「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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「この話がおかしいのは、本当は東京が汚染で壊滅だからでしょ。」名古屋であるカフェ店員との話。

2013-09-02 21:39:09 | 福島第一原発と放射能
 僕が調子が戻らずきょう一日、眠りつづけていたので、バンダジェフスキー博士講演DVDのメール送信が遅れています。最初の送信は明日から。だから、一次締切ギリギリの方にメールが届くのが、9/14頃になります。少し遅れて、ごめんなさいね。
 
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   きのうブログ記事に書いた、名古屋講演会で、関東からの避難者による「障がい者の20代知人、横浜で突然死。50代女性、鎌倉で、病気が悪化して、死亡。 知人弟突然死、川崎。 親戚女性4人、子宮筋腫。関東の他の親族。40代女性膠原病。40代男性両目網膜剥離。」という情報をお伝えしましたが、それ以外にも身近な健康異変がおきているという報告が、この方からメールで届きました。
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こんばんは。名古屋で関東の健康被害を報告した者です。
 
書いた以外にも、

・2011年秋 東京在住友人 帯状ヘルペス
・2011年秋 鎌倉友人 腸の病気で入院(正式な病名分からず)
・2011年冬 埼玉か千葉か 友人の友人の息子さん 急性白血病
・2012年秋 東京在住叔父(70代) 肺炎で入院
等があります。

もちろん、全て放射能とはいえないでしょうが。
 
自分の体調としては、移住前(2011年秋まで)とにかく目がいつも腫れていました。
夜自分の布団で寝て、朝目覚めるといつも目が腫れるという状況になり、これは住む場所ではないと確信しました。
主人も目が腫れる上に、心臓がチクチクする、といつも言っていました。
移住してからは、二人ともこのような症状はありません。悔しいことに老眼にはなってしまいましたが。
 
2012年秋に仕事でどうしても東京で食事をしなければならなかったとき、
食事の最中に口の中に2センチくらいの巨大な血豆ができました。
それからは、東京に行った日数を手帳でカウントするようにし、年間10日以内に収めようと努力しています。
 
高齢者の死は本当に多いので書きませんでしたが、主人の母、私の大叔母、母の従兄、小学校時代の恩師などが
亡くなっています。
 
驚いたのは、今年のお正月すぎに横浜の実家に帰ったとき、何気なく妹の机を見たら、喪中葉書が8枚くらいあったこと。
亡くなっていたのは全て70代、80代の方でしたが、家族4人で暮らしていた時でも、喪中葉書は全員合わせて
毎年せいぜい3枚くらいでした。
ぞっとしました。
 
また、横浜に2012年夏に帰った時に、近所の人の息子さんが突然死した話をしていたお婆さんが電車の中でいました。
70代後半とみられたので、亡くなったのは50代男性と思われます。
電車で突然死の話を聞いたのは、43年間生きてきて初めてだったので、それも不気味でした。
 
私はもともと名古屋に縁があったので、3月14日の3号機爆発の映像を偶然ライブで見て、
これはダメだとその日の午後に名古屋の友人のところに避難しました。
テレビで爆発を見たときは、関東も終わりだ!!と大パニックになりましたが、
風速30メートルの強風が自宅方向に吹いていたとしても5,6時間はかかるとざっと計算し、ともかく逃げました。
 
逃げている最中に驚いたのは、逃げている人がほとんどいなかったことです。
「みんな、逃げないんだ!?」 それも大きなショックでした。
パニック映画のようになる前に脱出しなければ、と思っていたので、ホッとする反面、ゾッともしました。
 
移住してからも仕事で時々東京・横浜に行かなくてはいけなかったので、
いつもマスク・サングラスをしていましたし、今でも行くときはそうしています。
夏は暑いし、奇妙だし、カッコ悪いし、本当に嫌ですが、汚染地帯なので仕方ありません。

向こうから帰ってくるときは、「第一次除染」と称して、
まず新幹線のなかでウエットティッシュで服やカバンなどをふきまくります。
家に帰っても、カバンはとりあえず玄関に置いたままにし、そのままお風呂場に直行します。
極力、自宅に放射性物質を持ち込まないよう努力しています。
なるべく布のカバンにして洗濯しますが、洗濯できないカバンは翌日以降に、マスクをして念入りに拭きます。
 
私は、どうして皆がここまで鈍感なのかさっぱり理解できません。
狂牛病や中国の冷凍餃子事件などの時は、ギャーギャーとヒステリックに
騒ぐくせに、その線引きがどこなのかまるで分かりません。
 
私はチェルノブイリのプルームが日本に来た日をよく覚えているんです。
ゴールデンウィークの最後のほうの日だったはずです。
たまたま野外ライブの日で、しかも雨だったんですね(苦笑)
アン・ルイスが「みんなだけ放射能を浴びさせないよ!」と屋根から出て歌っていたのが印象的でした。
チェルノブイリのときは、ヨーロッパの食物を1年か2年か輸入禁止にしましたよね。それもよく覚えています。
あ、政府も結構まともな対応をするんだな、と思ったので(笑)
 
私と主人は、2011年6月くらいに新宿で開催された木下さんの講演を聞いています。
名古屋への移住の大きなきっかけだったことは間違いありません。
 
私も木下さんほどではなくとも、放射能の話を折に触れするようにはしているのですが、
ともかくあまりにも皆の理解がないのでめげてしまうのです。ずいぶん傷つきました。
だから、どうしても口をつぐむ方向になってしまいます。
 
今日、名古屋の会場であんなにたくさんの避難者の人を見たのは本当に嬉しかったですが、
逆に木下さんの講演に集まる人が、だんだん「もう避難した人」ばかりになっていくのではないか、という
危機感もちょっと持ちました。
 
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 ただ、名古屋講演でこんなに避難した人が多くなったのかというのも、本当に意義深いと考えます。

 実は、講演会&懇親会の後に、名古屋のあるカフェレストランで、スタッフと打ち合わせをしました。軽く食べながら話をしたので、食材の産地確認を少ししました。
「関東や東日本の産地は避けているので。」僕がこう言うと、
「いや、それを避けると難しくないですか。なかなか大変になりますよ。」と若い店員は答えます。
「そうだけど、避けないとだめですよ。」と強くいうと、
「いや、わかるんですけど、それは相当汚染が酷いですからね。僕も最初は相当気にしていたんですけど、もうきりがないから、そこまでは考えなくなっていて。」と彼は答えます。
「ダメですよ。わかっているなら、きちんと考えないと」、僕がこう言うと、
「いやー。まあ、あれですよね。要は東京が壊滅しているから、この話がきちんとならない訳だし」とこう話してきました。
その後も、いろいろ話したのですが、この店員さんは、フランスに良く行くらしく、フランス的な感覚でいうと、事故がおきた時に「東日本は本当に壊滅かな」と思ったそうです。
それで、さらにその後、フランスに行くと、フランスでの反応はもっと凄まじい状態だったそうです。日本に向けられている眼は残酷なまでにシビアな感じです。
「彼らは、チェルノブイリを経験しているから、全然甘くかんがえてないんです。」こう彼は話します。
「福島だけなら、ここまでならないと思うんですが、本当は放射能汚染で東京が壊滅しているから、それを言えないから、日本はこんなにおかしくなっているんでしょう。危ない食べ物も流通して。自分も最初はとことんまで調べたけど、これを続けていく精神的気力が持たないですね。だから割り切って、自分は、西のモノが選択肢にないときは、甲信越や関東のモノを食べることもあります。ただ友達の子どもとかには食べさせていません。それは気を付けているけれども。」

 勿論、名古屋という非汚染地だから、この対応で回避できるという話ですが、普通に仕事をしている店員さんの口から、「東京は本当は壊滅」という単語が、野呂さんとのトークや懇親会後に名古屋のカフェで聞こえてくる偶然というのは、とても面白く感じました。僕も少しフランス関連はわかるのですが、おそらく特に専門的な知見は無くても、ヨーロッパとのつながりが何かある人は多かれ少なかれ、こういう話は向こうからは聞いていると思います。
そうしたことも踏まえて、冷静に観察すると、
「東京が壊滅的な汚染だから、この話は言い出せないし、おかしな方向になっている。」ということは、実は当たり前の話だと言う事です。

 野呂さんがトークで散々話していた、「被災者支援法なのに、『残る権利』を明記することは異常」という中身も、ここに通じることだと僕は思います。

 このカフェの方たちは、僕がそこで話していたことも面白がっていたみたいで、今後、フライヤーがあればおいてくれそうでした。一緒に打ち合わせしたスタッフが僕に話したのですが、「きょうはこれが一番面白かったかも。でも、あそこまで分っている人は、分っているから、逆に私たちのような運動の中に、なかなか来ないですよね。分っていて、ダメだと思って、だから黙っている人たち。でもこういう人達が入ってこないと、本当に活性化しない」と。

僕もそう思います。こういう人達は首都圏にも多くいて、こういう人達にスイッチを入れられるのかどうかが、実は、闘いのポイントと理解しています。