俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

小さな目標

2009-03-24 15:34:46 | Weblog
 野球の先発ピッチャーならまずパーフェクトゲームを目標にする。フォアボールを出せばノーヒットノーランを目標にする。ヒットを打たれたら完封を、点を取られたら勝利を、という風に目標はだんだん小さくなる。
 人の一生もこんなものかも知れない。子供の頃には末は博士か大臣を夢見た人も現実的な目標に切り替えて無名の個人として一生を終える。
 社長になると張り切って入社した人も、せめて部長にとか、何とか定年まで無事に勤め上げたいとか、どんどん小さな目標に修正する。
 このことは健全な精神を保つためには必要なことだろう。人間は何らかの目標が無ければ生きて行けない。達成不可能な見果てぬ夢を求め続けるのはラ・マンチャの男ドン・キホーテだけだ。現実的な目標を定めなければ妄想の世界へと向かい妖しげな新興宗教の狂信者になってしまいかねない。それほど人間の心は脆い。現実を受け入れることは決して恥ずかしいことではない。理想は現実的でなければならない。
 目標は決して誰かから与えられるものではない。自分で設定すべきものだ。誰かが目標を与えてくれることを待っていれば根無し草になってしまう。何もできない。小さな目標を設定することを馬鹿にしてはならない。こうやって定められた小さな目標がそれぞれの生きがいに繋がるのだから。

日本人の名前

2009-03-24 15:18:21 | Weblog
 ゴルフの石川遼選手の「遼」という名前は西洋人には発音しにくいそうだ。英語の辞書を引くとryで始まる語はryeしか見つからない。この語は決して「リェ」ではなく「ライ」と読み、ライ麦のことだ。つまり英語には「リャ・リュ・(リェ)・リョ」で始まる単語は無い。日本語のリューマチに当たる単語はrheumatismで「リューマチ」ではなく「ルーマチズム」と読む。
 因みにlyで始まる単語はryより遥かに多いがどれも「リ」か「ライ」と読む。
 松坂大輔投手の「大輔」も馴染みにくい音らしくDice-Kと読み替えている。
 一方、城島健司捕手の名前は英語にぴったりだ。George Mackenzieと呼ばれているそうだ。多分、最初から英語で呼ばれることを想定した名前ではなく全くの偶然だろう。
 逆に意図的に3人の娘を「愛・舞・魅衣」と名付けた人がいる。勿論「I my me」から取っている。ところがこんな短い名前は思わぬ所で困った事態を招く。舞ちゃんが林さんと結婚してしまった。披露宴で名前を呼ばれるまで「早や仕舞い」になってしまったことに本人は全く気付かなかったそうだ。

鎮痛剤

2009-03-24 15:04:32 | Weblog
 これまでに解熱剤(2月7日)や下痢止め(2月17日)を有害だと書いたが、鎮痛剤もこれらに負けず劣らず有害だろう。
 薬は基本的には毒物だ(20年2月20日付け「薬のリスク」参照)。メリットとデメリットとを秤に掛けてメリットのほうが大きければ「薬」とされているに過ぎない。しかし解熱剤や下痢止めと同様に、その場しのぎの対症療法に過ぎず、その結果として、より悪い結果を招く薬物も「薬」として使われている。
 鎮痛剤は痛みを鎮めることだけが薬効だ。痛みの原因を治療する効果は全く無い。鎮痛剤は痛みを誤魔化すだけだ。薬の効果が切れれば同じように痛み始める。但し薬で誤魔化している間に、自然治癒能力が働いて治ることがあり得る。しかしこれは決して薬が効いた訳ではない。
 宗教もハイネが指摘したように「苦しむ人のための精神的な阿片」だろう。嘘で塗り固めた希望を与えられても何ら根本的な解決にはならない。それどころか嘘に基づいて不自由な生活を強いられて、本来楽しめる生活(食欲や性欲を満たすことなど)を犠牲にすることにもなりかねない。
 鎮痛剤に頼らず、痛みの本当の原因に勇気を持って立ち向かうことが必要だろう。

WBC

2009-03-24 14:56:55 | Weblog
 私もつい先程までテレビで観戦していたが、とりあえず勝てて良かった。しかし侍ジャパンの9試合のうち5試合が韓国戦というのはどうにも戴けない。他はキューバと2試合、アメリカと中国がそれぞれ1試合ずつだけだ。
 できればベネズエラやメキシコ、あるいはプエルトリコやドミニカやオランダとの試合も見たかった。同じカードはせいぜい2戦もあれば充分だ。
 日本人は高校野球でトーナメント方式に馴染んでいるが、プロ野球の優勝チームの勝率が6割を超えることが滅多に無いことからも言えるとおり、野球は勝ったり負けたりする種目だ。決勝はベスト4かベスト6あたりでのリーグ戦のほうがもっと楽しめただろう。