n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

ロシア知事選挙再開  

2012-06-04 08:10:36 | 情報

ロシアでは知事選挙に関する法律が効力を発した。知事任命制の導入から8年後、ロシアでは再び住民による直接選挙が復活した。法はロシアで行われている政治改革の枠内で承認された。複数の地域で秋に実施される知事選挙で試行される。




   新規則によると、知事は秘密投票による国民の直接選挙で選ばれる。50パーセント以上の票を獲得した立候補者が当選者となるが、過半数の票を獲得した立候補者が出なかった場合には、1位と2位の候補者が決選投票に臨む。


   知事に立候補できるのは、従来通り政党の候補者と自己推薦者。一方で推薦手続きでは2つの「フィルター」が規定されている。1つは「大統領フィルター」で、大統領と政党が候補者について協議する。2つめは「地方自治体フィルター」で、候補者は地方議会のメンバーの5パーセントから10パーセントの支持を得る必要がある。自薦のための条件は、地域の2パーセントの有権者から支持を獲得することだ。


   政治学者のミンチェンコ氏は、次のようにコメントしている。


   「『地方フィルター』の割合は引き下げたほうがよいと考えている。自己推薦のために必要な支持率を1パーセントにし、政党に対しては廃止するべきだ。なぜなら、上院あるいは下院議会または地方議会に議席を持つ政党は、すでに国民から支持を得ていることを示しているからだ。」


   政治学者のポリャコフ氏は、「フィルター方式」は手続きを最適なものにするためのシステムだとの考えを表し、次のように語っている。


   「今はまだ、あらゆる『フィルター』を設けることなく、そしてあらゆる署名を集めずに知事を選ぶ時期ではない。それにはまだ早すぎる。基準の意味を理解する必要がある。フランスの大統領選立候補者は、500人の推薦人の署名を集めなくてはならない。これは簡単な課題ではない。このような条件の意味は何か?将来の市長や知事は、当選した際、効率的に活動するために、地方自治体レベルで何らかの支持を得なくてはならない。その人物が地域で全く知られていない、あるいは住民から拒否反応を呼び起こしているならば、立候補する意味はあるだろうか?」


   議会では、「大統領フィルター」について話し合われた時、大きな論争が巻き起こった。最終的な案は修正され、大統領が自ら協議の必要性について決定することになった。


   法律によると、知事の任期は5年、連続した任期は2期まで。法律違反を犯した場合には、更迭させられる可能性もあり、裁判で裁かれる。


   新たな法律は、全体としてロシア国民に対し、政治的生活に積極的に参加するよう呼びかけている。ロシア政府は2011年12月に政治改革の実施を提案した。当時ロシア大統領を務めていたメドヴェージェフ氏が、年次教書演説の中で述べた。プーチン氏は、知事の直接選挙を復活させる必要性について語った。
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旧日本軍捕虜の埋葬地を確認作業

2012-06-04 07:48:56 | 情報

   ロシア各地の都市や村で自分の家族の歴史を少しずつ収集しようとしている日本人がいる。先日、日本人捕虜の遺骨を収集し祖国へと持ち帰る事業を行っている日本の代表団が、沿海地方のパルチザンスクを訪れ、軍事捕虜の埋葬地と推定される場所の土壌サンプルを持ち帰った。

     この土壌サンプルを遺伝子分析にかけ、ポジティブだと判明すれば、代表団は再び同地を訪れ、埋葬場所を掘り返す予定だ。60年以上も経過した今、戦没捕虜の遺骨を回収することは可能なのか?

     60万人以上の日本人捕虜のうち約57万7千人が帰国したものの、約6万7千人は戦没捕虜となった。さらに、日本人捕虜の埋葬地は、極東からシベリア、中央ロシアさらにはウズベキスタンやキルギスタンのような旧ソ連の共和国にいたるまで700ヵ所に散らばっている。

     パルチザンスク当局は、遺骨の収集が遺族にとりいかに大切かということに理解を示し、日本の代表団に全面的に協力している。パルチザンスク市の広報部長をつとめるリュドミーラ・ショコレンコさんが「ロシアの声」のインタビューに答え、説明をした。

   「日本の代表団の活動には理解を示しています。ロシアの歴史においても悲劇的なことは多くあったので同情しています。パルチザンスクからほど近いチグロヴォエ村とメリニキ村に軍事捕虜のラーゲリがありました。日本の代表団が、初めて遺骨を収集にやってきたのは80年代末のことです。代表団に協力するためにロシア側も社会団体「サクラ」を創設しました。社会団体「サクラ」を率いるのはパルチザンスクの最高齢の住民、アレクサンドル・エルキンさんです。エルキンさんは、記憶をたどり、埋葬地の場所を特定し、日本の代表団とともに地図と照合し、古文書の情報を探しました。そうした努力が実り、今年までに600名分の日本の軍事捕虜の遺骨が発見され再埋葬されるために祖国へと戻りました。でも、まだ200名分の遺体は見つかっていません。」

     遺骨の探索が困難なのは、日本人捕虜の埋葬地の情報があまりにも大雑把だからだ。それに加えて、遺体が折り重なって埋葬されている二重埋葬とよばれるものも多く存在する。しかし、当時の出来事に関する何らかの情報は、パルチザンスクの博物館で保管されている。古文書を利用した捜索も継続される予定。

   今年の3月にも同じく遺骨の発見を目的とする日本の代表団が、モスクワから200キロ離れた場所にあるウラジーミルを訪問した。ウラジーミルには戦後、18人の日本兵が留まり、そのうちの3人は同地を終の棲家とした。この3人は、2人の将校と1人の警察官だった。地元の教会墓地にはその3人を外国の代表者として記憶するための記念碑が立てられている。しかし、軍事捕虜たちがどこに眠っているのかを知る人はどこにもいない。埋葬を目撃しているのは刑務所の塀にある古ぼけた木戸だけだ。

   日本人の遺族たちは、遺骨を発見することができなくてもこの地に眠っている祖先の正確な名前だけでも知りたいと考えている。全ロシア的組織の「軍事メモリアル協力協会」が、遺骨の捜索を支援する。「軍事メモリアル協力協会」は、古文書の情報及び埋葬地の捜索活動において緊密に外国と提携している。

 ソース ロシアの声   サハリンマン

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