俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

性行為

2009-03-03 13:37:06 | Weblog
 動物は性行為を経て子孫を残す。子孫を残すために動物には子孫を残したくなる仕組みが備わっている。子孫を残したくなる仕組みが不充分ならその動物は絶える。
 子孫を残したくなる仕組みは2種類ある。①性行為を快適と感じること②子育てを快適と感じること。
 産み捨てても子供が勝手に育つ種類の動物なら①だけで充分だ。しかし哺乳類の場合は育児という役割が必要不可欠だ。特に人間の新生児は余りにも未成熟な状態で生まれるため親の加護が無ければ正常には育たない。もし親が育児を快適と感じないならまともな子供には育たない。育児を快適と感じる気持ちは母性愛や父性愛と呼ばれている。
 しかし1つの目的のために2つの感情が使われていれば、それぞれの感情に応じた特化が起こる。①の感情に対応してコンドームなどの避妊技術が発展し性交を伴わないセックステクニックが開発される。一方②に対応して人工授精などの医療技術が発展する。
 ①の感情によって生まれた子供は虐待される可能性が高い。目的として生まれた②とは逆に欲しくないのに「できちゃった」子供だからだ。①に基づく子供は大切に育てられる可能性は低くなる。
 日本人の夫婦が世界一セックスレスであることは子供の幸せのためには良いことなのかも知れない。

資本主義の正体

2009-03-03 13:26:28 | Weblog
 自由な権力争いがあるからそれぞれの権力者は己の最大利益を目論んで権力者同士での離合集散を繰り返し、その結果として社会全体の秩序がもたらされる。
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 まるで日本の戦国時代を正当化するような文章だが、実は資本主義経済を皮肉ったものだ。アダム・スミスの言う「見えざる神の手」とはこんなレベルでしかない。
 戦国時代が肯定されないように資本主義もとんでもない不完全な代物だ。そもそも「主義」と呼べるレベルの思想でさえない。金を握った者の自由放任と弱肉強食が容認されているだけのことだ。
 儲けるためには何をしても構わないという資本主義に対してまず労働者が「ノー」と言った。労働者の待遇が改善されると次には公害問題を通じて環境保護が義務付けられるようになった。最近では「偽装」が大きな社会問題となっている。不完全な思想である資本主義に対してはまだまだ修正を加えて、資本の暴走に歯止めを掛ける必要がある。

普遍の意味

2009-03-03 13:10:52 | Weblog
 大衆社会においては多数者が正しいと見なされ勝ちだ。多数の人が良い曲だと言えば優れた曲とされるし、多数の人が美味しいと言えば優れた料理ということになる。
 しかしこれは正しくない。音楽の分かる人が高く評価するのが優れた曲であり、味の分かる人が評価するのが優れた料理とすべきだろう。
 子供にとって快適な曲や子供にとって美味しい料理はむしろ原始的な低レベルなものだ。洗練されて良し悪しに敏感な人の評価は子供による評価とは全然違った高レベルなものだ。子供を含めて大衆受けするのは「芸能」であり、違いの分かる人に評価されるのが「芸術」と考えても良かろう。
 「普遍」という言葉は二面性を持つ。「根本」という意味と「原始的」という意味だ。
 もし人間の欲望を原始的なレベルで捉えるなら食欲と睡眠欲と排泄欲だけが普遍的な欲望になってしまう。つまりどんな出来損ないにも備わっている低級な欲望だけが「普遍」と定義されてしまう。原始レベルの欲求だけが万人に共有される。
 「根本」としての普遍は全然違う。普遍的な価値は民族や文化、あるいは時間の壁を超えて感動や共感を生む。プラトンの著書に現代人が感動するのは「根本」の問題を扱っているからだろう。
 普遍ということが多数決と同義語になってしまえば「衆愚」という恐るべき低レベルの集団に支配される世界へと堕ちてしまう。