争をやらせて、高見の見物をすることだった。インドネシアアチエ族とオランダ、インドシナとフランス、ロシアと日本との戦いがそうだった。

 参考文献:「蘭印・仏印史」大江満雄

2018/04/11に公開



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