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-長與善郎「少年満州読本」その1-(GHQ焚書図書開封 第65回)

2017-05-21 14:24:05 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第65回
-長與善郎「少年満州読本」その1-
麻布⇒学習院⇒東大英文科へと進んだ長與善郎の書いた「少年満州読本」。刊行は昭和13年5月(1938年5月)で、子供に夏休みの旅行先満州について語って聞かせる内容。
当時日本(千島~琉球まで)の人口は3,000万、朝鮮併合で9,000万、満州を合わせると1.3億人であった。
地球の27%をイギリスが占領していた。ロシアは不凍港を求めて南下し、沿海州を支那から奪った。
日清戦争(1894-95年)後の1895年(明治28年)に三国(仏、独、露)干渉により遼東半島を満州人の清に返還させられた日本。日清戦争で負けた清は、日清戦争の賠償金をロシアから借りたため、見返りに遼東半島の「旅順」、「大連」の港を奪われる結果となった。
満州から北京に都を移した後、ノーマンズランドとなった清朝の故郷満州国の遊牧民である満州人は山東、河北省からの農民である難民(漢人)によって土地を奪われ満州族崩壊の道を辿った。
北京で勢力をもっていた少数派支配階級(満州族)は、やがて、「土地の実権を握るものは、その土地に根付いた頭数の多い土着民である」との漢族指導者(章炳麟・しょうへいりん)の移民侵略策によって、「洗国」、「同化」され、駆逐されていった。満州国も、その対象であった。
日本、ロシアの投下資本(インフラ)も最終的には人口で優る漢族支那人が労せずして恩恵を受けるものとなってしまった。しかし、実際には直接働いていた人民の収入の大部分は内乱に勝ち強盗団となった「軍閥」によって搾取されていた。
北支は、張作霖-張学良、南支は蒋介石などに搾取され、一部しか手にすることができなかった。虐げられた人民の不満は勢い、日本人、朝鮮人に向けられ、軍閥は、それを利用して反日運動拡大へと誘導していった。
満州に住む人々のためのインフラ整備に17億という資本を投下した日本は、資本の回収もままならず苦しむことになる。そこには、鎖国時代が長かったため、支那人の本質を知らず、善意をもって与えれば、善意をもって応えてくれると思っていた日本人(特に政治家、企業家など)の甘さがあった>。

参考文献:「少年満州読本」長與善郎


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